「鳥の飛ばない天地の挟間」8

はしごを降り、いくらか段を残した処で下になる場所への距離を測り飛び降りる。

 同時に、どさりと音がして私の足下に踏みつけられる形で突然現れて倒れている篠原に冷たい視線を置いた。

「やっときたか。」

「…ひ、ひどいっ、…!ふっちゃんー!俺の努力は?ひたすらけなげで努力家で地道に努力しつづけてる俺のこのけなげな心持ちはー?」

「うるさい。その上に、言葉が重複しているぞ。独創性をやしなえ。」

「ひ、ひどい、ふっちゃん、…。この後に及んでいうのがそれ、ああでも、それって、うん、やっぱり俺にとっては至上の命題っていうか、安定感あるよね?幻じゃない、安定の非情なふっちゃん感っていうかー?」

ひじにさわりながらいうばかに、冷たい視線を投げる。

 暗いマンホールを降りた先にどこからか現れて転がって、丁度私の降りた先に倒れたままの篠原から足を下ろすと、ようやく腹をさすりながら篠原が半身を起こす。

「あー、驚いた、…ふっちゃん、おれって、やっぱりM属性あるとおもう?…もうけなげすぎるっていうかー」

「見捨てるぞ。」

冷たく見ていう私に、篠原がどうしようもなくわざとらしくおののいてみせる。本当に一ミリたりとも真実味の欠片さえ無い篠原にあきれと共に本当に捨てて置こうかと考える。

「…ち、ちょっとまって!ふっちゃん!ぼくのこと、いま見捨てようとしたでしょ?ね、ね、そんな非情のレクイエムとか、いくらなんでもあんまりですってば、…―――それで誰なわけ?ふっちゃん!ひどいわ、ぼくのこと見捨てて浮気するなんてっ、…!」

「誰が浮気だ。その前に本気が必要になるだろう、それは。」

「…あ、酷いっ!僕とのことが本気でさえないなんて、それがいくら真実でも、くちに出していわないのがお約束でしょーっ?」

悲愴な表情をして眉を寄せ、私とその男の前に情けないことをいいながら篠原が立つ。

 そうだ。

 藤岡。

 月に人が住む世界にいるはずのその男。

 その男が、いま暗く定かで無い背景を従えて。

「遭いにきたのか?」

無表情な藤岡が、視線を少しばかりこちらに向けていう。

それは、少しばかり、だが、…――――。

「…おれの、知りたいことを知っているといったな?」

「…その通りだ。」

「ふっちゃん?!」

驚いて振り向いた篠原のばかには視線を向けず、私は藤岡にうなずく。それしか、真実が無かったからだ。

「――――私は、おまえの知りたいことを知っている。」

「…ふっちゃん!」

篠原の驚愕と。

「何故、何をおれが知りたいと、―――俺が知りたいことを、何故知っている?…藤沢。」

「――――…!」

篠原が何をいおうとしたのかはわからない。

 驚きと、そのくちもとはもしかしたら。

 …とめようと、――――。

 わたし、を。


 月の地下。

 空洞に遙か砂丘の中に漂う。

 暗い海。

 しずかのうみ、が、…。

 月の下、―――――。

鳥の飛ばない天地の挟間、に。

暗い海、砂浜が延々と生命を抱かずにつづく。


その世界に。


鳥の飛ばない天地の挟間。

暗い海を背に、立つのはひとり。

…唯ひとり。


 一人だけ、…だ。


 藤岡、その男は。

 一人だけ、暗い海と砂浜に立ち尽くし。

 しずかのうみに、ひとりだけいた。




 わたしはいう。


「おまえは既に、生きていない。」

 単純な事実を突きつけるだけだ。


 藤岡の眸が、ゆっくりとみひらいた。


 ゆっくりと、単純に、くちもとがほころぶ。

「…そうか。」

 微笑む藤岡に、単純にうなずく。

 篠原は、うなずく私を唯、哀しいように、言葉が無いように、きつく眉を寄せながらみている。

 だから、おまえはばかだというんだ、…――――。

 とても単純な種明かしだ。

 単なる事実。

「私は、このばかもだが、…―――。いまだ神のうちにあるためか、何か他に理由があるのかは知らんが。」

 とても単純な事実を告げる為に、言葉を切る。

 それはいつもひとつだけの真実だ。

 胸が痛むように啼くのも、哀しむように軋むのも唯それだけの真実でしかないだけのことだ。

 現実も、事実も、真実も、…―――言い方をどのように変化させた処で変わるものではない。

 単なる事実。

「わたしたちにみえるのは、既にこの世にいのちの無いものだけだからな。いつもわたしたちにみえるのは、…―――挟間の向こうにただよう、いのちのかけらだ。あるいは、単なる残像だな。」

 淡々という私に、藤岡が笑うように泣くようにその表情をゆがませる。

「簡単にいうな、…つまり、おれは死んでいる、と?」

「…ふっちゃん、」

息を呑み、なにごとかいいかけた篠原に視線をやらず、私は藤岡に向かって言い切る。

「その通りだ。おまえは知りたかったのだろう…?おまえの生きた世界に、取り残されているのは、おのれだけであるのかと?月に人が住む世界において」

「…――――」

藤岡が、ちいさく息をのんだ。

「月の空隙に身を留めて、おまえは知りたかったはずだ。取り残されたのがおのれだけなのかどうか。世界はどうなったのか?―――おまえの、その月に人の住む世界で。鳥の飛ばない天地の挟間で。」

無表情にもみえる藤岡の眸を見返しながら、私は淡々と告げていた。

「…おまえの世界がどうなったのか、それを私は知りはしないが。」

暗い海と砂浜。音も無く生命のひとつさえ存在しないそのしずかのうみを背景にして。

 一人立つ、藤岡に。

 砂丘を背に立つひとりだけの存在に。

「…藤岡、世界がどうであれ、おまえはすでに滅んでいる。滅した存在だ。生命を終え、いのちを終え、役割を終え存在が終わった。おまえは既に、その世界で生きてはいない。」

 ぐらり、と。大きく世界が揺れた。

 篠原が何か大声でいいながら、私の腕を大きく掴む。

「――――…!!!」

 その叫びを私はきくことは出来なかったが。

「藤岡、おまえは既に死んでいる。わたしと、このばかが証しとなろう。わたしたちにこうしたときに見えるのは、いつも確実に死人ばかりだからな。」

薄く微笑む私に、篠原が腕をつかむと大きくなにごとかののしる声が

する。

「…ふっちゃん、!まったく、だから、ぜったに、――――…うわあああっ?!」

 奴が、篠原が私を引き寄せて、大きく何かから庇うように抱きしめるのと。大きく、なにか。多分、藤岡の存在していた、…―――。

 いや、藤岡の信じていた世界が、崩れて、ゆれて、…破壊されて、世界が大きく揺れて、崩壊するのを。くずれて、ゆれて、こわれる世界を。

 大きく揺れた、その中に。

 …―――たぶん、

 藤岡が、苦笑して、額に手を措いて。

 それから、立つ足許から砂のように崩れて毀れ、消えていくのを。


 私は、…――――。


 ああ、こうして。

 こうして、鳥の飛ばない天地の挟間。

 藤岡とともに在った世界は、消えていくのだ、と。

 私は、月に人の住む世界から、月に人が住まない世界に。

 いまはまだ、月に人の住まない世界にと、落下していた。

 帰還は、――――。


 それはいつもとても単純だ。

 



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