「鳥の飛ばない天地の挟間」7


「ふっちゃん――っ、ふっちゃんって、呼んでもいませんよねえ、ほんと。」

おれいま真剣に困ってるんですけどふっちゃん出てこないよね?困惑度MAX何だけど、出てきてはくれないよね?本当、と。

 一応云うだけいってみて、篠原守は肩を落とした。砂浜に腰を下ろしてあぐらをかく。

「俺、どーしたらいいんでしょ。急にふっちゃん消えちゃうし、どうしたらいいかわかんなくておれ困惑度まっくす。」

ふうう、と大きく溜息を零して砂をいじる。

 ふっちゃん、とか砂に指先で書いてみるが。

「あああ、こんなのふっちゃんに見られたら、冷た――い目線で見られてさっさと淡々と背を向けられそう。きっとコメントもしてくれないよね。リアクションがほしいお年頃なのにさ、さみしいじゃんっ、それって?ふっちゃんって冷たいっ、―――ああ、しかし。」

俯いていた顔をあげて、空を仰ぐ。

「カムバック、ふっちゃん。」

両手を組んでいってみてからためいきを吐く。

「…いまのはくさいっていわれるかなあ、…―――」

肩を落として、それから。

「え?」

目がまるくひらいた。

「ええっ?」

大きく一跳ねで立ち上がり、それ、をみつめる。

「え、だから、えええっ?」

大声で喚く篠原をもし藤沢紀志が見ていたら。

 いったことだろう。

 一言。

 うるさい、と。





「この基地は月面の地表から5キロに発見された空洞を元にして造られている。三度目の月探査隊による調査の結果判明した大空洞は、その後の月開発計画を一新した。月の地表に設けられるはずだった施設は、宇宙線の遮断、気密施設を設ける容易さなどの点から、この地下に造られることになったんだ。そうして設けられたのがこの月基地だよ。」

歩きながら藤岡が説明するのを私はその後を歩きながら聞いていた。

「君を居住区に案内しよう。」

左手に並ぶ砂丘の上に登り、藤岡の手が黒く古めかしい鍵を取り出した。

「どうぞ。」

白く塗装され鋲の打たれた金属製に見える扉が、砂丘の頂上に建っていた。その鍵を藤岡があける。

「月基地へようこそ。」

錆びた音が響き、扉が開く。

「何処へ続いている?」

「居住区だけど?」

「―――私は、ここへ着いてから幻覚ばかりを見ていてな。この扉は何処へ続いている?」

「僕にとっては君が幻覚にも思えるけれどね。この月基地には先程まで僕以外に活動する生命体は存在しなかった。外部から客人が訪れるなら、外の港に着くはずだが、君は既にこの海辺に居た。」

そして、静かに藤岡は微笑う。

「外港は既に閉鎖されている。訪問者は有得ない。君は何処からきた?」

「少なくとも、外港を私は知らない。月基地というのも初耳だ。少なくとも私の居た場所では、月探査は着陸して人類が足跡を残したまでで終わり、計画はそれ以上進まなかった。地球に住む人類は、その衛星にまだ基地を設けてはいない。それが少なくとも私の知っている世界の現実だ。」

藤岡の眸が熱を帯びて私を見詰め返した。この眸を知っている。私にも、どのような立場に置かれていても、逃れ難い本能のように身を襲うことがある。多分その病が生んだ熱だ。

 知的好奇心と呼ばれることのある熱。

 どのような場にあっても、追求することを止まない熱病だ。

 多分、――いまこのように何処とも知れぬ場所で、何者とも知れぬ相手と対峙している、このいまさえ。

「そう――なのか?」

私の身奥にも眠っている熱だ。

「この扉は何処へ続いている?」

「―――敵わないな。」

藤岡が苦笑した。して、後ろ手に扉を閉める。錆びた音をさせて閉まる扉を、私は淡々と見つめていた。

「これは、居住区外の、気密処理をしていない領域へ通じる扉だったんだけどね。これを開けて出て行けば、何も知らない内に真空に射出されて、何もわからないようになれたんだけど。」

「本当にここは月なのか?」

「本当に君は知らないのか?」

この月の事を?と藤岡が首を傾げた。

「君は何処から来た?」

「月に人が住まない世界から。」

「――――月に人が住まない、…」

藤岡の背後で扉が消えた。砂丘も、いや、目の前に居た藤岡もまた消えて行く。

「聞け、藤岡。」

薄れて行く姿に向けて私は口にしていた。

「おまえの知りたいことを私は知っている。」

薄れ掛けた藤岡が眸を私に振り向けた。

「おまえに逢わせろ。」

風に砂が舞う。

「――――。」

砂の削られた表面に、丸い円形の蓋が黒錆びた姿を現す。

 どうしてこれなら開けるのか、と聞かれたら、例えば私は奴に何と答えようか。蓋の持ち手に手を掛け、私はひっそりと笑んでいた。

「何でだろうな。」

いままでのを疑って、どーしてふっちゃん、これは平気なわけっ?やっぱりふっちゃん、究極の人生行き当たりばったりだよね、とか。

 奴が云って歎くのが何だか目に見えるようで。

それが面白いから、私はためらいもなく蓋を持ち上げていたのかも知れない。黒い円蓋を直角に固定すると、地下に続く金属製の梯子を壁に埋め込んだ円筒。下は覗いても見えない。

 ―――だっから、ふっちゃんって無謀なんだって!聞いてる?ねえ。

多分奴がいたならそう云うだろうと思いながら、私は地下へと続く梯子を降りることにした。

 多分理由なら簡単だ。

 面白いから。

奴が叫ぶのが聞こえそうだと思いながら、私は梯子を降り始めていた。



「ふっちゃん、――――…ふっちゃんって、やっぱり人生最強塞翁が馬何だよねえ。…」

俺本当に歎いちゃうよ、ふっちゃん、と額を手で押えるのは篠原守。

肩を深くふかく落として座り込んでなどいるのは、開いたままのマンホール前。

「ふっちゃんって、やっぱり無謀。」

がっくりと肩を落としてしみじみと。

 祈りのポーズに手を組んでなどしてみてから、暗い竪穴を覗いて溜息を吐く。

「俺ってけなげ?かわいい?」

本当一途だよね、と一人で頷いて。

 それから、篠原守、いきまーす、と手を挙げて。

 篠原守の姿も、やはりマンホールの奥へと飲み込まれて行った。




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