「鳥の飛ばない天地の挟間」5
誰もいない海辺。
鳥さえも飛ばない、無窮の大空を。
「もどっちゃったね、ふっちゃん。――ああ、でも、」
奴が私の手首を離し、二、三歩砂浜を踏み出した。
手が、屈み込んでそれを拾うのを私は見ていた。
そう、私がその砲頭に叩き込んだ筈のもの。
採集袋に入った貝殻を。
「でも、エレファントいないね?それに。」
奴の眸が、砂浜を見渡す。
「どっこにも、キャタピラの跡が無い。風に飛ばされるにしても、普通ああいうのって残るよね、少しでもさ。どーうしたんだろうね?俺のエレファント。せっかく実物生で見られたのになあ。…物凄く残念だなあ、――――。」
奴が黙った。珍妙な顔をして、私、いや、私とその周囲、或いは私と奴の周囲を見ている。いや、見ているというか、既に動きが固まっているというか。
「おまえ、このくらいのことで固まっていてどうする。」
「―――って、ことは、ふっちゃん、…これ、その、すこしは既にもう期待してたの?いやいや期待っていうのはおかしいんだけどさ、ねえ、あの、その――――つまり、」
「つまり?」
私は首を傾げて奴の言葉を待ってやる。奴は哀しげに空を見上げて、大袈裟に表情を作ってみせた。医者になるより演劇部でも行った方がいいんじゃないかと思える作り加減だ。
「ふっちゃんは、これ、予測してた訳?いつから?一体どーしてこれを、予測してたの?」
私は軽く奴に視線を投げた。
「予測していた訳では無い。そういうこともあろうかと推測はしていたが。」
「それって殆ど同じでしょう。つまりっ、ふっちゃんはこういうことかもって推測してたわけね?いつから?だからっ。」
「疑念を抱いたのは、兵士達に案内されてからだ。そして私の前にDC-3が現れ、消え、――――そして。」
奴に微笑み掛ける。多分奴の弁によればこういうときの私は悪戯を企むような顔をしているそうだ。失礼な話だが。
「疑念が形となったのは、おまえと私の見ているものが違うと解ったときだよ。その前にも、私とおまえは共に兵士達の軍籍を言い当てる事が出来ず、私が見たDC-3は、」
私は言葉を切った。美しい機体を思い返す。
「それがC-47かどうかさえ、確定することが出来なかった。空軍所属か海軍所属かなど、本来マーキングを見れば一目瞭然の筈なのに。或いはまったく軍属でない機体でも、知らないマーキングを施されていると、そうした判断だけでも出来ただろうに。」
私は一息吐いて足許に目を落とした。
「私もおまえも、あの機体をDC-3としか認識しなかった。実際私にはそう見えた。軍装など施されない、あの美しい機体を私は見ていた。」
砂ばかりが見える足許。スニーカーの爪先も甲も、細かい砂に塗れてしまっている。後で洗う必要がある状態だ。
「それは私がその機体をそう見ていたからだ。何処の軍属でも無い、私は単にあの機体だけを見ていた。だから、あの機には、所属が無かった。」
私はゆっくりと言葉を継いだ。
「兵士達も同じことだ。私はお前ほどそうしたことに詳しくない。興味が薄いといってもいい。だから、連合国軍側らしき軍服の兵士達を思い浮かべることは出来ても、国籍まで確定出来るデータを想起など出来はしない。」
「ふっちゃん。」
「だから、何処の国籍かもわからない兵隊達を、私達は見た。」
「それって、そういうこと、なんだ?」
奴が私に近付き、私の視線を追って足下を見た。まだ消えずに砂浜に残る痕跡、それは。
「――俺達は、夢を見ていた?エレファントも、兵隊さん達も、DC-3も、―――此処で。」
奴の視線が厳しくなり、唇を見えないように噛むのを私は見ていた。視線を、奴と同じく下に向け、それから戻す。
奴の狂惜しいような黒眸を見返して、私は単純に口にしていた。
「そう、それが蓋然性の高い推測だ。」
もはや奴も見てはいない足下、私達の足許に。それは、厳然として残されていた。
二人分のスニーカーが残す足跡。
同じ箇所を円を描き、時折乱れながら回っている跡。
「ふっちゃん、」
「ああ?」
奴が大きく肩で息を吐いた。どうしたのだ?と訊く前に、顔を伏せたまま、奴が私の肩に両手を置いた。
「酷く疲れているようだが。」
単純に観測した事実を述べると、奴が大袈裟に溜息を吐いてみせた。
「…わかってる?状況、ふっちゃん、俺達最悪よ?どっこか全然解らない場所に来て、ドリーマーになっちゃってるのよ?現在視界に入ってることもの全部当てにならないんだよ?ね、わかってる?ふっちゃんー、」
肩を落としたまま暗く悲壮な雰囲気を作成して云ってみせる奴に、私は改めて感想を持った。医学部では無く、演芸でも磨いた方が、奴の行くべき道ではなかろうか。
「―――ふっちゃん、いま全然関係無いこと考えてたでしょ。」
「何故解る。」
「―――なが―――い、お付き合いですから、俺達。どうせ全然事態が深刻だとか、どうやって帰ればいいんだろ、とかその前にどうやってここを生き延びればいいんだろ、とか全然まったく考えてないでしょー…しってるんだから、ふっちゃん。」
私は延々と語る奴の肩辺りを見返した。頭を伏せているから大体その辺りに視線がいく。
「解っているなら口にする必要は無いだろう。」
「―――ふっちゃん――っ。」
「泣くな。」
少しは先の心配とか、事態打開の方策考えるとか――、しないよね、しないんだけど、しないなんてわかってるんだけどさ、わかってるんだけど、ふっちゃん、などと泣き言を云っている奴を冷たく見る。
「心配などするだけ損だろう。そんなことにエネルギーを費やす暇も労力を注ぎ込む積りもないな。」
「ふっちゃん、そういうひとだよね、―――。」
うう、俺、泣いちゃうよ、おれ、と涙に暮れている奴を見る。
「そういう力が残っているなら、先を掴む為にとっておくものだ。使い処を間違えるな。」
「――せめて先行きの予測とかは?これからどうしたらいいか考えるとかさ。」
「この状況でか?」
私は、にっと笑った。奴が顔をあげる。
「いま私達に出来得る最善の行為は、事態の変動に伴って即応していく余力を残すことだ。事態の変化がどのように訪れるか計りようが無い以上、それが唯一の選択肢だと思うが?」
「―――それって、究極の行き当たりばったりっていわない、―――っ。」
ふっちゃん、とまた奴が肩を落とした。がっくりと肩を落とした奴に、私はあっさりと笑いかけた。
「その通り。人生万事塞翁が馬だ。私の人生に於ける座右の銘をしらない訳ではあるまい?」
「―――うれしそうです、ふっちゃん、…ああ、しらないよね、皆。学校きっての優等生、堅実で何事も計算し尽くして人生渡ってる計画施工設計きっちり型っておもわれてるふっちゃんの正体が、実は究極の計画何て全部その場の思いつきで実行してるひとだなんて―――っ。」
「まあ落ち着け。」
しくしく、と泣き真似をする肩をおざなりに叩いてやる。
「結構楽しいぞ?」
「――――ふっちゃん―――っ、」
涙に暮れる奴を於いて、私は腕時計に目をやった。
「まあ座ろうじゃないか。」
「――ううう、ふっちゃん、そのマイペースが素敵。」
「それはどうも。」
「ううう、心がとっても籠ってないお返事ありがとう。」
奴の隣に座り、空を見上げる。
無生物の空。
うごくものひとつない海辺。
「きれいなものだ。」
グレイトーンの光に包まれた天球と空の光を返す海。私は立ち上がって、海辺に歩み寄り、手を水に浸した。
「ふっちゃん?」
座ったまま眺めている奴に振り向かず云う。
「海水じゃない。」
「え。」
「――水だが、すくなくとも海水ではないな。」
「え、それってふっちゃん、」
立ち上がって慌てて近付いてくる奴に云う。
「これは海か?」
「え?」
「――これは海かと訊いている。私達は海岸に居た。殆ど同じ地形に見えるここに目覚めたときに、自動的にこの場所をそれまで居た場所と同じ、海岸だと、海辺だと考えてしまった。けれどそれに根拠は無い。」
「ふっちゃん、危ないっ、」
私は、掌に掬った水を口に運んだ。僅かに飲む。
透明な液体は、掌を擦り抜けて僅かにくちもとを伝った。
「そういう危ないことは俺がっ、」
「――水だな。」
「聞いてる?ねえ、ふっちゃん、」
塩分は感じられない。どうも、くちにした限りでは、真水に思える。
「――――聞いている。味は特に感じられないな。」
「あのねえ、ふっちゃん、細菌とか毒素とか入ってたらどうするの!煮沸もしないで正体不明の水飲むなんて―――」
「少なくとも即効性の毒は無いぞ?三十分して倒れてなければ毒の線は考えなくてもいいだろう。細菌だが、――二、三時間は必要かな?」
水を見る私に、奴がげっそりとした顔をしている。幾ら砂浜でも頭から倒れ込みたくはないから座りなおした私の隣で、奴は肩を落として立っている。
「それだけ経って、私がまだ倒れていなければおまえも飲むと良い。他に選択肢は無いようだからな。水分として補給源になるのは目の前のこれだけだ。澄んでいるのは有難い限りだな。別に赤濁していてもそれしかないなら飲まなきゃならないが、特に濾過する必要も無いからありがたい。」
「未知の細菌とかさあ、知られてる範囲以外の幻覚とかさあ、想定外の反応を人体に引き起こす病原菌とかいないとは限らないんだよお?状況からして未知の部分っていうのの方がとってもとっても多いっていうのに――、ふっちゃん、わかってるけど、そういう人だって。」
「解っているならいいだろう?」
「いいんですけど、こんな人に必死でついていくおれって健気。」
「おい、」
いいんですおれ、といいつつ手に水を掬い、私と同じように飲む奴に眉をひそめた。
「――おまえが倒れても私は運ばんぞ。重い。」
「―――そうおっしゃると思いました…。」
「予測して頂いてありがとう。」
「いえいえどう致しまして。」
ああやっぱりおれって薄幸、などと歎いているばかから視線を空に向ける。
「やはり、――――。」
腕時計に目を落とし、観測の結果を奴に告げようと振り向いたとき。
「―――――。」
私は、無言でみつめていた。
微かに目を細める。
「最悪の事態と云うのは、」
無限に続く砂浜、―――海としか呼びようが無いほどに広い、水平に見晴るかす限り続く波打ち際。
「こういうことかな?」
ゆっくりと立ち上がった。四囲を見渡すが、無論。
私の視界に、奴はどこにも映っていなかった。
奴が消えた浜辺に、私は一人立ち尽くしていた。
鳥が飛ばず生き物のいない、この海辺に。
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