「鳥の飛ばない天地の挟間」3

「ふっちゃん―――、」

生きた心地しなかったよ、あのね、ふっちゃん、なんて無茶するの――、と、うるさい奴を隣に私は薄く瞳を閉じて半分身体を眠る体勢にしながら周囲の気配を拾おうと耳をすましていた。

 背には鋼板の冷たい壁があたる。尤も、この壁は現在中の荷物と同時に移動中だ。平らな床は時折傾ぐ。

 私と篠原の二人は、彼等の輸送機で移動中だった。移動は別にこちらの希望ではない。つまりは強制だ。能天気な篠原が隣で御気楽に鼻歌など唄口すさみながら周囲を、―――つまりは、移送途中の飛行機の内部というわけだが―――見回している。一度頭をかち割って脳みそを取り出してみたいくらいの能天気だ。

 私達は、いまダグラス輸送型双発機のがらんと空いた胴体の中に放り込まれている。監視する人間もいない上、特に拘束されているわけでもないから、周囲を興味深げに見渡すばかの心理もわからないではないが。

 辺りに積まれたのは、どういった用途に使うつもりか、とぐろを巻いたロープ。塹壕でも埋めるのか、後部に積まれてある砂袋の他は何の装備も見えない、唯機体の地肌が剥き出しになる殺風景な内部だ。

 尤も、真実軍用ならば特に装飾など必要な筈も無く、本来の任務に就いていない時であれば、この使用していない倉庫のような有様も当然だろうと思えるが。

「にしてもさあ、ふっちゃん、俺、ほんと心臓が止まるかと思ったよ?ふっちゃんがさ、無茶して砲頭にあんなものいれちゃって。それで止まってたエレファントから誰も降りて来なくてもうどうしようかって思ってたら、」

 ―――――うるさいやつだ。

私がそう思っているのは態度に出ているはずだが、うるさい奴はまだ喋り続けている。

「そしたら、どっからわいたか知らないけどさ、銃なんて持った兵隊さん達が来てさ、―――ああでも、あれ、何処の制服かわからなかったよね。どっちかっていうとドイツっていうより連合国軍側っていうか、英国とか米国とかって近いよね、感じとして、―――でもやっぱり、デザート用の迷彩服じゃないんだけど、――――まあ、オリーブグリーン系ってやっぱり基本だし、まあ割りと好きな方かとは思うんだけど。―――銃を突きつけられたときにはやっぱり驚いたよねえ、―――。」

無駄に長い奴の話を聞きながら、私は奴にも規定出来なかったのなら、あの制服はやはり既知のものではなかったのだ、という点に心の中で納得していた。奴の無駄に広く浅く、該博な知識というには欠点の多いながらも一部では非常に秀でている知識からも特定出来ないなら、それはこれまでには無いものなのだ。或いは、私達が知る限りにおいてのこれまでの記録に残された軍の制服ではないということだ。

 ―――ならば。

「それから銃突きつけられて砂丘越えたらさ、―――驚いたよね。広い滑走路があってさ、一機だけこの機体がタキシーウェイにいるんだもんね。本当、驚いたよ、―――。」

グラマンDC―3の鈍色に輝く機体が砂塵に埋れた滑走路にあるのが見えたとき、私も驚いて見つめてしまったものだ。

 DC-3、おそらくは軍用輸送機として生産されたC-47。

 実用一点張りの輸送機は、けして流麗ではないシルエットを砂塵の浮く滑走路に晒し、鈍く光を落した銀色の翼が、それでも大空への飛翔を待ってひそかにその力を蓄えている。

 低翼につけられた双発のプロペラ。

 美しい光景だった。無人の砂漠に残された滑走路に、旧型の輸送機が、与えられる任務を待って鈍色の翼を広げている。

 風に舞う砂塵も、無音の錯覚を生み出す果ての無い砂丘も。

 兵士達の促す銃口が無ければ、私は時間を忘れて立ち尽くしていたろう。私にはもともとそんな処がある。忘れがたい風景や、いつまでも目に焼き付けておきたい光景に出会ったとき。身動ぎをして、何かを壊すのがおしくて動くことが出来ずにみつめつづける。

 兵士の銃口は、私には良い機会だった。動かずに沙漠の只中に居ては命にかかわろう。

 実をいえば兵士達の促す銃口の先があの鈍色の機体だと知ったとき、うれしくて思わず頬がほころんだ。奴ではないが、実機で見られるとは思っていなかったその実用性を重視した美しい機体に近付く事の出来る機会は私にとってとてもよろこばしいことだった。例え、背に銃口を突きつけられ、搭乗を強制されたにしろ、だ。実際、まだ探せば実機にふれる機会が皆無とはいえないが。この機会を逃してなるものか、というのは実は私の本音だったろう。

 DC-3の見事に抑制された機体のシルエットを惚れ惚れと眺めながら、私は背にある銃口もわすれて金属の肌を眺めた。モノコックシャシーを採用した試作機DC―1の血を引いて開花したこの傑作機は、姉であるDC―2と違って殆どが軍用機として生産される宿命を負った。旅客機として花開いた姉と違い、パワーの増したエンジン、一回り違う機体の大きさは、人ではなく貨物を運ぶ為に最適な解を生み出していた。さらにそれは、大量輸送を必然とする軍隊の要請に最も適した解答でもあった。旅客機として華やかな用途に就いた機体は僅か。だが輸送機としての生産は当時一万機を越えた。実用に絞られたその用途は、この機体をさらに磨き上げ、数々のマイナーチェンジが行われ、生産が行われた。

 ダグラスDC-3、C-47の、けして優雅ではない、無骨な、だが美しい機体。私は促され、横腹にあけられた搭乗扉からその内部に入った。

 座席は初めから無かったのだろう。あくまで骨組みを晒した装飾からは程遠い機体内部。無造作に詰まれた土嚢に眉をひそめて睨むように見ていた時、背に軋む音が響いた。

「うわ、ふっちゃん、しまっちゃった。」

そう、その時私の隣に居た、―――そしていまも隣にいるわけだが、―――ばかが云った通り。

 私達の背に扉は閉まり、間髪を入れずに低い唸り声をあげて重い機体を天上へと運び上げる為にエンジンの回る音がし始めた。轟く音。重く腹に響く振動に、私は壁を背に土嚢を睨みながらゆっくりと座り込んだ。多分ここが兵士の輸送される時、掴む座席だ。壁から内に向けて突き出している四角い空を切り取るパイプを握り締めて腰を落し腹に力を入れる。隣で奴が同じように別のパイプを握り腰を落している。

 離陸の振動が加わり、長い滑走路を機体が駆けて行く。独特の浮遊感と共に機体が浮上がったのを感じたとき、思わずもほっとして息を吐いていた。

「それにしてもさあ、ふっちゃん。この機体、どこ行くんだろうね?」

私達の見える範囲に窓は無い。機首を仰げば金属製の扉が見えるが、そこには明らかに施錠されているのが扉の透間に見える。

「さてな。」

離陸するまでを思い出していた私に話し掛けてきた奴の御陰で、現在の状況に私は思考を戻した。

「どこいくんだろうねえ。」

「さあな。とりあえず、いまは監視も無い。気楽に楽しむさ。」

私は穏かに微笑していた。そのくらいの自覚はある。奴に、あ、ふっちゃん、うれしそうだよね、やっぱり、とか肩を落されなくてもだ。

「うれしそうだよねえ、ふっちゃん、そんなにうれしい、某合衆国陸軍輸送機に乗るのって。」

「やはりこれはC-47の方か?私はあまり詳しくなくてな、――――。海軍の方は確か型式が違っていただろう。」

「うん、実際は全然違わないんだけどね。海軍がR4Dっていうんだよ。まあさ、名機なんだけどさ、やっぱりうれしいんだ。こーいうふうに強制的に乗せられても。どこいくかわからないんだよ――?ねえふっちゃん。」

「そうともいうな。」

「完璧にそうですってば、ふっちゃん、―――いいんですけどね、ええ、一心同体、僕はどこまでもふっちゃんについていきます。」

がんばるぼく、とかいっている奴を冷たい目で見据えてやる。

「誰が僕だ?そして一心同体だ?」

「き、期待に違わず冷たい突っ込みしてくれてありがとう、―――期待に違わずうれしいよ、ぼく。」

「それはよかった。で、まだ僕なのか?」

「ふ、ふっちゃん、―――俺、すみません反省しましたっ。」

「それは良かった。序に、この扉を開ける努力をしてみようと思うんだが、どうだ?」

「―――――ふ、ふっちゃん、」

「いかにも後付けの扉だ。完全に錠が噛み合ってない。此方側から透間があるのがその証拠だな。錠の鍵穴はこちらにもある。そして、向こうから掛けられているのが見える掛け金は、どうやら単純な閂のようだ。出来るだろう?篠原。」

「――――ふ、ふっちゃんが俺を名前で。―――――いやその、あの、ふっちゃん、でもさ、いいの?なんかして、その、一応ここ空の上でしょ?降りてから何かした方がいいんじゃないの?空の上で何かあったらやばいじゃん、て、いつもふっちゃん、空じゃ慎重でしょ?」

「そうだな。空の上ではいつもより行動を慎重に整えるのが良い。それは自明の事だ。だがいい、やってみろ。篠原。」

「――――、ふっちゃん、」

いーの?といって、すぐに奴はポケットから銀に光る針金を取り出した。

「それは多分おれ、これすぐに開けられますけどね、―――でもやだよ?向こうに兵隊さん達とかいてさ、乱闘とかで誰かが拳銃撃っちゃってさ、機体に穴が開いて墜落とかしちゃうの――、」

「大丈夫だ。それが起り得るのは与圧された機体だけだ。それにこれはそんな高度を飛んでいない。安心して作業しろ。」

「そ、なんだ?えーっと、つまり、内部気圧と外が違ってないってこと?そしたら穴くらい開いても中のものが外に飛び出したりしないってことでいいの?」

「大体がそんな処だ。開けられるか?篠原。」

「――誰にもの聞いてるの?ふっちゃん――、学内で鍵開け選手権やったらきっと優勝間違い無しの篠原だよ?幼稚園児のときから鍵といえば目に付いたもの全部一回はあけてみなけりゃ気が済まなかった篠原の守ちゃんよ?タイムリミットのついた装置だって最近は次々厳しい条件のものに続々挑戦、新記録達成の篠原ちゃんよ?この程度のふつーの鍵、あけられなくてどうするのよ。」

でも履歴書の特技欄にはかけないんだよねえ、就職活動には使えないんだけど、とかなしそうにいった奴の左手が柔らかな銀の光を弾いた。いつも思うが、見事な瞬間だ。奴が鍵を外す瞬間は、確かに一流の芸を見る事に通じるものがある。

「はいどーぞ。」

「いつもながら見事だ、守。」

微笑していうとどこかびっくりしたような目をして篠原がリアクションをし、それから胸に手をあてて深々と一礼する真似をしてみせた。

「お褒めに預かり光栄です、ではどうぞ。」

「ああ、ありがとう。」

そして私は、扉を開けた。

「えっ、あの、―――こんな、」

奴の、篠原守の間抜けた声を右隣に聞きながら、私は立っていた。


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