2027年:災厄の中に咲いた花 第九章

 陸上自衛隊幹部候補生学校を卒業した佐伯丞三等陸尉は、初の任官先である第二普通科連隊が駐屯している高田駐屯地に赴く前日、長野県松本市内にある実家で、慌ただしい朝を過ごしていた。

 電車の時刻まで、あと三十分。渋滞等の可能性も考えると、もう一刻の猶予もない。

 怒涛の勢いで朝食を詰め込む佐伯だったが、その横では弟の守(まもる)が、のんびりとした様子で朝のニュースを眺めていた。

 恐らく、国営放送だろう。女性のニュースキャスターが、透き通った綺麗な声音で、実に聞きやすくニュースを読み上げている。

『三日午後――』

 急いでいても、その声は耳によく届く。佐伯は味噌汁をかけ込みながら、食べる速度に影響が出ない範囲で、その声に耳を傾けた。

『神奈川県足柄下郡箱根町の九条神社の境内で、少年の遺体が発見されました』

(殺人事件か)

 咄嗟に、佐伯はそう思う。だがよく聞いてみると、そういうことではないようだ。

『神奈川県警によりますと、亡くなった少年の友人が現場に居合わせ、警察に通報。警察の調べに対し、「御神体の宝剣が地震の衝撃で落下して、それが少年の腹部に刺さった」と証言しており、警察では事件性の有無を慎重に捜査しています』

(それは……災難だったな)

 佐伯は、その痛ましい事件に顔を顰めた。

 少年と言うからには、まだ未成年なのだろう。もしかしたら小学生か、もっと小さな子供かもしれない。

 いずれにせよ、未来ある若い生命だ。きっと希望溢れる未来を、一途に夢見ていたに違いない。にもかかわらず、突然の事故によってそれを奪われ、本人も、そしてご家族も、大変なショックだったろう。

 どんな形であれ、子どもが亡くなるなんてこと、本来はあってはならないことなのだ。

「……よし!」

 佐伯は、暗くなりかけた気分を払拭するようにそう一声叫ぶと、勢いよく立ち上がった。

 隣で呑気に食事をしていた守が、ビクッと震える。

「……え? 兄貴、一体なんなんだよ……」

 守からしたら、兄の突然の奇行だ。幹部候補生学校の厳しい訓練生活で、頭のネジがどこか外れてしまったのではないかと心配になる。

 しかし、佐伯は気にしない。心の中で彼の冥福を静かに祈ると――

(君の分まで、この国のために頑張るからな)

 見ず知らずの彼と、そんな秘密の約束を交わした。誰にも知られることのないその小さな約束は、けれどきっと、この佐伯という自衛官の心の中で、彼を奮起させ続けるに違いない。 

「じゃあ、行ってくる!」

 佐伯は、食べ終えた食器をシンクに置き、力強く歩き始める。彼の門出を祝うように、雲一つない青空と、心地の良い陽気が彼の全身を包み込んだ。

 目指すは、新潟県。日本海沿岸の防衛の要。


 ニ〇ニ一年四月。

 それは、透き通るような蒼天が、まだ確かに、日本の上空に広がっていた頃の出来事だった。

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