2023年:幕間のひと時 第九章
「新年、明けましておめでとうございます!
皆様はこの善き日を如何お過ごしでしょうか?
皆様ご存知の通り、私は今日も今日とて、勤労に明け暮れております。そう――本日も『Journal de 24 heures』の時間がやってきたのです。
さて、本年最初のニュースはやはりこれ。昨年末、全フランス中を震撼させた『オペラ・バスティーユの悲喜劇』についての特集です。あの衝撃的な事件から一週間が経ち、少しずつですが全貌が明らかになりつつあるあの事件。ここらで一つ、整理してみましょうというのが、今回の主旨なのです。
さて……では皆さんお待ちかね、今日の合いの手を紹介しましょう。皆さんもお馴染みのこの人物――エリザベート・ブラシェール!!」
「……はぁ。大層なご紹介をどうも。そして、明けましておめでとうございます。新年早々大変な番組に呼ばれてしまいましたが……きっちりと給料分は働かせていただきます」
「素晴らしい! 流石、労働者の鑑です。では、給料分しっかり働いてもらう為に、無駄話はこの辺で切り上げて、さっさと先に進みましょう。まずは簡単に、この事件の概要をおさらいするところから始めたいと思います」
「今更? フランスに住む人なら、三歳の幼稚園児でも知っているわよ?」
「まぁそう言わないでください。仕方ないじゃありませんか。進行表にそう書いてあるんですから。文句があるなら、番組構成スタッフに言ってくださいよ。そうしたら、次回から変わるかもしれませんから。私の向かいに座ることになる……相棒の顔がね!」
「は! それは面白い冗談ね。その冗談に対して、言いたいことは十も二十もあるけれど、〝ただ働き〟はしたくないから今は控えるわ。早く先に進んで」
「言われなくとも! えぇ……と、まずこの事件。現場はあのオペラ・バスティーユ。ガルニエ宮に代わる歌劇場として二十世紀末に建てられた、我らがパリオペラのシンボル。この晴れやかな地で、パリオペラ支援団体『OSOP』が主催するガラ公演中に、この悲惨な事件は発生しました。人は皆、この事件をこう呼びます。『オペラ・バスティーユの悲喜劇』! と」
「ねぇ、それなんだけど」
「どれですか?」
「その悲喜劇とか言う訳の分からない呼称よ。確かに街中でたまに聞いたりもするけれど、正直意味が分からなかったのよ。この機会に解説してくださる?」
「もちろん。そのための情報番組ですからね。まず悲劇ってのは分かりますよね? 美しい公演中の不可解な人死。実に三名もの人が亡くなったんです」
「えぇ、そうね。悲劇って言うには少し大袈裟な気もするけれど、まぁ亡くなった人が誰かを考えれば、分からなくもないわ」
「そうなんです。この事件で亡くなった二名は、誰もが知る大物政治家と大物経済学者。最近何かと政界を賑わせていたカミーユ・オードランと経済学界の雄アネット・ブーリエンヌなのです」
「最初聞いた時は本当に驚いたわ。お二人のご冥福を心からお祈りします」
「えぇ、本当に……ただ一部の保守層からは喜びの声も上がっているみたいですね。不謹慎だから表には出てきませんが」
「まぁあの二人は思想的にかなり左寄りだったからね。私も歯に衣着せぬ言い方をすれば、国の政治や経済を任せて良い人間ではないと思っていたわ。私はやっぱり、勤勉に働いた人間がしっかりとその分の給料を貰える世界が正しいと思うから」
「確かに冒頭でも仰ってましたね、給料分はしっかりと働くと」
「そ。それが人としての当然のありようだわ。人より稼いだからってその分を盗られるなんてナンセンスよ。泥棒の発想だわ!」
「さて、変な方向で話がヒートアップしてきましたが、今日の主旨は政策論争ではありません。その辺で止めておきましょう」
「……えぇ、そうね。失礼しました」
「さて、まぁそんなこんなで悲劇の説明だったわけですが、喜劇というのはその死因に起因するんです」
「死因? 私、それは初耳ね」
「そうでしょう? ネット上では結構有名な話なんですが、ネット以外の媒体では何故かあまり報道されませんからね。ラジオでも、多分うちが最初です」
「最初で最後にならないことを祈るわ」
「冗談にならないのでやめて下さい……こほん。さて、ではその死因ですが、有名なかのお二人、実は心臓発作で亡くなったんです」
「心臓発作? 二人揃って? オペラを見て感極まり過ぎたりしたのかしら?」
「それなら良いんですけどね。実は彼らが心臓発作になる直前、ホール中に銃声が響いたんです」
「銃声……亡くなった三人目ね!」
「そうです。この三人目、実に不可解でして。どうやらまだその身元も特定できていないみたいなんです」
「どういうこと? そんなことあるの?」
「ですから、恐らくアンダーワールドの住人ではないかと噂されていて、その証拠に、彼の所持物の中にはサイレンサー付きのアサルトライフルがあったみたいなんです」
「……それは穏やかじゃないわね。まさか、公演者の誰かを殺そうとしていたってこと?」
「可能性はありますね。死人に口なしなので、真相は闇の中ですが。まぁいずれにせよ、彼は誰かを殺す前に別の誰かに殺された。そしてその銃声が響き渡った直後に、二人は心臓発作で倒れた」
「……つまり?」
「突然の銃声に驚いて、二人して心臓発作を起こしてしまったということです! その漫画みたいな展開に、一部の人が不謹慎にも『悲喜劇』なんて言い始めたんです」
「なるほど……しかも、それを聞いていて思い出したわ。確か事件の前日に、カミーユは記者会見をしていなかったかしら?」
「えぇ、そうなんです。どうも彼の事務所に脅迫状が届いたとかで。その場で堂々と『私は銃如きに屈しない!』と大見得を切っていたんですよね」
「それは……災難としか言いようがないわ」
「本当に。Metubeでは、その記者会見の切り抜き動画に『しっかり屈してて草』とコメントされて、既に百万回再生を突破したようです」
「それは……ご冥福をお祈りします」
「そうですね。この場でもう一度、全員で黙祷を――」
プツン――
「良かったんですか? 黙祷を捧げなくて」
「殺された相手に、捧げて貰いたくなんてないだろ?」
ラジオのスイッチを消した俺に、そう尋ねてきた縁に対して短くそう答える。
「まぁその通りですね」
縁も頷く。
「でもどうやら、二人の死は突発性の事故ってことでこのまま処理されそうですね。ひとまずは安心しました」
「うん。それも全部、和人君のお陰」
紫が少し誇らしげな顔で、俺を見ている。
「スナイパーがいることも、二人の霊子線が既に切られてて、死霊線に切り替わってることも、和人君の助言が無かったらきっと気づけなかった。お陰で、みんな無事でここにいられる」
「そうですね。まさか和人君に作戦参謀の才があるなんて思いませんでしたよ。まるで未来を見てきたかのような、素晴らしい采配でした」
縁も、今回の任務成功を我が事のように喜んでいる。
「そんな大したことじゃないよ。結局、フィルマンは倒せなかったわけだし」
結果として、二人がフィルマンに取り憑かれていたのは事実だった。しかし不可解なことに、任務の一週間以上前からフィルマンの介入は無くなり、その代わりに死霊使い《ネクロマンサー》が二人を支配していたのだ。それに気付くまでに三回ほど世界をやり直す羽目になったが、そこまでしても、結局その死霊使いの痕跡を掴むことはできなかった。
フィルマンも倒せず、死霊使いも倒せず――果たして任務が成功と言えるのか……ただソフィアさんは終始満足げな顔を崩さなかったから、恐らく彼らにとっては、それでも今回は十分な成果だったのだろう。
理由は……言うまでもない。
「それでも、初任務にしては上出来ですよ。評議会の面々も、喜んでたじゃないですか」
「……そうだね」
薄い笑みを顔に貼り付ける。これからは、こういうことにもどんどん慣れていかなければいけない。思考を読まれないように心を統御し、制御し、二人に嘘をつき続けなければならない。
それが、俺が選んだ、これから始まる舞台劇の第二幕なのだ。
「ところで和人君」
縁が思い出したように声を上げる。
「多分今日あたり、正式に評議会から帰還命令が降ると思うんですが」
縁が僅かに首を傾ける。顔には少しだけ、縁特有の悪戯っ子の笑みが広がっている。
「でも私たち、フィルマンの探索のためにもう少しフランスを廻る必要があると思うんですよ。ただそうすると、ホテルを空けることになるので、ソフィアさんからその命令を受諾出来なくなっちゃうかもしれないんですよね」
そして広がる困り顔。
「どうしましょうか?」
「そうだな……」
虚空を見ながら考える。二幕目に入る前の僅かな幕間の時間――それくらいなら許して貰えるだろう。
「フィルマンの痕跡を追うのは大切だからな。少しくらいの間命令を受諾できなくなっても、それは仕方ないんじゃないか?」
「そうですよね」
すると、縁が満面の笑顔になる。
「でもお姉ちゃん」
そこで、紫が満を持して割って入る。
「いくらなんでも一日だけじゃ時間が足りないよ。だから一通り巡り終えるまでは、近くのホテルを仮宿にして回るのが良いんじゃないかな?」
「確かに……その通りだね。でもそうすると、下手すると一週間くらい掛かっちゃうかもしれないけど……まぁ仕方ないね!」
「うん、仕方ない」
示し合わせたように二人して頷き合ってから、俺の方に顔を向ける。そして――
「和人君、知ってました? 『アルプスの少女ハイジ』の影響で、ラクレットはスイスの名物料理だって思われてますけど、実はフランスのサヴォワ地方の料理でもあるんですよ?」
「ラクレットって単語も、実は語源はフランス語だから」
縁と紫がそう言って、それぞれの片手を俺に差し出す。
「「だから和人君」」
二人の声が、部屋に響く。
「「美味しいラクレット、食べに行こう」」
それは、ほんの少しの僅かな時間。何事にも気兼ねせず、三人で笑い合える最後の一時。
だから俺は、本心からにっこり微笑んで、二人の片手を、両手で取った。
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