第32話 花火大会
花火大会の当日、夜が来るのを待ち遠しく思いながら病室で過ごしていた。入院生活の暇つぶしで始めたスマホゲームにも飽き、渡辺から借りているスラダンを手に取る。いつもは昼間に来る彼女だが、今日は夜になるまで会えない。果たしてどんな格好をして来るのだろうか。
そういえばトッチーと相本はどうしているのだろう。二人は花火デートに行くのだろうか。ふと気になったのでトッチーにLINEして聞いてみる。しばらくして返信があった。どうやら行かないとのこと。少し意外な気もしたが、トッチーはああ見えて真面目なことを思い出した。花より団子ならぬ花より勉強なのだろう。
窓の外が薄暗くなり始めたのを感じ、僕は病室を出てロビーの方へと向かった。渡辺との待ち合わせ時間にはまだ早いが、それまで病室でじっとしていられなくなったのだ。
ガランとしたロビーで一人椅子に腰かけ渡辺の到着を待つ。時計を見ると、約束の時間までちょうど十分を切ったところ。
その時、エントランスの方から自動ドアの開閉音とともに「カランコロン」と木の鳴る音が聞こえてきた。青色を基調とした浴衣に身を包んだ女子。病院にそんな格好で来るなんて一人しかいないではないか。
僕に気づいていない様子の渡辺に、手を振って合図をする。彼女は少し驚いた感じで近づいて来た。
「ここで待ってたんだ。病室にいなくても大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。先生の許可は取っているから。それよりその浴衣、すごく似合ってる」
花柄がデザインされた浴衣は、渡辺の可憐さを一層際立たせている。想像していたよりも何倍も可愛い彼女の姿が目の前にあった。
「もう少ししたら看護師のおばちゃんも来ると思うから、それまでちょっと待っていようか」
そう言って僕は渡辺を椅子に促した。
「――そうだ、ごめん。今日、漫画持ってきてないや」
「そんなの全然いいよ。今日は渡辺の浴衣姿見れただけで十分」
そう言って渡辺と目を合わせると、彼女は照れくさそうに顔を下げてしまった。
「あらー‼素敵な浴衣じゃないの‼よく似合ってるわ」
ベテラン看護師がやって来た。
よかったわねー、そう言って僕の背中を叩いてくる。この人は、僕が腰を痛めていることを忘れているのかもしれない。
「さあ、行きましょっか。こっそりね」
僕と渡辺は立ち上がり、ベテラン看護師の後を付いて歩く。傍から見れば怪しい三人組だが、ベテラン看護師が居れば誰も文句を言ってこない。
エレベーターに乗って最上階を目指す。ベテラン看護師は得意げに人差し指で鍵をクルクルと回していた。
最上階から屋上へは、階段で上がっていく。渡辺は僕を支えながらゆっくりと段差を上がってくれた。ベテラン看護師は先に上がって、扉にカギを差し込んでいる。
「さあどうぞお入り」
ベテラン看護師が扉を開けて待ってくれている。僕と渡辺も階段を上がり終え、屋上へと足を踏み入れた。生ぬるい風が顔を撫でる。
あたりはすっかり暗くなっていた。手すりの方に近づくと、眼前には街の明かりが広がっている。
落ちないようにね、ベテラン看護師はそんな冗談を言う。
三人並んで夜景に目を向ける。
何だかこの光景だけでも見る価値があったな、僕は隣に立つ渡辺の方を見た。渡辺は僕の方を向いてくれなかったが、代わりに彼女の隣に立っているベテラン看護師と目があった。僕たちのことを満足げに眺めているようだった。
「あっ」渡辺が小さく声を発した。
何事かと前を向くと、夜空に花が咲いていた。少し遅れて「ドカン」という音が耳に届く。花火大会が始まったようだ。
僕たち三人はしばらくの間、咲いては散り、また咲いては散りを繰り返す星の花に、目を奪われていた。いつもはお喋りなベテラン看護師も、花火の前では口を開こうとしなかった。
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