第27話 父のため
翌朝、いつもとは違うベッドの感触に戸惑いながら身体を起こそうとしたところ、腰に鈍い痛みが走る。おかげで自分の置かれている状況をすぐに思い出すことが出来た。まったく嫌な目覚め方である。
父と母は、朝のうちに病院にやってきた。僕は父の姿を見て、仕事はどうしたのかと思ったが、土曜日なので元から休みであった。
父は母からすでに、僕の怪我の容体や手術の話を聞いているらしい。
「大丈夫、何も心配することはない」父は僕に向かってそう言ってきた。
何も心配することはない、とは何を指して言っているのだろうか。学校のこと、サッカーのこと、僕の将来のこと、色んなことが頭に浮かぶ。
「手術、受ける気でいるんだろ?」
そのことか……僕は目を落とした。正直、手術をしても意味がないと思っている。なぜなら、このままサッカーを辞めてもいいと考えているからだ。
「伊織のこれからのサッカー人生のことを考えると、父さんは手術をしたほうが良いと思っている。ちょうど夏休みに入ることだ、数週間入院しても学業に支障はでない。お金の心配だってないんだ」
父は慈愛に満ちた表情で僕を見てくる。この人は、僕がサッカーを辞めようと考えているとは微塵たりとも思っていないのだ。
僕にサッカーの英才教育を施してくれたのは父であった。物心つく前からボールに触れさせ、僕にサッカーの楽しさを教えてくれた。小学校に上がってすぐ、僕はサッカークラブに入ったが、父が無理やり入れたのではない。僕が入りたいと言ったのだ。クラブの練習が無い日は、父と二人公園で練習した。その甲斐あって、僕はめきめきと力をつけていった。
高校受験の時、母は僕が勉強よりサッカーに重きを置いて進学先を選ぼうとすることに否定的であった。「伊織の好きにさせてあげよう」そう言って、母を納得させたのは父である。高校に入ってからも、父は僕の試合に必ず駆けつけてくれた。
父との会話といったら、専らサッカーの話題だ。テストで悪い点数を取って帰っても、怒られた記憶はない。それだけ父はサッカーが好き、否、サッカー以外のことに興味がないと言ったほうが適切かもしれない。
ある時ふと思ったことがある。父は僕のことを応援しているというより、「サッカーをしている」僕のことを応援しているのではないか。僕がサッカーをやっていなければ、父はそんな息子になんて興味を持たなかったのではないかと。
父は僕と同様、青春時代をサッカーに捧げた一人だった。プロを目指して最終的に大学までプレーを続けていたという。父は息子である僕に、自分が叶えられなかった夢を託そうとしているのだ。僕はそれを薄々感じていたが、嫌な気もしなかった。むしろ僕がサッカーを頑張る動機付けになっていた。
しかしここにきて初めて、僕は目の前に立つ父に対し強い反感を抱いている。
手術はしない、サッカーは辞める。僕が今この場でそう宣言したら、父はどんな反応を示すだろうか。きっと、これまで一度も僕に見せたことのないような悲しい顔を浮かべるに違いない。僕はその顔を想像した。
それと同時に、胸の辺りがキュッと締め付けられそうになる。親に悲しい思いをさせたくない。親心というのがあればその逆もあるのだ。結局僕には、父の期待を裏切るような真似は出来なかった。
手術を受けようと思う、僕はそう言った。
父は僕の決断を聞いて満足げに頷き、「大丈夫、何も心配することはない」そう言って僕の肩にそっと手を乗せる。
気力が抜けた僕の身体には父の手がやけに重たく感じた。僕は何のために手術をするのだろうか。それは父のためであろう。そしてふと思った。僕が今までの人生、これほどまでにサッカーを頑張ってきた理由も、結局すべて父のためだったのではないかと。
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