第23話 水たまりのグランド

六月も後半、今週に入って気象台から梅雨入りが発表された。今日も朝から雨だったが、放課後までには止んだ。練習着に着替えてグランドへ向かうが、大きな水たまりがいくつかできている。


野球部の連中が校舎の方へと駆けていく。どうやらグランドでの練習は断念して、屋内でトレーニングするようだ。だとすれば、今日はあれを聴けないのか、僕は少し残念に思った。


「水たまり出来てんなー」


そう言って誰かが僕の肩を叩いた。まあ、声で誰なのかは明白であるが。そう思いつつ、後ろを振り向く。


「おわっ⁉」


「何だよその反応、もういいって」


キャプテンはうんざりした顔を見せた。そう言われたって、慣れないのだから仕方がない。未だに野球部の誰かと見間違えをする。インターハイ予選を敗退した後、キャプテンは頭を丸めたのだった。


キャプテンが坊主頭で僕らの前に現れたときの衝撃といったら例えようがない。キャプテンは単なるイメチェンだと主張したが、そうでないことはわかりきっていた。インターハイ予選で早々と散ったことに対する、反省と責任。それから、選手権予選へ向けての覚悟といったところか。


キャプテンは熱い男だ。サッカーの技量が高いかと言ったら、正直微妙なところである。しかし、チームの誰よりも体を張ってプレーし、誰よりも声を出す。僕に足りない何かを彼は持っているのだ。


新チームのキャプテンは、前任のキャプテンからの指名により決定される。去年、新チームになる前の時点で、新キャプテンの筆頭候補に挙げられていたのは紛れもなく僕であった。二年生の時点でエースナンバーを付けていたので、当然といえば当然である。しかし、実際に指名されたのはベンチ入りすらしていない彼であった。


僕は特にキャプテンを目指していたわけでもなかったので、そのことに何ら不満を感じたりはしていない。だが、周りのチームメイトがどう思ったかは別だ。前任のキャプテンは何を考えているのか、新チームになった当初はそんな声を耳にすることもあった。


ただ、前任のキャプテンの判断は正しかったのだ。今や、彼がキャプテンであることに不満を漏らすものは一人としていない。チームの先頭に立つ彼の背中を皆が自然と追いかける、そんな理想的なキャプテンに彼はなったのだ。


「先にグランド整備から始めるぞ」


部員にそう呼びかけながら、坊主頭のキャプテンが率先してグランドに入っていく。去年までは、雨が降った時のグランド整備に三年生が加わることはなかった。練習前にユニフォームを汚したいと思う物好きはいない。そんな役目は下級生に任せよう、その習慣を絶ったのが他の誰でもないキャプテンだった。


正直やれやれと思うのだが、後輩たちと並んで作業するのも案外悪くない。僕もスポンジ片手に、水たまり退治へ挑む。


キャプテンが坊主になってから、うちの部ではおかしな現象が発生している。 それは下級生の間で特に見られるのだが、頭を坊主にする部員が日に日に増えていっているのだ。誰かがそうしろと強制しているわけでは断じてない。ただ自分たちの好き勝手でやっているのだ。


「末永先輩は坊主にしないんですか?」


隣で水を吸っていた後輩が聞いてきた。彼ももれなく坊主頭だ。同じ頭が多すぎて、誰が誰だかわからない。


「坊主にしたところで、サッカーが上手になるとは限らんからな」


「えー、坊主良いですよ。頭洗うときシャンプー要らずだし、僕これからずっとこの髪型で良いかなと思ってます」


「そっかー。ちょっと考えてみようかな」


とりあえずそう返しておいた。


野球部の子が話していたのだが、坊主頭は夏場が地獄らしい。頭皮を日光がそのまま刺激するため、ひどく日焼けするそうだ。シャワーなんか当てられたものではないと言っていた。無垢な後輩くんはそんなこと知らないのであろう。


「あっ、末永先輩、今日も始まるみたいですよ。野球部のあれが」


僕は水たまりから視線を上げて、野球部のグランドがある方を見た。バックネットの前に、ユニフォーム姿の野球部の部員が十人ちょっと並んでいる。


「ひかりー輝くー菩提樹のー」


野球部では夏の大会を目前に控えたこの時期、一年生がグランドに向かって校歌の練習をするのが恒例になっている。三年生にもなると、すっかり見慣れた光景になった。


「恥ずかしくないんですかね。あんなに声を張り上げて。歌ってるというより、叫んでるだけじゃないですか」


後輩くんは何にもわかってない。でも僕が一年生だった頃は、彼と同じように思っていたのかもしれない。僕は何だか懐かしく感じる。高校に入って、何度となく校歌を聴いているうちに、自然と愛着が湧いてくるものだ。今だって心の中では、野球部の彼らと一緒になって校歌を口ずさんでいる。


てっきり今日は聴けないものと思っていたので、何だか得した気分だ。僕は水たまりに視線を戻して、スポンジで泥水を吸い上げる。後輩くんはまだ野球部の方を見ながら、ダサいダサいとこぼしていた。


「サッカー部も校歌の練習取り入れてみようか」


「えっ、まじ勘弁してくださいよ」


後輩くんは露骨に嫌な顔を見せるが、その坊主頭で言われても説得力がない。


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