第一話 途中の始まり 4
一人が二人になった。
それは単純な倍ではない。
誰からも見られなかった私が、誰かに見られるようになり、独り言すら忘れていた私に会話の相手ができた。
その日はアランには空いている部屋に行ってもらった。
朝いつもより少しだけ早く目が覚めたとき、私は昨日の出来事が本当かどうか確認をしたい気持ちになった。とはいえアランの部屋に行く気にはなれない。十六歳から男性はおろか人と接することもなかったのだから仕方ない。
調理場へ向かう足が浮ついているのがわかる。
食卓を抜けて調理場に入るが、普段通りの朝食でいいのだろうかと思う。少しは豪華にした方がいいのだろうか、お客様であることは変わりはないのだし。そうはいってもここで用意できるものは少ない。
布が擦れる音を聞いて食卓のドアの方を見る。
「あ、あの、あの、おはようございます」
「ああ、おはよう」
アランは昨日と同じく白い顔で、眠そうにもしていなかった。
「眠れ、ましたか?」
「ああ、うん、そうだね、休むことはできた」
「そうですか」
アランの言い回しに多少の違和感を持ちつつも、視線の先にキッチンがあるのがわかった。
「今、朝ご飯を作ろうと」
「ありがとう」
「座っていてください」
私の言う通り、彼は食卓へと戻っていった。
結局いつも通りのパンといくつかの燻製肉の切れ端を乗せて食卓に戻った。
「こんなものしかないですけど、食べましょう」
「うん? ああ」
一瞬アランが戸惑った気がした。
「食べられないものがありましたか?」
「いや、大丈夫」
細い手で彼がパンを手に取り、ちぎって食べ始める。
「あの、いつですか?」
「うん?」
「いつ、私は出られますか?」
朝会ったら聞きたいことは山ほどあって、夜もなかなか寝付けなかった。その一番大事なことがこの質問だった。
「そうだな、君次第だが、二週間くらいだと思ってくれればいい」
「二週間……」
「エミーリア、君が今までいた長さに比べれば些細な期間だろう? 私としてもなるべく早く戻りたいところだが、こればかりはどうしようもない」
「わかり、ました。やります!」
「元気なのはいいことだ」
アランが口に手を当てて笑った。
「それで、婚約っていうのは……」
「ああ、契約だよ。魔術師というのは主従関係を大事にする。この場合は本来弟子という形になるが……」
「対等じゃないんですか?」
結婚するとなればお互いの立場は同格のはずだ。私だって夫と妻に差があることくらいはわかってはいるが、不平を言うくらいは許されるはず。
「形式上の問題だよ。私を師匠と呼ぶか夫と呼ぶか、君の自由にすればいい」
「そんな」
「私はどちらでもいいよ」
「でも」
「深く考えることでもないさ」
「深く考えることです!」
当たり前じゃないか。師弟と夫婦では意味が違いすぎる。
「そう、それならじっくり考えるといい」
「あの、弟子は他にいるんですか?」
アランは首を捻る。
「いないこともないが……、あいつは今頃どうしているかな……」
「じゃあ一番弟子じゃないんですね?」
「君が? そうだね、一番ではない」
「その人は女性ですか?」
「そうだったはずだが、それが何か……」
「じゃあ弟子はいやです」
「また頬を膨らませて。どういう心境で……。いいや、いい、わかった。私が君を上手く使ってみよう」
「使う?」
「魔術の理論体系としてはね、そういうことになる」
「どういう意味ですか? 私が出来損ないだからですか?」
「そう食ってかからないでほしいね。とりあえず今日はこの城を案内してくれないか? 調べたいこともあるし、今日の夜から少しずつ始めていこう。私がエミーリア、君を立派な魔術師にしよう。君にはその素質がある」
さりげなく褒められているような気がして胸が気持ち熱くなる。六歳のあの日から、哀れに思われたことも疎まれたこともあったが、まともに褒められたためしなどなかったのだ。
「わかりました。じゃあお皿を片付けたら。でも案内の前に掃除をさせてください」
「掃除?」
「午前の日課なんです」
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