第一話 途中の始まり 3
今彼は食卓のテーブルの並んだ椅子の真ん中に腰をかけていた。
その向かい側に私が座っている。
テーブルの上には私が淹れた紅茶が置かれている。誰かのために用意したのは初めてだった。
「あの」
「うん?」
「お茶、冷めます」
私が言う。
「頬を膨らませるようなことでもないよ」
「そう見えましたか?」
彼の言葉にムッとする。
「いいや、すまない」
アランと名乗った彼はカップを持つ。白い腕はかなり細く、私とさほど変わりないと思った。彼が少しだけ口をつけた。冬でもないのに、口から白い息が漏れた気がした。
「あの、国家魔術師なんですね」
「ああ、一応ね。試験に合格したのは十六歳だ」
私と同じ歳、私が見捨てられた歳に彼は国家魔術師になったということだ。
「すごいですね」
「試験に受かるなんてことはたいしたことではない。それに秀でた者にはそれなりの地位が与えられるべきだ。そうだろう?」
彼は自分を疑っていない、やや自信過剰にも思えた。
「わかりませんけど」
「それは君もそうだ。そうは思わないかい?」
私はそれを聞いて、下を向いてしまう。
かつて特別で明るい未来が見えていた私、そしてそれが失われてただ毎日を過ごすだけの私。
「それで、あなたは」
話を切り替えた私に彼が頬杖をついた。
「さっき言った通り、私の名前はアラン。私は君と結婚をするためにこの城にやってきた」
さらりと彼が言う。
「けけけ、結婚って!」
「君に求婚する人間はたくさんいただろう?」
アランは冷静で、おどけてもおらず、嘘を言っているようには見えなかった。
「それは、私が、まだ」
私に価値があった時期の話だ。
「それはそうだ。だが別に、今断る理由もないのだろう?」
「そ、う、かもしれないけど、断るとか断らないとかじゃなくて」
「それとも君の相手には私は不足かな?」
「いや、だからそういうのとか」
「まあ、昨日今日という話ではないよ」
「そもそも、どうして……。私が……」
アランがカップの紅茶をぐいっと飲み干した。
ほうっと息を吐く。
一つ一つの動作が優雅に見える。彼の家がそれなりの格式を持っていることがわかりそうだった。
「君が幽閉されたあとの状況を説明したいと思う。いいね?」
「うん」
出会って一時間も経っていないのにその押しの強さに引き気味だった。
アランが背後を振り返り、城の外を指さした。
「丘の向こう、もっと中央都市から離れたところで私たちの国は隣国と戦争状態にある。兵力はほぼ均衡状態、膠着が続いて長い。決定打となるべく魔術師が実戦に投入されてようとしているが、正直彼らがどこまで力になるのかがわからない。なぜ力になるのかわからないか、意味がわかるね?」
「魔術師は、戦うためにいるわけじゃないから」
アランが指を立てた。
「その通り。我々は真理の探究者だ。研究者なんだよ。国が何を思っているかはわからないが、我々は一騎当千の万能人間ではないし、ほとんどが戦闘には慣れていない。国中の魔術師を集めたところで、結局は素人の寄せ集めだ。それでどうにかなると国が思っているとしたら、あまりにも甘く見積もりすぎている。しかし、どうやら同じことを向こうの国も考えているようだった」
「魔術師同士を、戦わせようとしている?」
「ああ、そうなると話は少し変わってくる。単なる物量戦なら兵士を投入すべきだが、魔術師が出てくるとなると、こちらも魔術師を出さざるをえない。一騎当千ではないとしても、魔術師は戦況を混沌に向かわせる可能性が高いからね。我々がもっとも得意とするものは」
「認識の改変」
「そう、そうだ。エミーリア、君は学問としては十分に勉強しているようだね」
「それは、そうです」
十歳から魔術を学んだ。誰にも言えなかったが魔術を使えないのではという思いははやくからあった。だからこそ、理論は必死になって覚えた。そうすれば、いつか魔術が使えるようになるのではという淡い期待があったからだ。
「認識の改変、そう、我々魔術師が優れているのは人間がどのような存在なのか、あるいは自然現象がどう成り立っているかを解明し、理解し、理論に落とし込むことだ。国が期待するような、杖から炎が出たり、魔方陣を描いて竜巻を起こしたりなんてのは、結果論に過ぎない」
もちろん私はアランが言う結果論ですら何一つ使うことができない。
「炎を出したところでちょっとは敵に効くかもしれないが、それは火矢を放てばいいことだ。魔術師が出る必要はない。兵士の数に比べれば魔術師なんて誤差みたいなものだ。しかし、相手は魔術師を使おうとしている。魔術師が本当は何ができるのか、それは相手が先に理解したようだ。しかもどうやら我々よりも数が多いらしい。そんな中で、大勢が認識の改変を行おうとするのであれば、我々は劣勢になるだろう」
認識の改変。
かみ砕いていえば『人間がどのように世界を捉えているか』を『書き換える』ことだ。普段はそれを魔術師自身が深遠な世界をのぞき込むのに使う。一方で魔術耐性のないものがその魔術を浴びれば、よくて幻覚や幻聴が現れ、悪ければ発狂して自我を失ってしまう。魔術師は倫理によってこの基礎にして強力な魔術を一般の人間には使わないようにしている。
「我々一人一人が掛けられる人数はそれほど多くない。人にかけるための魔術でもないしね。だから今までは戦況に影響するほどの事態にはならなかった。ただ相手が魔術を使うつもりなら、対抗するためには我々も出ないといけない。私としても、ああ、私は現場指揮と作戦立案者の一人なのだが、できれば被害は最小限にしたい。さて、そこで君の話になる」
「私の?」
アランが頷いた。
「数で劣る我々は、質を上げなければならない。もしくは、単純に『もっと多くの』改変を行わなければならない。前者を進めるには時間がかかりすぎる、が、後者なら?」
「私を魔術師として使うの?」
「そう。誰もが君のことを忘れてしまっていても、私は君のことを覚えていた。君ならば、この状況を覆せると思った」
「でも、私は、魔術なんて」
「そこは私がなんとかしよう。策はある」
「でも」
今までたくさんの人がどうにかしようとしてもどうもならなかった。それをアランはなんとかできると言っている。だからといって昔みたいに無邪気に期待できるわけもない。絶望はいくらでも味わってきたのだから。
「悪い話ではないと思うけどね。この話に同意してくれるのであれば、君が望むものが手に入る。それも二つだ」
「二つ?」
「一つは魔術師としての称号」
ああ、それは私がずっと昔に捨ててしまった、手に入らなかったはずのものだ。
「あと一つは?」
「エミーリア、君を外に連れ出すことができる」
「外に!?」
それは私が何より望んでいたことだった。魔術師の称号なんて消し飛ぶくらいのものだ。
「本当に!?」
「本当だとも。君を連れ出さないことには何も始まらないからね」
「それ、なら」
少しは信じてみてもいいかもしれない。
「でも、この結界は」
「それもなんとかできる。すべての結界には穴がある。私がこの中に入れたように、君を外に出す方法もある」
「だったら、はやく」
「すまない、残念だが、それはまだできない」
アランが首を振った。
「どうして!」
テーブルを叩いて立ち上がってしまった。
「それなりの準備がある。それに、何より君自身が自分を理解する必要がある。そしてもっとも大事なことだけど」
アランがふっと笑みをこぼした。
「君が有用であると私に証明させることができるかどうかだ」
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