第一話 途中の始まり 2

 朝、いつものように目が覚めて、顔を洗い、食卓でパンを食べ、今日はどこを掃除しようかと考えていた。

 城の窓から外を見る。風景の少し先に丘が見える。

 私はこの城で住むようになってから一度も城の外に出ていない。

 出ないのではなく、出られないのだ。

 城の少し外を覆うように結界が張られていて、二つのものを防いでいる。

 一つは外からの来訪者。

 何人たりとも『生きている人間』を通さない。

 そもそも外から城を認識することができない。

 城に向かって直進しようとしても、認識が曲げられているので迂回してしまうのだ。

 もう一つは私自身。

 結界に近づくと途端に気分が悪くなってしまう。

 もっと近づくと結界に触れることもできず、その場に倒れてしまう。

 ここに幽閉されてから何度か試してみたが、結局出ることはできなかった。

 なぜ私がこんな目に遭わされているのか。

 十歳の誕生日、私は幸せの頂点にいた。

 地方領主だった私の家では、十歳の誕生日に魔術適性確認の儀式が行われている。私も同じで、清められた聖水に手を入れ反応を伺った。その結果、私の魔力量は標準的な魔術師を大幅に上回っていた。しかも儀式では判定不能とされる量、常人の数千倍であることがわかった。

 両親はとても喜んだ。領主とはいえ中心都市からは離れているし、身分としても高くない。周囲は令嬢として認識しているが、それはあくまで田舎だからだ。子供が魔術師となり、あわよくば国家魔術師にでもなれれば家としての格も上がるだろう。

 その日から私は周りから大事にされ育ちつつ、魔術師となるべく訓練を受けた。

 どこから噂を聞きつけたのか、こんな子供にも婚約者の申し出の列ができた。その中には有名な魔術師の家系も、また中央都市に貴族の家系もあった。まさによりどりみどりで、両親は自らが選ぶ立場になったことを誇らしく思っているようだった。

 それくらい私は未来を嘱望されていた。

 それから五年が経ち、十五歳になった私は、みんなの期待通り優秀な魔術師見習にでもなれたのか。

 そうはならなかった。

 私は教えられた魔術を一つたりとも使うことができなかった。

 さすがにおかしいと思った両親が方々に手を回して私は数々の実験を受けることになった。

 わかったことは十歳のときの判定は間違っていないことだった。私は数千倍の魔力を人より持ちつつ、その一方でその魔力を欠片を使うこともできない、ということもわかった。

 魔術は体内にある魔力と、自然界や空気に含まれる魔素と呼ばれるものを掛け合わせることによって成り立つ。その接続能力を大抵の魔術師は持っているが、それが私には全くなかったのだ。

 使うことのできない魔力を大量に抱えているとはどういうことなのか。

 骨と皮と肉の隙間にびっちり詰められた爆薬だ。

 魔術を使えないことはわかったが、この魔力がいつか暴走してしまうことも周囲は恐れた。私を見た魔術師たちは、私が災厄をもたらすとまで宣言した。私を即刻処分すべきだという意見もあったらしいが、私が死ぬときに何が起こるのかさえわからなかった彼らは、私が誰にも接触できないよう幽閉することにした。

 それがこの私、この城だ。

 十六歳の誕生日から私はここで暮らしている。結界の通り、誰も訪れたことはない。

 今日はやっぱり洗濯にしよう。そう私が決めたときだった。

 ドンッ!

 という音が城中に響いた。石造りの城がビリリと振動しているようだった。今までこんな音が聞こえたことはない。少し躊躇したが、思い切って音のする方向へと向かう。音は城の入り口の方だった。

 胸騒ぎがして足も速くなっている。

 この退屈な生活で、何かが起こっている。

 城の扉を開けて外に出る。結界のせいで頭がふらつくが、それもおかまいなしに歩を進める。

 そこで倒れている存在に気がつく。

 人間が結界の内側でうつ伏せに倒れている。

 どうやって侵入したかはさておき、事態は一刻を争うような気がして、そばまで駆け寄る。めまいがする、もう少しで吐いてしまいそうだった。

「あ、あ、あの」

 久しぶりに声を出したので言葉が詰まる。

「あの、あの」

 こういうとき、なんて言えばいいのか。

 頭の中に詰め込まれたたくさんの物語のページをめくって適切な言葉を探す。

 倒れている人間は反応しない。

 黒いロードケープを着て、頭にはフードを被っている。私よりも大きい、男性だろうか。

「生きて、ますか?!」

 音量の調節が上手くいかない。

 投げ出されている左手の指がピクリと動いた気がした。

 胴に周り、両脇を掴んで引きずる。かなり重いが、徐々に動かすことができた。なんとか城の扉を抜けて、床に転がす。

 このまま危険な気がしたので、彼を仰向けにひっくり返す。

 そこでようやく彼の顔が見えた。

 彫りの深い顔は顔面蒼白で呼吸をしているのかも疑わしい。瞳は閉じていて、長い睫毛が覆い被さっている。薄い唇に耳を近づけてみる。かすかに空気の流れがある。

 生きている。

 次はどうすればいいのだろう。

 彼の胸を見る。空気の流れで上下をしているようだった。ロープがはだけて中に青いシャツを着ているのがわかった。青いシャツに黒ロードケープ、その姿を私は知っている。国家直属の国家魔術師、魔術師の中でも相当のエリートだ。

 どうして国家魔術師がこんなところに、いや、どうやって中に。

 そんなことを考えている暇はない。

 そうだ、心臓マッサージをすればいいのか。

 胸に左手を当て押し込もうとしたときだった。

 私の左手首を何かが勢いよく掴む。

「なっ」

「大丈夫だ」

 低い声が聞こえた。

 彼が頭を起こす。青みがかった瞳がこちらを真っ直ぐに見ている。

「もう大丈夫だ」

 彼が私を掴んでいる右手を離した。

「あの、あの」

「助けてくれてありがとう」

 彼は私とは正反対でとても落ち着いた静かな声で言った。

「君が、エミーリアだね」

 彼は上体を起こし、腕についた土をはらった。

「え、うん、うん」

 私の名前が人から発せられたのはいつぶりだろうか。

「あの、あなたは」

「私はアラン。エミーリア、君の最後の婚約者だ」

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