第9話 特訓
春休みになった。元々の予定では毎日アルバイトに精を出していたはずだったけど、色々な手違い勘違いが重なった結果、倉橋邸の敷地内に建っている道場で地獄の特訓を毎日受けている。
執事兼ボディーガードとして働くことになったため、最低限の強さを身に付けるべく
先生役は、倉橋家の使用人の佐伯彩香さん。この人、合気道の達人だったんだよね。素が美人なので道着姿は様になってて格好良いし、大人の色気も醸し出しているので思春期真っ只中の高校生には刺激が強すぎる。
だけどね、そんな超強くて美人なお姉さまに稽古をつけてもらってラッキーかと言えば決してそうでもないんだよ。
なにせこの人、本気の殺意を隠さないレベルで俺を嫌っているからね。ちょっとでも気を抜けば骨の一本や二本、簡単に折りに来るから一瞬も油断ができないんだよ。
今もスパーンと気持ちよく投げられている。あと殴られる。合気道って投げ技だけってイメージあったけど、突き技もちゃんとあった。しかも佐伯先輩は寸止めなんて一切してくれない。「痛くないと覚えない」と言っているけど、絶対私怨が入っているし、なんなら稽古に耐えられなくなった俺が執事を辞退するのを期待している。
でも1日5千円の日当が出るらしいし、なにより今回の仕事には妹の将来がかかっている。少々痛い目に遭ったところで諦めるわけにはいかない。
「藤野くん頑張れ~」
今日は特訓最終日ということもあり、倉橋さんが見学に来ている。これからお仕えする人の前であまり無様は晒したくない。
「……お嬢様から声援を受けるだと?キサマ、死にたいらしいな」
『潰す』『ロリコンめ』『羨ましい』『殺す』
俺を見る佐伯先輩の目に狂気が宿った。美少女からの声援はとても嬉しいけど、その度に佐伯先輩の攻撃力が上がるという呪いが発動するのでプラマイゼロ。
「イテテッ……」
「大丈夫?あ~、ここ腫れてるね、痛そう。ちょっとジッとしててね」
佐伯先輩に容赦なくボコボコにされた俺を見かねて、倉橋さんが応急手当をしてくれた。有難いし嬉しいんだけど、倉橋さんのような美人がすぐ近くにいると恥ずかしいというのが最初にくる。いい匂いもするからなんか顔が熱くなってくる。柱の影から見ている佐伯先輩が「グギギギッ」と歯ぎしりしているが気づかないことにしておこう。
「ありがとう倉橋さん。格好悪いところを見せちゃったね」
恥ずかしさを誤魔化すために会話することにした。なにせ俺、ロリコンってことになっているからね、同年代の女の子に鼻の下を伸ばすわけにはいかないのだ。
「そんなことないよ、藤野くんすごく頑張ってたの分かるし。素人相手に彩ちゃんがやり過ぎなんだよ。後で叱っておくからね」
「えぇっ!お嬢様?!……」
柱の影から絶望の声が聞こえたが気づかないことにしておこう。
「それにしても春休みの間にかなり強くなったんじゃない?」
「そりゃもう、大切なお嬢さまを守るために頑張りましたとも。倉橋さんの可愛い笑顔は俺が守るから!」
嘘です、佐伯先輩の本気攻撃を必死で避けていたから、避けるのだけは上手くなったんです。
「またまたぁ、口が上手いな~藤野くんは」
『どうせ嘘』『軽く流しとこ』『ロリコンのくせに』
嘘なのバレてたよ。まあそりゃロリコンだと思っている男の言葉なんて本気にしないわな。
「では明日から本格的にお嬢様の校内限定の執事として働いてもらうことになる。あくまでメインは授業の補助なので、そこの所だけ気を付けてくれれば問題ない。くれぐれもお嬢様に迷惑をかけないようにしろ。もしまた不埒なことをしたら、そのときは魚の餌になってもらうからな」
最後に佐伯先輩から有難いお言葉を頂く。どうやら「沈められるか埋められるか」の選択は「沈められる」になったらしい。
「藤野くん、これからよろしくね~」
倉橋さんとはけっこう自然に話ができるようになった。毎日のように倉橋邸に通っていたから適度な距離を保ってなら普通に会話できるようになったんだよね。でもこのお嬢様、いまいち捉えどころがないんだよ。
いつも楽しそうにニコニコしているくせに、思考カードは『寂しい』『つまらない』『仕方ない』などのネガティブな言葉が表示されている。
しかも俺の顔を見たときは『ロリ紳士』『変態さん』などといった文字通りの殺し文句が並ぶ。仕える予定のお嬢様に変態と見られているのは、けっこう精神が削られる。
ちなみに稽古は今後も続けることになった。多少は強くなったが、まだまだ倉橋家の使用人を名乗るレベルには達していないらしい。
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