第2話 設定だよね?

「マジかぁ~そりゃ災難だったな」


「ホントだよ。俺もついに楽園デビュー!とか思ってたのにさ」


放課後の教室で和人にウソ告の経緯を話すと、意外にも同情してくれた。


「笑ってくれても良いよ?」


むしろ笑ってくれた方が気持ちが楽かも。


「いやこれは笑えない。これもう立派なセクハラじゃね?それかイジメだよな。あいつら陰でこんなことやってたのか、まったくしょうがねぇ奴らだ」


和人は笑うどころか怒ってくれた。ちょっと嬉しい。


市川和人はクラスで唯一の友人だ。知り合ったのは一年前にこの高校に入ってからだけど、もはや何年もつるんでいたくらいに居心地が良い。裏表もない奴だから俺が顔を見て話ができる数少ない人間の一人だ。


俺がこの学校で友人と呼べるのは二人だけしかいない。もう一人は俺と同じ特待生の井上政彦君。クラスが違うからあまり話すことはないけど、同じ特待生なのでお互いに苦労していることが理解できる。廊下ですれ違うと苦笑いを交わす仲だ。


「父親の経営している会社が倒産の危機らしいから、伊東も色々ストレスとか溜まっているのかもな。まあ気にするな、お前ならそのうち本当に楽園に呼び出されるよきっと」


和人は情報通だ。実家が老舗の料亭なので色々な噂を耳にするらしい。


「和人がそう言うなら期待して待ってるよ。ってか和人、お前こそ昨日また呼び出されてたよな、どうなったんだ?」


「あーあれか、断ったよ」


「またかよ。もったいないって思ってしまうのは俺がモテないからか?なんで断った?好みじゃなかった?」


親友である和人に唯一不満があるとすれば、それは俺よりモテること……間違えた、に俺よりモテること。楽園への呼び出しも過去何度も経験している。俺とコイツで何がそんなに違う?顔か?顔なのか?イケメンは何もしなくてもモテると言うのか?やはりこの世界は残酷だな。


「んー、なんか楽しくなさそうだったから、かな?」


「またそれか」


和人の行動原理は楽しいか楽しくないかだ。楽しいと思えば他人がどう言おうと気にせず行動するし、楽しくないと感じたら周囲からどんなに勧められても行動に移さない。

どうやら俺と話すのは『楽しい』と思ってくれているようで、相手の顔が見れなくて周りから気持ち悪がられていた俺のことも気にせず友人扱いしてくれている。和人がいなかったら俺はこの教室でボッチだったはずだ。


「もうすぐ春休みだな。真言はなにか予定あるのか?」


「勉強とバイトですべての予定が詰まっております」


「あー、そうかぁ。お前もたいへんだな。20位以下になると特待生が取り消されるんだっけ?」


「うん。テストで2回学年20位以下になると取り消し。皆と同じように授業料を払わないといけなくなる。だから必死だよ」


俺が通う東峰高校はいわゆる良家の子女が通う私立高校だ。大手企業の重役の娘やら老舗旅館の経営者の息子など、上流家庭の子供が多く通っている。


そして「家庭環境が厳しい子にも勉学の機会を」ってことで、入学金・授業料を免除する『特待生』を毎年2、3人入学させている。今年は俺と井上政彦君だけ。しかもこの特待生制度、参考書代として毎月2万円が支給されるのだ。1年で24万円、3年で72万円だ。これは本当に有難い。


もともとそれほど成績は良くなかったのだけど、中3のときに担任に勧められ、これは何が何でも合格せねばと死に物狂いで勉強した甲斐があった。


入学後も中間や期末、全国模試などのテストで学年20位以下を2回取ると普通の生徒と同じ扱いになってしまうため気を抜くわけにはいかない。我が家に高額な授業料を払う余裕などない。

放課後や休みの日に近くのカレー屋でバイトして、帰ってから睡眠時間を削って勉強する毎日を過ごしている。





「美郷ちゃん迎えに来たよ~」


放課後特有のまったりした空気の教室に、柔らかく澄んだ声が響いた。


俺と和人は会話を止め、その声の主である女子生徒を目で追った。俺たちだけじゃない、教室に残っていた生徒全員がその女子生徒を目で追っていた。人間って美しいものに自然と目を奪われるよね、彼女は本能に訴えかけるレベルで美しいということだろう。


彼女は視線を一身に浴びながらも全く気にすることもなく、クラス委員長でもある鈴音美郷の机の隣に立った。


「美郷ちゃん用意できた?きょうはお稽古の日でしょ?美郷ちゃんが逃げないよう迎えに来たよ」


「あんたじゃないんだから逃げないわよ」


鈴音美郷が呆れたように応える。隣に立ったその女子生徒・倉橋由依はニコニコと幸せそうな笑顔を絶やさない。


そんな二人をほうけたようにだらしなく口を開けっぱなしにして見惚れている男子生徒たち。


「よしっ、じゃあ帰りましょ。忘れ物ない?」


「ないよ~かえろ~!」


仲良さげに二人が教室を出て行った直後、教室に残された生徒の多くが「はぁ~……」と溜息を漏らす。倉橋さんは勿論、委員長も普通に可愛いから絵になるんだよな。


「倉橋さん、きょうも美しかったな」「息するの忘れてた」「ユイユイ可愛ええなぁ」「俺、一瞬で浄化されたよ」「アンデットかよ」「可愛い過ぎだろ~ヤバいってあれは」「あのルックスなのにホンワカした感じがたまらんよな」


静かだった教室内に喧騒が戻る。まあこれは毎度のことだ。うちの高校で一番可愛いと言われている倉橋由依が教室を訪れる度にこうなる。


キラキラと輝く大きな目、保護欲を誘う小さめの鼻と口、なめらかな白い肌と天使の輪を纏う栗色の長い髪。一度すれ違っただけで夢中になってしまう男子も多い。スラリと伸びた手足、出るとこ出て引っ込むところ引っ込んだ文句のつけようもないスタイルは女子でさえ頬を赤らめるほどだ。


「可愛いを具現化すると倉橋由依になる」と多くの男子生徒から言われているのも納得できる。だというのに本人は自分の魅力に無頓着で、無防備にポワポワした笑顔を見せる。これで人気が出ないわけがなかった。


それに加えて彼女の父親は、日本人なら誰もが知っている大企業『倉橋物産』の社長らしい。不動産、建設、流通、観光、情報通信など、関連会社がいくつあるのか知らないけど日本有数のグループ企業『倉橋』の創業者の一族だって和人が言ってた。地元のスーパー『クラーシ』には俺もよく買い物に行く。「安くて新鮮!豊かな食生活はクラーシにおまかせ」本当に安くて助かっています。


まさにお嬢様界の頂点「トップ・オブ・ザ・お嬢様」の称号を得てもおかしくない。この高校にも関連会社の重役の子供が何人も通っている。


ここまで住む世界が違いすぎると、テレビ画面でアイドルを見るような心境だ。「ほえ~、可愛いなぁ、顔小っさいなぁ」って感じ。恐れ多くて近づくことさえできない。





「兄ちゃんおかえり~」


バイトを終え家に帰ると、小学4年の弟の陽太がのんびりした声と明るい笑顔で迎えてくれた。兄ちゃん、お前の笑顔を守るためならどんな苦労だって背負ってみせるよ。


「お帰りなさい」


ダイニングキッチンでは中学3年の妹の凪がテーブルに教科書を広げていた。どうやら陽太に宿題を教えていたようだ。母さんはまだ帰宅してないらしい。


「陽太、まだ宿題終わってないから早く座りなさい。何度も同じところで躓くから進まないじゃない」


凪はいわゆる天才だ。普通に授業を受けているだけで学年トップの座を維持している。読んだだけで教科書を丸暗記できてしまうそうだ。正直羨ましい。

そのぶん勉強を教えるのは不得意らしく、陽太がどうして理解できないのか理解できない。


「陽太の宿題、俺が代わろうか?」


「大丈夫よ、お兄ちゃんはバイトで疲れているだろうし、この後勉強するんでしょ?お風呂の支度はできてるから先に入って」


なんとも優しいええ子や。ちなみに凪も東峰高校の特待生に合格しているので4月からは一緒に通うことになる。


「えーっ!兄ちゃんがいい!凪ちゃん教えるのヘタ!」


凪にペシッ!と頭を叩かれる陽太。凪も本気で叩いていないので痛くないらしく、叩かれた陽太も「えへへっ」と頭をさすりながら笑っている。藤野家はきょうも騒がしくて平和だ。





翌朝、いつもの時間に家を出て登校。高校までバスで30分。普段は座れないときには単語帳を見ているのだけど、今日は偶然にも目の前に座っている男の思考カードを見てしまったため、単語帳どころではなくなってしまった。


『殺す』『使命』『女子高生』『刺す』『暗殺指令』『心臓』


なんだこれ?物騒な文言が次から次へと表示されている。設定?そういう設定なの?そういう設定で暗殺者にでもなりきっているだけなんだろ?きっとそうだよな。

などと自問自答しているうちに貴重な30分を無駄にしてしまった。


「次は~東峰高校前、東峰高校前」


車内アナウンスが流れると、暗殺者設定の男が立ち上がった。えっ!?ここで降りるの?


男はしきりに「これは仕事だ」などとブツブツ言いながらバスを降りていく。これもう付いて行くしかないじゃん。

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