3.見えない存在

 来栖は祈祷を始める前に持参した巻物を広げた。帯状になった布のケースから毛筆と硯、細長くて薄っぺらい木片を取り出した。

 ちなみに、来栖は文豪かよと突っ込みたくなるようなレトロな和装で、祈祷をするというよりは和歌でも詠みそうな雰囲気だった。


 それは唐突に始まり、祝詞を口ずさんでいるようなのだが、軽々しくも見えて、体がなにものかを受け止める器になっているようにも見え、怖くもあった。

 ちょうどよい頃合いとでもいおうか、しばらくするとその場にいる者たちに目をつむるよう申し渡した。

 わたしも含まれるのかと目で訴えたらよほど信頼ならないのか、後頭部を押さえつけ、耳元で額を畳につけろとささやいた。

 わたしは来栖にひれ伏すような体勢となり、そのあいだに来栖はその木片になにかを書いたようだった。


 それを和紙に包んで封印すると娘さんに渡すようにいった。

 祈祷の最中に現れた守護を描いたらしいが、木片になにが書かれているかは来栖以外は知らない。誰も見てはなりませんと念まで押していた。


 考えるほどに胡散臭い。


「アマビエって知ってます?」

 バーテンさんは新しいお酒をすっと差し出すと、唐突にそんなことをいった。

 次のお酒は淡いブルーで発泡性のあるものだった。一口飲むと柑橘系のさわやかな酸味が広がった。あとから少し苦みがあって好みの味だった。


 目が合うとバーテンさんは自信ありげに尋ねてきた。

「いかがでしょう」

「同じ柑橘系ですけど、まったく違う味わいで、おいしいです」

 感想を述べると、バーテンさんは品良く頭を下げた。

「ありがとうございます」


 高層階にあるバーのバーテンさんはまさに雲の上の人だった。こんなところにイケメンを閉じ込めておいていいのだろうか。いや、手の届かないところにある微笑みは、いっときの夢くらいがちょうどいい。

 だが、瞳を覗き込んでいるとその気にさせようとするオーラしか見えない。


「どうしました?」

「あ、いえ……」

 あなたの心を読もうとしましたとはいえず、話を戻した。


「アマビエ、ですよね。ちょっと前に流行っていてSNSでも回ってきましたよ。いたずらみたいな完成度の低さに都市伝説かと疑ったくらいです」


 アマビエとは古文書に書かれていた妖怪で、疫病が流行ったときに自分の姿を書いて流布せよといったんだとか。

 最初にその絵を書いた人がギャグのつもりだったとしたら、こんなに後世にまで残してゴメンって、心の中で手を合わせていたりするだろうか。なんて。


 そのアマビエがどうしたというのか、バーテンさんは続けた。

「アマビエの第一印象は嘘みたいにコミカルですけどね、妖怪って、だいたい悪いイメージがしませんか」


 確かに、とうなずいた。

 人に対して悪さをする怪談話やホラーに登場するイメージだ。


「疫病が流行れば私の絵を書いて見せよといって消えていったと、古文書に記されていたそうですが、そのあとに続く言葉をあえて濁しているけど――」

 バーテンさんは少し前のめりになってもっともらしく声を潜めた。

「このエピソードを聞いてみんなSNSで広めたってことは、アマビエの絵を広めたら疫病が収束すると期待感を持っているということでしょう?」


「え? それってどういう意味です?」

 ちょっとぞわぞわとしてきた。


 まさか、アマビエの絵を流布することでますます疫病が加速していく呪いでもかけたというのか。

 そのためにアマビエが現れたとか、そんな想像できない。


「すいません。怖がらせるつもりじゃなかったんです。不思議な話だなと気になってたもので。アマビエはアマビコの間違いじゃないかという説もあるみたいですけど。アマビコなら神の名に近いんですよね。伝説とか神社建立の由緒って、周辺地域でなにか災いが降りかかったとき、神がやってきて事態を収束させたというのが多いじゃないですか」


 バイト先の神社も大干ばつが起こったときに雨乞いをして村を救った人物を祀っている。

 祈祷がまったく無関係というわけでもないのだ。


「でも、その困った事態が進行している最中って、高貴な人が注意喚起するより、得体の知れない妖怪の方が人々を惹きつけて、伝染病の流行に気をつけるよう伝播するには都合がよかったのかもしれません」


 なるほどと、わたしは納得した。

「アマビエのインパクトはなかなかのものでしたからね。信仰にかかわらず、妖怪は受け入れやすいともいえますね」


「祈祷師さまが描かれた守護のお守りは逆に誰も見てはならないというので、そういわれれば人間見たくなるものです。そこになにか深い意味があるんじゃないでしょうか」


 それは気になっている。

 渡す相手は信仰心があるとはいえない娘さんだ。開封されることを前提として、わざと娘さんに渡すようにいったのだろうかと。


「なにを書いたんでしょうか」

「案外、なにも書かれてないということも」

「ええ?」


 なにも書いていないのは想定していなかった。

 額を畳にくっつけていても、あの静まった部屋でなにかを書き記しているような気配を感じていた。

 そこまでして隠したいものがなんであるか、わたしには想像がつかない。


 終わったあとは墨汁の入った硯と濡れそぼった毛筆はわたしが片付けた。流しを使わせてもらうわけにはいかないので、スポイトで硯に残った墨汁を吸い取り、毛筆を半紙で拭ってゴミを持ち帰ったのに、なにも書いてないなんて、勘弁してほしい。


 バーテンさんは悩ましげに小首をかしげた。

「そうですね。開封したから守護が逃げてしまった、といってみるのはどうでしょう」


 一休さんかよというツッコミはさておき、酒のあてにした与太話なら笑い話で済むが、高い金銭を払ってそれをいわれるのはどうだろう。


「なんだかとんちみたいですね」

「単なる想像です。こんな高層階にいるせいか、たまに浮世の世界から離れたような不思議な話が迷い込んでくるんですよ。それに想像を巡らせるのが案外楽しくて」


 知的なゲームを楽しむようにお客さんと会話するなんて。天職に巡り会えたバーテンさんがうらやましい。

 だが、天空の世界に真実は必要なくても地上の人間としては、謎が晴れたとはいえない。


「そうだ。不思議といえば、護符の表書きには同行二人と書いてありました。何の意味があるんだか。その言葉を記すのにもうひとり、つまりわたしが必要だったのでしょうか。それにしてはわたしがいることを迷惑がってましたけど」

「どうこうふたり?」

「はい」


 バーテンさんは人差し指で文字を書くように確認するといった。


「もし、『どうぎょうににん』と読むのならば、四国巡礼のお遍路さんが笠などによく書いてある言葉ですね。弘法大師と常に共にあるという意味があるんです。弘法大師は今でも四国を巡っているといわれていますから」

「へぇ。うちは四国から遠く離れているのでまったく知りませんでした。その祈祷師も出身がわからないので関係性があるのかないのか、なんともいえませんね。そもそもお寺ではなくて神社から派遣されてますし」


「いや、でも……」バーテンさんはひとりごとをいうように考えを巡らせ、「ひょっとしてお客さまは気づいておられないだけなのでは?」と真剣な面持ちでいった。


「え? なにを?」

「祈祷師さまは、もうひとり、お連れになっているのかもしれませんよ?」

「もうひとりって……」

「ええ。お客さまには見えていないだけで、もうひとり……」

「ちょ、ちょっと、怖いこといわないでくださいよ。もう。今日は絶対寝られない」

 ぐいっと、残りのお酒をあおった。


 ひとつ、気になっていたことを思い出した。

 来栖に対する不信感を抱くようになった原因でもあるのだが、話をしていると時折わたしからわずかに視線をそらすようなことがあった。

 まったく興味を持たれていないのかと思いながらも、落胆を隠して話を続けていたが、来栖にしか見えない存在を気にしていたのだとするなら……。


「そんなこと、本当にあるのかな」

「それはわかりません。けれども、祈祷も占いも、信じるものこそ救われる、ということなのでは」

「まあね。あの祈祷師がインチキだとはいわないですけどね」


 地味に痛いところを突いてくる。

 占いは信じているのかいないのか、自分にもよくわからない。

 ただ、今日の占いを見ることで、ああ、わたし、今日も生きようとしているんだなって、生存意欲が確認できるのだ。

 べつに、死にたいとも思ってないけど、いいことがあればいいなとはいつも願っている。


 来栖とも打ち解けられる日が来るかもしれないし。

 どうせ夏休みを巫女のバイトに捧げるのだ。全国津々浦々旅行ができるという当初のお得感を素直に受け入れよう。

 明日、いや、今日もまた県をまたいで移動して、依頼者のもとへ伺う予定だ。ご当地グルメを明日こそは食べよう。


「そうだ、くだを巻いている場合じゃないわ。業務日誌を神主さんに送らないといけないんだった」


 実のところ、巫女と名乗っているわたし自身が一番インチキなのだから、来栖に疎ましく思われても仕方のないことだった。

 バーテンさんとの別れが名残惜しくなってしまったが、向けられた癒やしの笑顔を胸に、明日もがんばらなくちゃと、席を立った。

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今宵、ホテルのバーで謎解きを ~見習い巫女もくだを巻く編 若奈ちさ @wakana_s

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