2.祈祷の依頼

「この仕事、はじめたばかりなんです」

 ぽつりと口に出していた。

 出会ったばかりのバーテンダーに愚痴を聞いてもらいたい気分だった。


 本当はこんなこと業務外だろうけど、バーテンさんは片付けの作業をしながらも、わたしのことを気に掛けるようにいった。

「就業したばかり、ということですか?」


 質問形で返してくれるのでうっとうしいとは感じてないはずと、まわりに客がいないのをいいことに話しはじめた。

「就業というか、たんなるバイトなんですけどね――」


 大学の夏期休暇をどうすごそうかと迷っていたら、たまたま通りかかった神社で巫女のバイトを募集している貼り紙が目にとまった。しかも正月でもなんでもないこんな時期に『急募』だ。これぞ神の思し召し。


 なにをやりたいかという高尚な気概がないならご縁が大事


 誰だったか忘れたが、また別の占い師の言葉を思い起こし、躊躇することなくその場から電話を掛けた。

 塀の外にある掲示板を見ながら電話していることを伝えると、履歴書もなくていいからそのまますぐ社務所まで来てほしいといわれ、その足で向かった。


 神主さんは普段、神社に常駐しておらず、そのときもすぐ近くの自宅から駆けつけた。失礼ながら、あんまりにも普通のおじいさんで参拝客にしか見えなかった。社務所の鍵を持っていたので、たしかに神主さんだと、疑いの心は隠した。

 聞けば姪がバイトをしてくれる予定だったが、体力が持たないと断られたのだという。どんだけ激務なのか心配したが、神主さんも結構お年なので、姪御さんもそれなりのお年なのだろう。あなたなら適任ですと、どこかほっとした表情でわたしを迎え入れてくれたのだった。


「巫女さんって若い人しかなれないと思っていたんですけど、そうでもないんですかね」

 わたしがいうとバーテンさんは少し考えるように首をかしげた。

「どうでしょう。男女雇用機会均等法の適用外なので、女性限定で募集をかけることは可能のようですが」

「ああ、いわれてみればそうですね。保母さんや看護婦のように名称も変えられないでしょうし」

「特別な職ってことですね」


 あまりにさりげなく微笑んでくるので、「いえ」と、自分事のようにはにかんだ。

 実のところ修行を積んだというのでもないし、わたしに限っては巫女とは名ばかりで、助手と呼ばれた方が実情に近い。いや、もっと正しく言うのなら、祈祷師の箔を付けるための肩書き、だろうか。


 難しい話しはなにもなく、即刻採用された。いくら急募といっても展開が早すぎて、ここが昔からよく知る地元の神社じゃなければ、このご縁は間違っていたかもと尻込みするほどだったが、わたしは猛烈に求められていた。

 巫女の衣装よりなりより先に渡されたのが交通系ICカードで、これはいよいよ違う話に乗せられているのかと疑いつつも受け取った。

 お抱えの祈祷師は全国を行脚しているので、それを追って手伝ってほしいとのことだった。


 よって、長期間、暇であることが最重要。

 まさに自分にうってつけの仕事だったのだ。

 だが、いざ来栖に会ってみれば邪険に扱われ、巫女がどうしても必要と思っていたのは神主さんだけのようで、その待遇に気落ちした。


「小さいころ、お祭りにもよく行ってた小さな神社なんですけどね、地元以外からも依頼がくるような祈祷師がいたかなぁって。まったくそういう噂も聞いたことがないんです。神主さんの息子さんですかって聞いたら違うって。まぁ、若いから違うとは思いましたけど、地元出身なのか、神主さんとどういう知り合いなのか、まともに答えてくれないですし。わたしは一緒にいてなにもしゃべらない方が気詰まりだから話しかけるんですけど、ふぅん、ぐらいしか返ってこなくて。いくら人見知りでも、大人なんだから、ってゆうか、上司的存在の人ならなおさら気遣って、そっちのほうから――あ、ごめんなさい。愚痴っぽくなってる」

「いいですよ。おもしろい話しです。その祈祷師さまは謎に満ちてますね」


 バーテンさんの『祈祷師さま』という謎の丁重さはちょっとおもしろいが、来栖自体は面白みのない人間だった。


「もう、謎も謎ですよ。名前も嘘くさいですし、いったいどこからやってきたのか。その神社は窓口になっているだけで、自分はアドレスホッパーな祈祷師だというんです」

「住居を構えずに転々としているという?」

「そうなんですよ。信者や依頼者が用意してくれる宿に泊まって全国を渡り歩いているんだそうです」

「今どき珍しいですね。あ、いや、逆に今どきでしょうか。定住せずに遊行しながら知見を広げる、そういう生き方もあるでしょうし。あるいはSNSで評判を得ているとか」

「どうでしょう。今日の方はSNSを駆使している方には見えなかったですね」


 依頼者は六十歳になるかならないかぐらいの農業を兼業している男性。折りたたみ式の携帯電話を愛用していそう、というのは勝手な想像ではあるが、信頼のおける祈祷師をネットで探すほど浅はかそうではなかった。


 どのように来栖を知ったのか。ますます謎めく来栖。うやうやしい依頼者。そしてずぶの素人のわたし。

 三者の関係に笑いがこみ上げてきたが、そこはぐっとこらえた。


 依頼者は古くからある家を継いで両親と妻と娘の五人暮らし。長男は出て行ったきり実家には寄りつかないという。ご両親は関心がないのか姿を見せなかった。

 通されたのは親戚が集まって宴会ができそうなくらい広い和室で、相談事をするには風通しがよすぎてこちらが落ち着かなくなるほどだった。


 ご主人は「身内の恥をさらすようで……」と、この期に及んでも若干ためらいながら口を開いた。

 結婚適齢期からちょっと行き遅れた娘を心配している、というのがその内容だった。

 男運がないのはこの家が何かに取り憑かれているに違いないと。三人いるご主人の姉たちも嫁ぐまでにすったもんだあったらしい。


 娘の立場からすれば余計なお世話だが、たしかに波瀾万丈な遍歴だった。

 高校生時分に付き合った彼氏は盗んだバイクでデートに誘い、焼き肉店で乾杯したところで捕まった。これで手にしていたのがお酒だったら男運どころか、人生の転落の始まりだったかもしれないが、どうやらそれは免れたようだ。


 大学生の時は二股を掛けられたが、彼氏もまた二股を掛けられていて妙な四角関係へと発展し、男同士のバトルが激化したところで娘さんは恐れをなして抜け出した。


 社会人一年目で上司との不倫を経験し、あろうことか不倫相手から部下とのお見合いを勧められ、会ってみたら今までになくいい人で、付き合ってみると相手は突然仕事を辞めた。さすがに自分は男性を養う度量はないと別れを切り出したら、相手は暇を持て余しすぎてストーカーになってしまった。


 ご主人の知り合いの弁護士に介入してもらってどうにか被害は収まったが、今度はその弁護士に一目惚れ。けれども弁護士は見向きもしない。危うく娘さんがストーカーになりかかり、弁護士に会いに行くのを阻止しようと父親は毎日娘の職場まで迎えに行って、端から見れば父親が娘につきまといをしているように見られてしまったというのだった。


 そうして娘さんはマッチングアプリに癒やしを求め、いつの間にやら多額の金銭をだまし取られて、今に至る。


「その話しをしているとき、娘さんもそばにいらっしゃったんですか?」

「まだ帰宅していませんでしたから。でも、帰ってきてお祓いをするっていったら『これ以上騙されてどうすんのよ!』って、部屋に引きこもってしまって。ロマンス詐欺にあっても霊感商法には敏感だったんです」

「霊感商法って悪い意味で使うものだと思いますけど」

「あ、そうですね。うちの祈祷師は騙しているわけじゃないです、たぶん」


 曖昧にいうと、バーテンさんはグラスを拭きながら「そうでしょうね」とおかしそうに笑った。

 ほろ酔い気分にはまだ遠いけど、ふわふわと居心地がよくて、おしゃべりが過ぎてしまう。グラスが空になって今度はすっきりめのお酒を頼んだ。


 こういうところってどれくらいの値段がするのかわからない。

 今日のバイト代がわたしの手元をすり抜けてバーテンさんの懐へ飛び込むくらいだろうか。

 アドレスホッパーな祈祷師に感化されたわけではないが、そんな暮らし方もありかも。


 何のために仕事をするかって、究極のテーマだ。

 霊感商法でも結婚詐欺でも本人が騙されたと思っていなければ、お金を無駄にしたとも思っていないだろうし、メニューにないものを注文して値段をふっかけられても、このバーテンさんならそれもいいかと思ってしまう。


「それで、結局、どうなりました?」

 まだまだわたしを居座らせて酔わせるつもりか、バーテンさんは話しの続きをうながした。

「娘さん不在で祈祷することになって」

「家に取り憑いていると判断したのでしょうか」

「それはどうなのかわからないですけど、祈祷の最中に護符を書いてました」

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