今宵、ホテルのバーで謎解きを ～見習い巫女もくだを巻く編

1．眠れない夜に

　深夜12時。シンデレラだって家に帰る時間だ。

　こんな時間まで働かせるなんて、働き方改革だなんだと熱弁ふるう政治家に諭されろと愚痴りたくもなるが、国家の安寧を任された人間と祈祷師が出会うチャンスなどあろうはずもない。いや、案外お抱えの占い師や霊媒師がいて、スピリチュアルに傾倒している政治家はいるかもしれない。だが、現状住所不定の祈祷師、来栖醍醐（くるすだいご）と関わりのある大物政治家なんていないだろう。ましてやバイト巫女の陳情なんて、誰が聞いてくれようか。

　巫女のバイト代の相場を知らないものだから、案外もらえるんだなと油断していたのがいけなかった。

　時給に換算すると……ああ、あぁ、ああ。計算しない方がいい。移動もろもろの拘束時間まで考慮したら決して割のいい仕事とはいえなかった。

　来栖がとってくれていたホテルに戻ってベッドにダイブしたが、羊を数えずに、バイト先を間違えた、間違えた……と、唱え続けたらまったく眠気が差さず、かといって冷蔵庫にあるビールを取り出して手酌なんて寂しすぎて泣きそうで、思い悩んだ末、最上階にあるホテルのバーへやってきた。

　お酒は好きだが、ひとりで飲んだことはない。

　おそらく疲れて思考が鈍ってしまっていた。なぜひとりでホテルのバーにやってきたのだと自問自答する。

　気後れするくらいのムーディーな空間にたじろぐ。

　だが、バーテンダーと目が合って回れ右できなくなってしまった。

　なぜって、それが超イケメンなのだ。なんで今日に限ってイケメン率が高いのだ。

　来栖醍醐といううさんくさい名前の祈祷師も、出会った瞬間だけはバイト代を捧げたくなるほど心奪われた。

　だがここのバーテンダーも負けちゃいない。通い詰めたくなるほどの端正な顔立ち。ホストのように会話がはずむことがなくたって、意味ありげな視線を送り続けたら、もしかしてもしかするなんてことが――。

「いらっしゃいませ」

　わたしの妄想を遙かに超える満面の笑みで声をかけられ、慌てふためく。射貫いてきたのはハートではなく財布だったかもしれないが、挙動不審にならないように硬直しながら会釈で応じる。

「どうぞ」

　バーテンダーは右手で自身の目の前のカウンター席を指し示した。

　そうだよなぁと、動揺する。

　ひとりでやってきているのだから、カウンター席を勧めてくるでしょう。しかも慣れない様子でもじもじと帰りたそうにしていたら、さっさと座らせてしまうほうがいいにきまってる。

　ちらっと奥を見やる。夜景が見える窓際席には二組のカップルが、テーブル席にも一組姿が見えるが、カウンターには誰も客はいなかった。

　脚が長くて腰掛け部分が小さな椅子に座る。

　バーテンダーと対面する形となり、緊張は最高潮に達した。

「何にします？」

　おしゃれなお酒の名前なんて知らない。

　ここはひとつ、お任せで……

「ええと。レモンイエローのお酒ってありますか？　今日のラッキーカラーなんですけど……あ、ちょっと待ってください。もう、明日ですよね」

　バーテンダーは手首をちらりと見やり、細身の腕時計で確認した。制服を着ているバーテンダーの唯一の私物といったところか。時計に詳しくないのでブランドまではわからなかった。

「ええ、明日っていうか、今日というか、十二時を回りました」

「そうですよね。レモンイエローじゃだめだわ。ちょっと待ってくださいね」

　もたもたとスマホを取り出し、占いアプリを立ち上げる。

　一見さんお断りで名をはせた有名占い師が占う運勢。それが月額二一〇円で毎日送られてくるのだ。

　いきなりこんなことをいいだして占いに傾倒していると思われてしまっただろうかと、一瞬反応が気にかかったが、バーテンさんは前で手を組んで穏やかにオーダーを待っている。

　いろんな人がやってくるホテルだもの、わたしのような人間はまだまだ特殊じゃないはずと思うことにした。

　スマホ画面では、今日の占いが更新されていた。

「……今日のラッキーカラーは、コーラルオレンジか。どういうお酒になるんだろ？　お任せできますか」

「ええ、もちろんです」

　バーテンダーは手際よくボトルを手に取ってシェイカーに注いでいく。

　見られることにも慣れているのか、凜としたたたずまいで、気取らない姿が好感持てた。高層階から恋人と眺める夜景も憧れるが、目の前で自分のためだけのカクテルが作られるのもまた心躍る体験だった。

　氷の入ったグラスにオレンジ果汁を搾り、カクテルがそっと注がれた。底の方は濃いオレンジ色だが、２層目はコーラルオレンジ色。

　すっと目の前に差し出す。

　この特別感は何日も余韻に浸れそうだが、はやる気持ちを抑えきれず、グラスを手に取って口を付けた。甘いミルクにオレンジの酸味が追いかけてくる。

　鼻から抜けるこの香りは――

「ココナッツ？」

「はい。マリブというココナッツのリキュールに、ミルクとオレンジをプラスしました」

「へぇ。おいしいです。急なリクエストに応えてもらえるなんて」

「お客さまがイメージするカクテルを作るのも、私のひとつの楽しみですよ」

　そんなことをまっすぐな瞳でいわれてしまったら、バーテンさんが想像力を掻き立てたくなる次のカクテルを注文したくなってしまうではないか。

「……でもなぁ。常連になりたいくらいですけど、旅先だからなぁ」

「また是非お越しください。ラッキーカラーが同じでも、また別のカクテルをご用意いたします」

「ほんとですか！　じゃあ、今度はひとり旅で」

「今日はお連れ様が？」

「あっ。ええ。仕事なんですけどね」

　本当のことだが、胸がざわついてしまう男性を目の前にして、相手が恋人ではないことを強調してしまった。

　相手は百戦錬磨のバーテンダーだ。ひとりで酒を飲みにやってくる女をどう分析しているだろう。

　手慣れたバーテンさんは無難な応対だった。

「そうでしたか。お疲れ様でした」

「はい。疲れました」

　素直にうなだれると猫背になってしまい、ああ、いかんと、背筋を伸ばす。丸まった背中には、どんどん不幸が積もっていくと忠告したのはどの占い師だったか。顔は忘れたが心にとどまる言葉を放り込んできたのだから、一応わたしは信頼したのだろう。

　それなのに、来栖ときたら。

　生え際から顎の先まで隙のない来栖の顔が浮かび、再び気持ちが重くなってくる。

　その残念な人当たりでもエモさを感じられたらまだよかったが、なにか、なにか人として欠けているような変人なのだ。

　出会って数時間で、この胸の高鳴りを返せと叫びたくなる男と、明日もまた一緒に仕事をするのだから、ため息しか出ない。