第7話「揺れる灯り」
その日の夕暮れ時、温泉街に異様な雰囲気が漂っていた。
「変な天気ですね」
理沙が窓の外を見やりながら言う。確かに、空は不自然なほど暗く、重苦しい雲に覆われていた。
陽子は胸に違和感を覚えていた。朝から頭痛が続き、視界がちらつく。そして、店の中がどこか歪んで見える。
「理沙ちゃん、今日は早めに帰っていいわ」
「でも...」
「大丈夫。私も後片付けをしたら閉めるから」
理沙が帰った直後、店内の電気が一斉に明滅し始めた。
「また...」
しかし今回は、いつもの琴子の気配とは違う。重たく、冷たい空気が店内を満たしていく。
「誰か...いるの?」
返事はないが、奥から物音が聞こえる。厨房に向かうと、棚の食器が微かに震えていた。そして...。
「まさか...」
祖母の大切にしていた茶器が、ゆっくりと棚から浮き上がる。
「やめて!」
陽子が叫んだ瞬間、茶器は宙で止まった。と、その時。
「危ないわ」
琴子の声と共に、茶器は静かに棚に戻っていく。薄れゆく重苦しい空気の中、琴子の姿がうっすらと浮かび上がった。
「これは...」
「ええ、あなたが感じた通りよ。でも、これは悪意を持った霊じゃない」
琴子は厨房の隅を見つめながら続けた。
「戦時中、この建物で亡くなった方の一人。治療の甲斐なく、大切な人に会えないまま...」
陽子の視界に、おぼろげな人影が見えた。若い兵士の姿。その表情には深い悲しみが刻まれている。
「お茶を淹れましょう」
琴子の静かな声に導かれ、陽子は实相院の煎茶を用意し始めた。不思議なことに、手が震えない。
お茶を淹れ終わると、兵士の姿がより鮮明になった。二十歳前後だろうか。軍服姿の若者が、切ない表情でこちらを見ている。
「お茶を飲んでいただけますか?」
陽子が差し出したお茶に、兵士はゆっくりと手を伸ばした。触れることはできないはずなのに、不思議なことにお茶の水面が小さく波立つ。
途端、店内に穏やかな空気が流れ始めた。兵士の姿が徐々に透明になっていく。最後に、かすかな笑顔が見えた気がした。
「ありがとう...」
かすかな声が残り、兵士の姿は消えた。
「よくできたわ」
琴子が優しく微笑む。
「でも、これが始まりなの。この土地には、まだ多くの想いが眠っている。そして、現代を生きる人々の苦しみもある。あなたには、その両方に寄り添う力が必要になるわ」
外は、すっかり夜になっていた。温泉街の提灯が、優しく揺れている。
陽子は深いため息をつきながら、祖母の茶器に手を触れた。温かい。まるで、誰かの想いが伝わってくるように。
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『光の守り人 ~温泉街の不思議なカフェで癒やしの一杯を~』 ソコニ @mi33x
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