第6話「心の波紋」



朝の仕込みを終えた頃、理沙が不安そうな面持ちで店に入ってきた。


「陽子さん、あの...一つ相談があって」


歯切れの悪い理沙の様子に、陽子は手を止めた。いつもの明るい理沙とは違う。


「どうしたの?」

「実は、友達のことなんです...」


話を聞けば、理沙の親友が突然、SNSのアカウントを全て消して連絡が取れなくなったという。


「最近、『みんな楽しそうなのに、私だけ...』って言ってて...」


その時、店の風鈴が鳴った。


「いらっしゃいませ」


入ってきたのは、二十代前半くらいの女性。大きめのサングラスをかけ、マスクもしている。どこか人目を避けるような様子だ。


「奥の席、いいですか...」


か細い声で言う彼女の周りに、陽子は濃い靄を感じた。そして直感的に分かった。これが理沙の言っていた友人なのだと。


「理沙ちゃん、お茶を淹れてもいい?」


理沙が頷くのを確認すると、陽子は实相院の煎茶を用意し始めた。途端、手元から温かな光が広がるような感覚。今度は祖母の声が聞こえてきた。


『お茶は、心と心を繋ぐ架け橋なのよ』


薄い靄の中に、祖母の若かりし日の姿が一瞬、重なって見えた。


陽子はゆっくりとお茶を淹れ、二つのカップを用意した。


「よかったら、ご一緒にいかがですか?」


サングラスの女性は少し躊躇したが、理沙の「ミキ...?」という声に、ハッとしたように顔を上げた。


「り、理沙...」


マスクとサングラスを外した彼女の目は、涙で潤んでいた。


「ごめんね...私、もう限界で...」


陽子は二人にお茶を差し出し、そっと席を外した。カウンターから見ていると、お茶を飲みながら、二人の周りの靄が少しずつ晴れていくのが分かる。


しばらくして、二人の女性の表情が和らいでいった。話し合いながら、時には涙を流し、時には小さく笑い...。


「本当に不思議ね」


琴子の声が聞こえた。振り返ると、うっすらとその姿が見える。


「お茶は人を癒すだけじゃない。人と人を繋ぎ、心を開く力もある。あなたのお祖母様は、その力を使って多くの人を救ったの」


外では小雨が降り始めていた。店内の温かな空気が、しっとりとした雨の音に包まれる。


「陽子さん」


帰り際、理沙とミキが声をかけてきた。


「また来てもいいですか? その...このお茶、なんだか心が落ち着くんです」


陽子は微笑んで頷いた。カウンターの上では、白い椿の花びらが、雨の音に合わせてそっと揺れていた。


琴子の気配が消え、代わりに祖母の日記の言葉が心に浮かぶ。


『お茶は、心を映す鏡。そして、人を繋ぐ架け橋—』


陽子は静かに頷いた。これが、自分に託された力の使い方なのだと、少しずつ理解できてきた。

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