第三話
帝国で生活をすること早一ヶ月。
ジャンナは付き人を連れずに庭園へと来ていた。
薔薇の咲き誇るこの場所は、薔薇垣のお陰でジャンナの姿は城の廊下からは見えないだろう。
「ここならきっと――」
「きっと、なんだい?」
「ひゃあ!?」
耳元で囁かれ、ジャンナは飛び上がった。
簡単に背後を取られてしまったジャンナは、屈辱だと言わんばかりの顔を声の主に向ける。
「っ、ラルフ陛下! もう少し普通に声をかけて下さい!」
今だ道化師ピエロの姿のラルフに抗議をするが、きょとんとした顔が返ってきた。
「え? だって、これを望んだのジャンナだよ?」
「それはっ、そうですけど……!」
「まさか勝負を挑まれるとは思ってなかったけど、なかなか楽しいね」
「毎回見つけられて、私の矜持はボロボロよ」
悔しげなジャンナは舌打ちする寸前で思いとどまる。
その様子を面白そうに眺めるラルフは、なかなかいい性格をしている。
今まさに勝負の真っ最中だった。
ルールは簡単で、隠れるジャンナをラルフが見つけるという単純なもの。
そのため、今日の勝敗はラルフに軍配が上がったことになる。
(一ヶ月間勝負を続けているのに、どうして勝てないの!?)
ジャンナは母国で隠密として働いていた経歴がある。
元々の影の薄さも相まって誰にも見つかったことがなかった。
そのため、今回の勝負も勝利を確信していた。
(そもそも強者の風格っていうのがないのよ。どちらかというと、自分の身も守れないような軟弱な雰囲気なのに……)
納得がいかず、ラルフをじっと見つめる。
(いつ見ても
ジャンナの視線に気が付いたラルフが、すっと手を差し出してくる。
令嬢の性か、その手につい手を重ねてしまう。
自然にエスコートされたジャンナは庭園の隅から、城内の廊下からよく見える噴水へと連れ出されてしまった。
それは今日の勝負が終わった合図だ。
ジャンナが噴水に腰かけるとラルフも隣に座った。
しばらくすれば二人を見かけた衛兵や侍女たちが付き人を呼ぶだろう。
今では迎えが来るまでの間、語らうのが日課となっている。
「まぁ初夜をかけて勝負だなんて刺激的だね。俺としてはもう少し色っぽく誘って欲しかったけど」
「そもそも貴方が部屋に来ないのが悪いんじゃない」
嫁いだその日から今に至るまで、ジャンナとラルフは夜を共にしたことがない。
そのため、二人の仲は冷え切っていると社交界では囁かれ始めている。
二人の私生活を社交界に漏らした侍女は即日解雇されたが、その噂を真実だと知らしめることとなった。
しかし噂とは身勝手なもので、尾ひれがついて回り、このままでは離婚寸前だと言われかねない。
「俺は君を大事にしたいんだよ。わかってほしい」
真剣な顔をしたラルフが見つめてくる。
しかし、ジャンナの心中は穏やかではない。
(そう言うなら偽装のため部屋に来るぐらいいいじゃない。変なところで律儀なんだから)
知ってか知らずかいまだ紳士すぎる彼に、ジャンナは唇を尖らせて呟いた。
「貴方はいつもそればっか」
「お嫁さんを大切にしたいって、そんなにおかしいことかな?」
「白い結婚なんて、恥でしかないわ」
「それは違うよ。って言っても納得しないから勝負を仕掛けてきたんだろうし……」
「当たり前でしょう! なのに、どうして毎回私を見つけることが出来るの!? 他の人には絶対に見つからないのに!」
「俺の可愛いお嫁さんなんだから、見つけられるのは当たり前じゃない? それに、こんないい匂いをさせる娘、そうそういないよ」
ジャンナの赤い髪を掬ったラルフは、髪に口づけるフリをして笑った。
フリに留めるのはメイクが付かないようにとの配慮だろう。
しかし、ジャンナが照れる様子はなく呆れた顔でため息をついた。
「匂いなんてしないはずよ」
なにせ、ジャンナは匂いの残るような化粧品やシャンプーなどは一切使っていない。
だというのに、ラルフは匂いがするという。
「ちゃんと甘い匂いがするよ」
「ありえないわ」
「信用無いなぁ」
「見つけられないからって婚約破棄されたのよ。匂いがあるならここに嫁いでいないわ」
「それは相手の見る目がなかっただけじゃない?」
流れるように髪から頬へと手が移動し、頬をなぞられる。
慈しむような手つきでなぞられ、ピクリと反応してしまった。
するとジャンナの反応を面白がるように、耳へと指が伸びる。
「っ」
「ふっ。ジャンナはこんなに可愛いのに、ね?」
優しい声色と耳を刺激する指に、ジャンナは気恥ずかしくなり目を逸らす。
そんなジャンナを見たラルフが楽しそうに目を細める。
「本当、俺のお嫁さんは可愛い」
「
ぼそりと呟いた言葉に、ラルフは吹き出した。
「ぶっ、あはは!!
「っ、そんなに笑わなくてもいいじゃない」
「だって、ずっと俺のこと考えてくれてたんでしょ?」
「そこまで言ってないわよ。ちょっと、ねぇ、聞いてる?」
「可愛いジャンナの言葉を聞き逃すわけないよ」
「それ、絶対聞いてないでしょ」
身を乗りだしラルフの胸を軽く叩く。
手を受け止められ彼の手から逃れようと手を引いた。
しかし、握られた手が離れることはなかった。
ジャンナが手を離して欲しいと口にする寸前。
「ちょっ、危ないって」
ラルフが声を上げた。
「え? っきゃ!?」
なぜか体勢を崩してしまったラルフは、ジャンナと共に噴水へと落ちてしまった。
ばちゃんと大きな音を立てて水しぶきが上がる。
ラルフを下敷きにしてしまったジャンナはすぐに起き上がった。
だが彼が気にする様子はない。
少しだけ上体を起こしたラルフは、ジャンナを気遣うように眉を下げる。
「盛大に落ちちゃったね。大丈夫?」
「大丈夫よ。でもびしょ濡れだわ。……っ!?」
起き上がり目にした物にジャンナは息を呑んだ。
なぜなら倒れ込む寸前に座っていた場所にナイフが四本突き刺さっていたからだ。
(あの形状のナイフは、まさか)
驚きを隠せないジャンナの視線を追ったラルフがぼそりと冷たい声で呟く。
「……あぁ。賊か」
聞き間違いかと思うほど冷え切った声色に驚きラルフを見れば、水に濡れて化粧が崩れてしまっていた。
初めて見る彼の素顔に、ジャンナは別の意味で固まってしまった。
所々白塗りが流れた箇所には褐色が覗いている。
ピクリとも動かないジャンナを心配そうな紫紺の瞳が見上げた。
「今、なんて……?」
「ん? 賊が紛れ込んだみたいだね。噴水に落ちて助かったみたいだ」
「……そうね。早く戻りましょう」
違和感を感じながらもジャンナは立ち上がり、噴水から出た。
びちゃびちゃとドレスから水が滴り、地面にシミを作る。
同じように立ち上がったラルフからも大粒の水滴が落ち、地面を濡らした。
「賊が襲ってこないうちに戻ろう」
ラルフがそう言ってジャンナの腰に手を回した、その時。
黒い覆面を被った賊が五人ほど現れた。
次の更新予定
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