青春の扉

パ・ラー・アブラハティ

卒業式はまた今度

 開け放たれた体育館のドアから生温い風が吹き込む。四角い風景の先には桜が舞う。荘厳な音楽と共に春野冬弥は今日この学び舎を卒業する。


 冬弥は面倒くさいと思いながら校長先生の話を聞いていた。校長先生の光る頭が眩しく感じる。視線を横にずらすと二つ隣に座っていた霧崎芽衣と目が合ってしまう。


『なにみてるの?』


 芽衣が口パクで言う。冬弥は反応するとラリーが始まってしまい、ただでさえ面倒臭い卒業式がもっと面倒くさくなると思い無視をする。


 しかし、冬弥の頭には一週間前の摩訶不思議な出来事が浮かんでいた。



 ◇◇◇◇◇


 卒業式が一週間後に迫った日、冬弥は同じクラスメイトの芽衣に詰め寄られていた。


「あと一週間で華々しい学校生活が終わるんだよ!? なのに、なんでそんなにクールなのさ! もっとこう思い出に馳せたりさ!」


 芽衣は教室で過ぎゆく太陽を見ていた冬弥に身を乗り出して抗議していた。


 事の発端は、芽衣が「あと一週間で卒業だね」と言ったことに関して適当に返事をしたから、というどうでもいいに程がある理由だった。


 別に終わっても、終わらなくても始まりがあればどこかでゴールテープを切らなければならないのは当たり前だからと、冬弥は割り切っており本当に心底どうでもよかったのだ。面倒くさそうに溜息をひとつ宙に踊らす。それが芽衣の癪にまた触ったのかギャーギャーと騒ぎだす。


「逆に聞きたいんだけどさ、なんでそんなに思い出が大事なの?」


「え、本当に人間なの? そんな言葉が出てくるなんて」


 芽衣はドン引いた声色で体を少しだけ下げる。


「人間に決まってるだろ、何言ってるんだ。ちょっと価値観が違うだけで」


 冬弥は言われたことに腹を立てて語調を強めに返す。


 冬弥は別にカッコをつけてるわけでもなくただ本心から思っているだけだった。


 思い出なんてただの記憶でしかない、いつかは忘れてしまって埃を被る。冬弥はそう思っていた。


「価値観が違うのはわかるけどさあ、でも思い出は大事だよ? 歳とった時とかさ、あんなことあったねえって話せるじゃん!」


「それは友達がいる前提じゃないか。俺には友達がいない!」


「……なんて悲しいことを。 てか、そんな堂々という事じゃないでしょ」


 芽衣はケラケラと笑う。冬弥は本当に友達が居なかった。ひねくれた性格のせいもあるが、そもそもの社交性が死んでいるのも相乗効果となっていた。おかげで三年間学校生活を送ったが、友達と言う友達は出来なかった。イベントがきっかけで喋ったり、ということはあったが深く関わるという人物は芽衣のみであった。


 じゃあ、なぜこうして芽衣とは話せているのか。それは、三年生の間たまたま席が隣にずっとなり続けて、ダル絡みをされているだけだった。冬弥はウザがりながらも唯一話せる人間なので、邪険にも扱いつつ嫌われないラインを攻めていた。


「嘘は良くないから。婆ちゃんが言ってた」


「冬弥の婆ちゃんおもろいね。 てかさ、じゃあ思い出作りしに行こうよ」


「えぇ……」


 冬弥は露骨に面倒くさそうにする。


「いやいや、せっかく貴方の唯一無二の友達が作ろうと言っているんですよ? ここは有難く甘えてた方がいいって」


 芽衣は手のひらをヒラヒラとしながら言う。


「……まあ。少しだけなら」


 冬弥も唯一無二の友達という言葉が内心嬉しく提案を了承する。


「じゃあ、何しよっか? もう時間もお金もないし豪勢なことは出来ないけど」


「うーん、友達がいないからまともな提案は出来ないけどゲーセンに行くとか?」


「本当にまともな提案じゃないね。あてにするのはやめておくよ」


 芽衣はバッサリと言い切る。冬弥が家族以外の誰かと遊びに行くことなんて有り得なかった。だから、友達と遊びに行く時に定番の場所など知る由もない。


 だが、芽衣はクラスの中心人物に近しい存在で誰かと遊びに行くことが多かった。対極の存在の二人が提案する遊びが相入れることは無かった。


 芽衣と冬弥の話し合いは平行線にもならない。あーでもこーでもない、と無駄なことを話すただの日常になっていた。


「あ〜、こんな時映画のような出来事が起きたらなあ。 突然やってくる摩訶不思議アドベンチャーみたいなさ」


「そんなの起きるわけないじゃん。ここは現実だろ」


「つまんねえの、夢が無いねえ。夢が」


 芽衣は呆れたように机にもたれかかる。


「もう帰るわ、いい時間だし」


 冬弥が教室の時計に目をやると十七時前になっていた。呆れ返る芽衣を他所に鞄を肩にかける。そのまま教室を後にしようとする。後ろから慌てた芽衣が着いてくる。


 靴箱で上履きから下靴に履き替える。すっかりとオレンジ色に染った太陽。冬の面影が無くなった気温は生ぬるい。


「ねえ、あれ見て。変な扉があるよ」


 下靴に履き替えて、さっさと帰ろうとしていた冬弥の服の裾を芽衣が掴む。グイッと体が後ろに引っ張られ転けそうになる。


 冬弥は文句を言いそうになる。だが、青春の扉と書かれた摩訶不思議な物に目を奪われる。


 青春の扉と書かれたそれは上部は桜色で下部にいくにつれ、淡い水色になっていた。


「いや、どう見ても怪しいよ。先生を呼んでこよう、下手に触らない方がいい」


「いやいや、待って! こんなにも摩訶不思議アドベンチャーの匂いがしてるんだよ!? ビビるな!」


「ビビるよ。朝は無かった訳の分からん得体の知れない扉があるんだから。先生は呼んだ方がいい」


「呼ばない! 行こう!」


「いや、呼ぶ! 危ないだろ!」


 先生を呼ぼうとするとする冬弥と、目を星のように輝かせた芽衣。二人は呼ぶ呼ばない論争を繰り広げる。


「どうしてさ! こんなにも楽しそうなものがあるんだよ! 行かない選択肢なんてあるの!?」


 扉を指さして、どうしても行きたい芽衣は語調を強める。


「あるよ! 目の前に不審物があるのに勇猛果敢に突撃する方がおかしいって。電車でも駅構内に不審物があったら駅員を呼ぶだろ? それと同じだって」


「ここは駅構内じゃないよ、学校の敷地内だよ」


「そういう屁理屈は受け付けておりません。とりあえず、不審物があったら大人を呼ぶ。これは当たり前だろ」


「もう、仕方ないなあ……わかったよ」


 芽衣はやれやれと言わんばかりに首を振る。二人の攻防は一旦先生を呼ぶということで終結する。下靴から上靴にまた履き替えた二人は、職員室に行き変な扉があると伝える。生徒指導の先生が来てくれると言うので、一緒に扉があった場所へ行く。


「ほら、先生見てください。この見るからに怪しい扉を」


「おい、春野。お前は真面目な生徒だから冗談は言わないだろうと思って来たんだぞ。何も無いじゃないか」


「いやいや、ご冗談を。あるじゃないですか、こんなにもおかしいものが」


「いや、無いぞ。冗談を言うのは霧崎だけにしてくれ。じゃっ、先生は忙しいので帰るぞ」


 先生は冬弥の言葉を嘘のように扱って、さっさと去ってしまった。芽衣がにたりと口角を上げている。もはや、口にせずとも顔が全てを語っていた。冬弥は行きたくなかったが、行くしかないという非情な現実が目の前に立ち塞がっていた。


「……分かったよ、行くよ。行けばいいんだろ」


 冬弥は先生が相手にしなかったことから、半ば無理やりこれを現実の出来事だと処理した。


「よし、じゃあ行こう! レッツ摩訶不思議〜!」


 芽衣の気が抜けそうな合図と共にドアノブを捻る。建付けの悪い蝶番の音が鳴る。目を劈くような光が辺りを覆う。


「ねぇねぇ、見て! 扉が沢山あるよ!」


 光が収まってまだ目が慣れない冬弥を他所に、いち早く環境に順応した芽衣が興奮気味に体を揺らす。


 そこには二人を囲うように無数の扉があった。扉の上には、桜、海、紅葉、雪、と名称が付けられていた。冬弥にはこれが何を意味しているのかはさっぱりだった。視線をあっちゃこっちにやると宙に浮く一つの看板を見つける。


「ようこそ、青春の世界へ。ここは貴方たちの青春を体験する場所です。外とここの時間の流れは違います。思う存分に青春を満喫してください」


 冬弥は書かれていた文字を見て、やばい所へ来てしまったかもしれないと遅すぎる後悔を抱く。だが、芽衣は違った。無数に並ぶ扉にはしゃぎ目を光らせている。


「ねえ、どれから行く? 私はね桜の扉から行きたい」


「どれも行きたくない。怖すぎる」


「今更後悔しても遅いよ、もう」


「分かってるけど、あまりにも怖すぎるだろ。扉の先が何か分からないんだぞ」


「この扉をくぐった時点で腹を決めおくべきだったな、少年よ」


「なんなんだよ、そのキャラ」


 芽衣はテンションが上がりすぎて、もはや誰かわからない人が憑依していた。こうなったら止めることは叶うことの無い願いだと冬弥は諦める。


「わかったよ、行くよ。桜の扉でいいんだろ?」


「やる気になったか、少年よ。それでこそ私の見込んだ男だ」


「そのキャラはもういいから行くぞ」


 渋々、冬弥は芽衣と共に扉をくぐる。扉をくぐると、辺り一面雪景色のように舞い散る桜が。春の温もりが冬弥と芽衣の体を包む。


「.........今も春だからこれといって感動はないな」


「あっ、そういう心にもないこと言う。扉開けたら幻想的な風景が広がってるんだから、もっと驚いたりしなよ」


 冬弥は現実と扉の向こうが全く同じでそこまで感動を感じれてなかった。その気持ちを素直に口に出したら、芽衣がつまらなそうな顔をする。


「ごめん、ごめん。でも、凄いね。扉の向こうがこんなになってるなんて、原理が知りたいよ」


「魔法の力だよ、魔法の力」


「魔法? いやいや、違うよこれは……なんだろうね」


「いや、わからんのかい。適当言い過ぎや」


 冬弥と芽衣はいつものようにくだらないことを言う。折角の桜景色は置いておけぼりになる。構って欲しそうに舞う桜は二人の肩にそっと舞い落ちる。


 肩に乗った桜を冬弥は手に取る。


「見て、本物そっくり。てか、これ本物だよ」


「わっ、ほんとだ。食べてみちゃう?」


「いや、本物だとわかって食べる奴いないだろ。いたら、怖いよ」


 芽衣は手に乗った桜を見てそう言う。冬弥はこういう突拍子もない提案に度々驚かされる。冬弥は本当には食べないだろうと思っていたが、芽衣はなんと口に入れてしまったのである。冬弥は目玉が飛び出そうになるほど驚き、口があんぐりと空きっぱなしになる。


「え、え? ちょっと早く吐き出しな! 食べたらダメだって!」


「ちょっと待って、チョコの味する……」


 芽衣は驚いた様子で言う。冬弥は頭が遂にイカレてしまったかとブルーな気持ちになる。しかし、芽衣の瞳は嘘をついてるとは思えないほど真っ直ぐだった。


「本当? 嘘じゃない?」


 冬弥はその瞳を見て、もしかしたらと思う。


「うん、本当。食べてみて」


 恐る恐る桜を口の中に入れる。すると、甘美が口の中に広がる。優しい甘さ、冬弥は小さい頃母がパンの耳で作ってくれたラスクを思い出す。


 懐かしい味、頭の中に溢れる古ぼけた記憶。埃を被っていたはずなのに、今は昨日のように感じれていた。自然と瞳から一粒の涙が頬を伝っていた。


「……本当だ。美味しい……」


「いやあ、摩訶不思議だねえ。ねえ、ちょっと早く次の部屋行こうよ! ここに留まっておくの勿体ないよ!」


 芽衣は腕をぶんぶんと振りながら言う。冬弥はもう少しこの美しい風景を目に焼き付けていたかったが、こうなったしまった芽衣を納得させて留めておくのは、腹を空かせた獰猛なヒグマを手懐けるレベルで難しい。仕方なく冬弥は桜景色に別れを告げ、扉をくぐる。


 次に二人が入ったのは、海の扉。冬弥は薄々勘づいていたが、扉の先に広がっていたのは宝石のようにキメ細かに輝く砂浜に、太陽の光を吸収しエメラルドブルーの海だった。そして、冬弥と芽衣は水着の姿になっていた。


「あれ、水着になってる」


「本当だ。これは海にはいるから優しさで変えてくれたのかな」


「気が利くね。あ、ねえどう? 私の水着姿可愛い?」


 芽衣はスイカ色のビキニを冬弥に見せるように一回転する。冬弥は女性のビキニ姿を見た事が無く、目を逸らしてしまう。


「まあ、うん。可愛いんじゃない?」


「目を逸らしながら言われてもなあ……ねえ、ちゃんと見てよ」


 芽衣は目を逸らす冬弥の顔を鷲掴みにし、無理やり視線をビキニに固定する。


「あれ? 赤くなった。桜はさっき見たのになあ」


 冬弥は恥ずかしさのあまり耳が赤くなってしまい、芽衣に弄られてしまう。


 冬弥は「うるさい、別にいいだろ!」と声を荒らげて顔を鷲掴みにしていた芽衣の手を振りほどき、海に入る。


「あ、待ってよ〜。ごめんってば」


 冬弥の後を追いかけるように芽衣が後を着いてくる。


 冬弥は火照る顔を冷ますように海に潜る。しかし、冬弥は感情で行動を決めてしまったせいで肝心なことを忘れていた。そう、自分が金槌で泳げないことに。


 冬弥は潜ったはいいものの浮上することが出来ずに溺れ死にそうになる。だが、突然どこからか湧いた浮き輪によって海面へと浮上し、一命を取り留める。


「ぷはっ! 死ぬかと思ったあ……」


 海面に上がった冬弥は荒くなった呼吸を必死に整える。心臓が除夜の鐘のようにバクバクと煩く鳴っている。


「ねえ! 冬弥ー! この海も甘いよ〜!」


 芽衣が沖の方から叫ぶ。冬弥はいつの間にあんな遠くへと行ったんだと不思議に思う。


「また〜!? どこもかしこも甘いじゃん!」


 冬弥も声を張り上げる。手をお椀型にし、海水をすくいあげ飲む。さっきの桜で抵抗感はすっかりと無くなっていた。ゴクッと一口飲むと、炭酸のようなシュワシュワ感が喉を襲う。味は良くも悪くも炭酸水でお世辞にも美味しいとは言えないが、かすかにレモンの味がした。


「どうー! 美味しい?」


「あんまりー!」


 冬弥と芽衣は海の扉を一通り遊び尽くしたあと、次の扉に行く。


「紅葉の扉。何となく想像つくね」


 扉をくぐる前に芽衣が冬弥に投げかける。実際、芽衣の言う通りで紅葉の扉は桜が紅葉に変わっているだけであった。


 次なる扉は雪の扉。二人はどうせさっきと同じような風景が広がっていると思っていた。単調で面白みのない扉だと思いくぐった先は、吹雪が吹く雪山であった。眼前には聳え立つとてつもなくデカイ霊峰が。


 冬弥と芽衣の格好は雪山用に変わっていた。靴はスパイクになっており、目にはゴーグル、手には遭難救助隊が使うゾンデ棒が持たされていた。背中には色々なものが入ってそうなリュックが。


「……やばいよ、ここ。遭難するって」


 冬弥は明らかにやばい雰囲気を放つ吹雪に尻込みする。新幹線が横切っているのではないかと勘違いするほどの風の音が耳を通過する度恐怖が倍増する。


「大冒険だあー!!」


 しかし、冬弥とは対照的に芽衣は吹雪に目を輝かせて叫ぶ。腕をイエティのように空高く突き上げ雄叫びを上げ始める。


 冬弥は腕を掴み「絶対にやばい、これはシャレにならない。死ぬことになる」と真剣な眼差しで言う。だが、芽衣は「いいや、大丈夫! 大冒険に行こう!」と冒険家の魂が憑依していた。


 すると、空から落ちてくる木の板が。その木の板は冬弥の目の前に突き刺さる。


「うわっ!」


 雪が激しく舞い上がり冬弥と芽衣に被る。ゴーグルに被った雪をはらい視界を確保する。木の板には文字が羅列していた。


 冬弥はそれを読む。


「ようこそ、雪の扉へ。ここは大吹雪が襲うデンジャラスゾーンとなっています。目的地は目の前に聳え立つ霊峰サルプスへ行くことです。途中リタイアも可能です。あと、安心してください。死ぬことはありません、私が助けますから。なので、安心して大冒険へと繰り出してください。って行けるか! 助かるとわかってても怖いわ!」


 冬弥は文字を全て読んでから突っ込む。こんな文言があるからといって常人は、はいそうですかと納得し、この吹雪の中を突き進むことは不可能である。霧崎芽衣という特殊変異個体を除いて。


 芽衣は死ぬことがないと分かりよりいっそう目を輝かせている。吹雪で空は曇っているというのにまるで太陽の如く光り輝いている。


「ねえ、行こうよ! 死なないって書いてるんだよ!」


 芽衣は冬弥を揺さぶりながら説得する。冬弥はさっきの海で溺れかけた時、浮き輪が突然現れたことを思い出していた。


(確かに死なないというのは確かみたいだけど、怖いよ。こんな吹雪の中突撃するなんて。流石に怖いよ。いや、でも行くしかないんだろうなあ)


 冬弥はグルグルと考えたが結局行きつく先は、霊峰サルプスへと行くしかないという結論であった。頭をボリボリと掻き、頬を一発強く叩く。


 覚悟を決めた冬弥は芽衣の瞳を真っ直ぐ見て言う。


「よし、行こう」


「そうこなくちゃ! さあ、出発〜!」


 二人はこうして霊峰サルプスへの歩みを始めた。険しい雪道、前方の視界は霧がかかったようで見えづらく足元も不安定だ。途中、風で飛ばれそうになるが冬弥と芽衣の間にあったロープで事なきを得る。二人は慎重に歩を進める。


 途中、休めそうな洞穴を見つけ休息をとる。


「はあ……疲れたあ」


 流石の芽衣でもあの吹雪の中を歩くのは堪えていた。芽衣が疲れるということは、冬弥の方は酷い有様であった。息はたえたえ、もはや息をしてかろうじて歩いてる屍である。束の間の休息は二人の間を縮める。


「ねえ、冬弥は将来の夢とかあるの?」


 薄暗い洞穴で響く芽衣の声。


「……普通に暮らしたい。大きな夢もなくていいから、まともで平凡な生活を送りたい」


「平凡な生活ねえ。君らしいね」


「うるさいな。そういう芽衣はどうなんだい」


「私? うーん、私はねパティシエになりたいんだ」


「パティシエ? どうして」


「両親がパティシエでね。お父さんは随分前に死んじゃってて、お母さんはお父さんの遺したお店を一人で必死に切り盛りしてるんだ。だから、私もお父さんが遺してくれたお店を継ぎたいの。潰したくない、お母さんの想い出を。だから、元気に居なくちゃダメなんだ」


 冬弥はいつもとは違う芽衣を初めて見た。いつもの溌剌な元気などはなく、そこにあるのは哀愁の影であった。


 そう、芽衣がいつも元気に明るく溌剌に振舞っているのは一人で育ててくれる母を心配させない為であった。自分が少しでもくらい影を見せれば、母はきっと過剰なまでに心配するだろう、と小さいながらに思いやりずっと元気にやってきた。そんな芽衣が垣間見せる本当の自分。


「……いい夢。人が願うことの大半は叶えることが出来るんだってさ」


「じゃあ、私のも叶う?」


「叶うよ」


 冬弥は心から言葉を発した。誰かの言葉を後押しするのは責任が伴う。だから、冬弥は無責任なことは言いたくないと思っていた。そんな冬弥が初めて人の背中を言葉を押す。二人は本当の自分をさらけ出す。


「なんかしんみりしちゃったね。よし、切りかえていこう! ゴールはきっとすぐそこだよ!」


 芽衣は立ち上がってズボンについた石をはらいながら元気を込めて言う。


「よーし、じゃあ行くか!」


 冬弥も釣られて元気に言う。


「いいね、やる気だね」


「芽衣のお陰様で」


 二人の体を繋ぐロープは心に繋がる。険しい雪山も、先の見えない吹雪の道の先も恐れることなど無かった。なぜなら、横に信頼してくれる人が居たから。本当の自分を見せれる人が出来たから。二人は霊峰サルプスに着き、ゴールの扉をくぐった。


 二人は最初の部屋に戻ってくる。


「戻ってきた〜! 達成感あるね!」


「死ななくてよかった」


「ホッとした?」


「大分ね」


 冬弥と芽衣は全ての扉を回り終え、もう行く所が無くなり最初の部屋で喋っていた。向き合うように座る二人の間にニョッキ、と何かが書かれた木の看板が突然生えてくる。


「うわっ! びっくりしたあ」


 芽衣は大きな声を出して驚く。冬弥も驚きはしたが芽衣程ではなかった。冬弥は木の看板に書かれている文章を読み上げる。


「ええと……なになに。全ての部屋を回って暇であろうお二人に三つの扉を用意しました。一つ目は入学式の扉、二つ目は卒業式の扉、三つ目は出口の扉でございます。どれをどの順番に回るかはお二人に任せますので、どうぞごゆっくり、だってさ」


「入学式の扉……!? 行くしかないよ、ほら、立って! 行くよ!」


 芽衣は息巻いて立ち上が冬弥の腕を強引に持ち上げ立ち上がらせる。そして、桜の扉とすげ変わるように現れた入学式の扉に入る。


 二人が入った入学式の扉。そこには入学したての初々しい二人がいた。まだ幼さが残るあどけない顔つき、親がこれから伸びるからと大きめに採寸された身の丈に余る制服。希望と不安に満ち溢れている。


「うわあ、懐かしい……」


 芽衣はため息混じりに言う。


「こんなに小さかったか?」


 冬弥は自分の近くに行き、今の自分の背丈と比べて訝しむ。しかし、そこにいるのは紛れもない三年前の冬弥自身であった。


 人は気付かぬうちに成長し逞しくなる。だから、冬弥は自分の成長過程を見るのは夢を見ている気分だった。芽衣は三年前のクラスメイトを見て回り、現在と過去の違いで笑っていた。


 そして、変わっていたのは冬弥と芽衣だけではなかった。両親もだった。母の深くなかった皺も三年も経てば深くなり、父の多い白髪も三年前は黒髪に混じって目立っていない。冬弥は育ててくれた両親を見て、三年間で自分が思っていた以上に苦労をかけていたことを知る。


「……ありがとう」


 冬弥は両親を見ながら言う。照れくさくて言えないけど言葉もここでは言えた。


「芽衣、そろそろ行こう。ノスタルジックな気持ちになって気分が落ち込みそうだ」


「それもそうだね」


 入学式の扉を後にした二人に残された卒業式の扉。二人は顔を見合せ、同じタイミングで同じで言葉がハモる。


『卒業式はまた今度』


「あ、同じ意見」


 芽衣は口角を上げて笑う。


「うん。だって、これは見るべきじゃない」


「そうだね。私たちの卒業式はここじゃなくてあそこ学び舎だから」


「じゃあ、出口の扉に行こう。楽しい体験をさせて貰えた」


 冬弥と芽衣は出る前に一例をし、出口の扉をくぐる。


 そして一週間が経つ。あの時二人が入らなかった卒業式が行われた。冬弥と芽衣の胸ポケットには花が添えられている。


 開け放たれた体育館のドアから生温い風が吹き込む。四角い風景の先には桜が舞う。荘厳な音楽と共に冬弥は今日この学び舎を卒業した。

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