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日常が金太郎飴のように続くと、いつまでもこのままでいられると錯覚するものである。
だが、あの頃は戦時中だった訳で、そんな悠長な日々も、あっという間に終わりを告げた。
その日、千賀子は越南人蜂起の噂を聞きつけて、慌ててHoạの元を訪れた。彼女の家は隣人含め、てんやわんやの大騒ぎだった。
「Hoạ、ここは危険だわ。早く避難した方がいい」
「知ってるわよ。おばあちゃんもお母さんも、昨日から片付けで大忙し。ここは危ないから、安全な所に逃げなくちゃって」
思った以上に、Hoạは冷静だった。いずれこうなることを、ずっと前から分かっていた様だった。
「ねぇ、チカコ……」
そう言いながら、Hoạは勿体ぶった顔をする。そして「じゃじゃーん」という効果音と共に、ポケットから一つ、大きな石の塊を取り出した。
「これ、ルビーよ。あなたにあげる」
真紅の輝きは、天高く昇る太陽に照らされて、さらに美しく、輝いて見えた。
「ルビー? あの、宝石の?」
「ええ。正真正銘、嘘偽りなく、宝石のルビーよ」
Hoạは自慢げに鼻を鳴らす。
「悪いわ、宝石なんて、そんな高価なもの。それに、こんな大きな塊で……」
「いいのよ。だって、田んぼで取れるんだもの」
千賀子が遠慮がちに断ると、彼女は「待ってました、その反応」とばかりに、思い切りくすくすと笑って見せた。
「田んぼから、ルビー? それって、本当なの?」
「ええ、本当よ。たまにだけどね、稲を植える時にキラキラ光る物があって、掘ってみるとルビーが埋まってるの」
曰く、この地域はルビーの鉱床になっていて、鉱脈にぶつかると原石が大量に取れるそうだ。こんな素晴らしい話、海外のマニアから見れば垂涎の的だろうが、そうはさせまいと地元の長が情報漏洩を厳しく取り締まっているらしい。それは、かつてより列強の植民地であるこの国の、せめてもの抵抗なのかもしれなかった。
「時々、近所の友達と競争するのよ。誰が一番大きくて、綺麗なルビーを掘り出せるか……」
Hoạはうっすらと目を細めて、慣れ親しんだ景色を眺める。既に昔を懐かしむような顔つきだ。
「貴女、そんな大事なこと、私にベラベラと喋ってしまっていいの?」
「いいのよ。チカコは絶対、言いふらさないでしょ? それに、もう会えないかもしれないし、最後に面白い話をしてあげようって思って」
千賀子は思わず、言葉に詰まった。目の前の少女は、理解していた。「戦争」という二文字が彼女たちを引き裂いてしまうことを。
「いつか、日本Nhật Bản(日本)にも行ってみたいな。Nhật Bảnの田んぼからは、何が取れるのかしら?」
「宝石は、取れないけれど……。是非、いらっしゃいな。貴女に貰ったルビー、大切にして待ってるわ」
千賀子は彼女とハグをして、互いに別れ別れになった。彼女は落ち掛けた西陽を背景に、細い腕を懸命に振っていた。
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