第一話 ノクターナル・セントゥリア学園

 世界には未知がある。人が足を踏み入れたことがない未踏の地。まだ見ぬ未知の大陸。人智も及ばぬ未知の種族。未知の遺跡。未知の文明。身近に潜んだ小さな未知も、時として、世界を大きく変える。


 そして、魔法もその一つ。


 表向きは古びた孤児院として、しかし、裏では魔法使いを育成している学校がそこにはあった。なぜそんなにも慎重に、世間からその存在を隠さなくてはならないのか?

 その答えは、今はまだ明かせない。今のところは読者諸君の豊かな想像力に委ねるほかないだろう。


 高くそびえる山々を超え、地上に深く刻み込まれた谷を越え、大地を蛇のように這う川を越え、エルダーフォレストの奥深く。広大な自然の障壁に囲まれたその土地に、赴く人は次の三種類に絞れることだろう。故郷を離れ、知らない土地に道を失った旅人か、世界の秘宝を求め旅に明け暮れる冒険者。あるいは……、そう、魔法使いだ。

 その存在は世間に知られているものではないし、決して知られてはいけない。その名をノクターナル・セントゥリア学園と呼ぶ。


 数々の世界に名を残してきた魔法使いを輩出した有所ある学園は、今日も二人の魔法使いを世に送り出そうとしていた。


 ある美しく晴れた日の空の下、学内には至る所に気持ちの良い光が零れ出ていた。所々、廊下から除く中庭には、陽の光の下に艶めかしい紫をいっぱいにたたえたアメジリスが満面の笑みを浮かべ、咲き乱れていた。


 その何もかもが行き届いた綺麗な廊下を、赤い絨毯の上をすたすたと横切る、一人の長身の男があった。彼の名をジーナスと呼ぶ。

 彼はいくつも廊下を曲がった。途中、彼は幾人もの生徒とすれ違ったが、会釈をするのを忘れない。パール色の大理石でできた優雅な階段を上ると、中央の大広間に出た。

 

 首が痛くなるほど気持ちがよいほどの吹き抜けたドーム状の天井には、まるで世界の広がりを勇敢な魔法使いたちに再認識させるように、数多の先人たちの視線のように、彼らを導く確固たる指標の如く、無数の星々が散りばめられていた。


 想像してみてほしい。静謐で美しいその空間を。


 幾何学的な形をした見事な振り子が時の経過を表しているかのように触れている。壁には素晴らしい魔道具、魔導書と言った具合のものが並び、至る所に美しいレリーフが施されている。あの汚らしく古びた外観から、この美しく、そして神秘的な空間が内部に広がっていることとは、たとえそれが腕っぷしの冒険者であっても、世界中を旅する旅人さえも、夢にも考えないに違いない。


 目を見張るほど素晴らしく彫られた一人の魔法師をかたどった像の前で彼はそっと足を止めると、それを見上げた。

 陽の光は像を立体的に映し出し、いつになく彼女は生き生きとしている。

 その目に埋まった、透き通った青い石からは、今にも生命が宿りそうな気迫すら感じとられる。ジーナスがしばらくそこに立っていると、なだらかなワンピースに身を包んだ教師と思しき女性が男に話しかけてきた。


「まったく、この像はいつ見ても美しいですわ」

 彼は「ソフィア先生か」と女性を一瞥し、その滑らかな顎を撫でると、何度も頷いた。


「そうだ、なにせ当時世界で一番腕が立つと言われた彫刻家に彫らせたのだから間違いはない。見なさい。とても石でできているとは思えない。私はこの像を何百、いや、何千回とみてきたが、見るたびに毎回必ず新たな発見がある。彼女の表情、仕草、指の関節、ローブのうねり一つ一つをとっても、今にも動き出しそうなほど生き生きとしている」


 ジーナスは興奮しながらいった。ソフィアはそれを横目に柔らかい微笑を浮かべる。


「ええ、この学校の創立者ルフィッツアーノルドの意向を受け継ぐのには、こんなに良い像はありません」

 そこまでいったところで、ソフィアは思い出したようにジーナスのことを上目に見つめ破顔した。


「彼女は自分の像が学校に建てられることにひどく恥ずかしがったそうですが」

「ははは」ジーナスはさっぱりと笑った。「どんな偉大な冒険家も当初、自身の名が地図に刻まれるのは恥ずかしかったに違いない」

「ええ、でもそれはきっと大変名誉あることです」

 ジーナスはもっともだと頷くと「私はこの像は百年たった今でも生徒に一種の魔法の指針を示し続けていると感じるよ」と顔を少し綻ばせた。


 その言葉に、ソフィアはどこか感慨深げに口を開いた。遠い過去を見るような目で、像を見やる。


「百年、ですか。あのから」


 すると一遍、ジーナスは眉間にしわを寄せ、いつにない真剣な面持ちになる。

「ああ、我々は何としてでもその意思を受け継がなくてはならない。魔法の名に懸けて、もう二度とあのような災いを世界にもたらしてはならないからね」


 ソフィアは大きく息を吸い込んだ。百年前の大災害。その存在を知らないものは、もはやいない。

 魔法によって力を持ちすぎた人間が、人の断りを越えようとし、世界の均衡が崩れたのだ。世界各地が地震、津波、天変地異に見舞まわれ、歴史に暗い点を残した。人の手によって人に及ぼした最悪。それこそが魔法使いが忌み嫌われる原因であり、元凶でもある。

「魔法……、時には考えものです。当事者の私たちが言うのも変ですけど」

 するとジーナスは重々しく「元々、この学校が創立された背景には、そのような過ちを金輪際残さないために、魔法を心得る者たちを良き方向に導いていこうという彼女なりの企みがあったのさ」と言った。

 ソフィアは頷きながら、その重い話題を変えようと模索した。


「それとジーナス教頭はご存じのはずですが、今日、本校からはが出るのですよ」

「ああ、もちろん知っている。ユリアにフィオナの二人だろう」

 ジーナス教頭はどこか誇らしげに、目を細めるのだった。

 その様子にソフィアは目を大きく見開いた。

「驚きました。お名前を把握していらっしゃるなんて」


 ジーナスは、当然だ、とでもいうように、どこか居心地の悪そうに肩をすくめると、彼女たちに心から敬意を表し、しかし一方では悔しさはらむ、寂しそうな笑みを浮かべていうのであった。


「彼女たちは本当に、本当に、優秀な魔法使いだよ」


 ソフィアは、確固たる自信と共に頷いた。

「ええ、彼女たちは……特にユリアは、魔学、魔法の実技においての成績優秀はもちろん、あれほどの力をもってしてでもその力に固執し誇るようなことをしません。魔法使いなんて本来自分の力をひけらかしたくてたまらない性分なんですけどね」


「彼女たちには謙虚が備わっているのさ。これは、実は下手な上級魔法を習得するより難しくてね。私はこれまで何人もの生徒を送り出してきたが、彼女たちには何か目を引くものがある。特にユリアだ。彼女は不思議な生徒だ。七年前何の前触れもなしにぽっと現れてたちまち在校生を抜かしていった。そういえばユリアは両親がいない孤児だったと聞いているが……」

「ええ、ユリアは幼いころから実の親の顔を知らず、親切な人に引き取られたとのことです」


 ジーナスは何かを考え込むかのように目を落とした。再度沈黙が降りる。

 するとソフィアはそれを横目にぽつりと呟いた。ジーナスが何を考えているか、ソフィアには何となく伝わってきた。それは自分も、あるいは彼女に会ったことがあるなら、何度かは考えることだ。


「もしかして、のことですか?」


 その発言にジーナスの肩が大きく揺れた。まるで自分が考えていたことが見事に言い当てられた時のように目を見開いていた。


「ど、どうして」

「私も何故かはわかりません。しかし時々感じるんです。ユリアを見ているとなんというか……、なぜかフランメルのことが思い出されるのです」

「そうか、やはり、そうか」


 彼女たちは似ている。多くの面で、似ている。人を勝手に寄せ付ける笑顔。立ち姿。魔法に対する姿勢。ハッとした一瞬にユリアとフランメルの風采が重なる。まるでユリアの中身がフランメルに入れ替わってしまったかのように。それは説明できることではない。それは意識に、古き記憶に直接問いかけてくるのだ。


 そう、彼女たちは似ている―――。その時幾度となく繰り返してた思考に、新たな光が差し込んだ。ソフィアは、ジーナスの顔を素早く見上げると堰を切ったように口火を切った。

「フランメルは、実は、ユリアの母ではないでしょうか?」

 ソフィアの鋭い指摘に、ジーナスは図星を付かれたかのように目を見開くと、眉根に皺をよせ、どこか深刻な表情で何かを考え始めた。今まで何となく、表面上のみで感じていた感覚を、改めて自分の言葉に落とし込む。何となく、がより輪郭を帯び、ソフィアの前に、それはある予感として姿を現す。


「あり得なくはない。いや、十分に考えられる。フランメルが卒業したのは約二十年前。ユリアの年齢を加味しても不都合はない」

「やっぱり」

「ただ……」ジーナスは何かを懸念しているかのように重い口調でつづけた。「おかしいと思わないか。もし……、それが本当なら、フランメルは娘を、自身の大切な娘との関係をきっぱり断ち切ってしまっていることになる。それもユリアが生まれてすぐに、だ」


 ソフィアは再度ハッとさせられた。その通りだ。フランメルはこの学校の卒業生。本人もそれを誇りに思っているはずだ。なのに。自身の実の母校に、わざわざ娘の存在を隠して通わせる必要があるだろうか。

 それに、あの慈悲深いフランメルだ。育児を投げ出すなどの堕落がその過程にあったなど考えは、愚問である。折角の考えだが、それは到底穴だらけであることが自覚された。


「そのフランメルだが、最近奇妙なくらいその名を聞かなくなった。隠居をしているのだろうか……。いや、そんなこと彼女に限ってないはずだ」

 遠い目で過去を思い出しているように言った。ソフィアは目を落とすと「確か、ジーナス教頭は若いころフランメルさんと関係があったとか」とポツリと呟いた。ジーナスは最初何を言っているか分からないという顔をした。しかしすぐにその顔には、感情があふれ始めた。ジーナスはしまったというように額に手を当てると「な、ない。誤解だ」と恥ずかしそうに言った。


 するとソフィアはそれに畳みかけるように「またまた、私は知っていますよ。若き頃の教頭は誰もが振り返るほどの生粋のプレイボーイだったことを」と詰め寄った。

「ああ、うるさい」

「ま、なんにせよ、彼女たちは現在の魔法界の信頼回復の一端を担ってくれるに違いありません」


 ソフィアは引きさがることにした。するとジーナスは、ソフィアが出した助け舟をためらうことなく受け取り「ああ、間違ない。きっとこれからの魔法界に新たな風を吹き込んでくれるよ」と言った。


 フランメルとユリアこの二人に関係はあるのか。あの魔法界を救った名高きフランメルは今何をしているのか。出口が見えそうにないその問題に、ソフィアは再び蓋をすることにした。


「後は校長がどう出るかですね。まったく、今年はどんな無茶が彼女たちに吹っ掛けられるのでしょう」ソフィアは呆れ笑いながらいった。

 この学校の卒業にあたっては校長が何かいつも事件を起こす。ソフィアには、彼女たちが何かしら無茶ぶりをされることは目に見えてわかっていた。しかし教員皆それを悪く思っている者はいない。それは校長が生徒と向き合っている証拠でもあるし、校長としての祝福の仕方であることはもう皆知っているからだ。ジーナスもはははっと笑った。それは微笑ましい笑いにも見えたし、困ったような呆れにも見えた。


「そうだな」

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