第8話 平屋から平屋に移動中
食堂兼休憩所を出るとすぐ横にある喫煙所で、テツさんとリースさんが椅子代わりに置いてある金属製の長箱の上に腰を掛け、一緒に煙草を吸っていた。
私はいつものように「おはようございまーッス」とそれぞれに挨拶をする。
テツさんは「おう」、といつも通りにぶっきらぼうな返事を返した。
それに対してリースさんは、何故だかまず私の額のあたりを中心にして目の焦点をぼかすようにしながら少しぼんやりこちらを眺め、ひと呼吸だけ間を開けてから「エイジ―ム」と低く呟いた後に「オハヨウ」と応えた。いつもなら、目を少しだけ合わせてから「オハヨウ」と返すのに。
私は少しだけ違和感を感じたけれど、気にする事でもないだろうなと判断して自分の目を足の進む方向に戻した。正直に言えば私の名前を呼ぶ発音がどんどん変化して「ハジメ」という原型を留めなくなってしまっているのが気になったけれど。
まあこの職場に居れば発音とかは仕方ない。
ヨン様、リュウさん、リースさんの三人はいつもテツさんがワゴン車に乗せて行きも帰りも送っているのだが、寒い季節以外はテツさんとリースさんは朝の出勤時に食堂で時間を潰したりはしない。よく分からないけれど、きっとこだわりみたいなものが有るのだろう。
二人とも喫煙者であり、屋内では煙草が吸えないことも理由になっているのかも知れない。
二人もこちらの歩みに合わせて立ち上がりながら金属製の錆び付いた業務用灰皿に吸いかけの煙草を投げ込み、ゆっくりと歩き出す。大きな缶みたいな業務用灰皿の内側に張られた水に煙草が触れて、ジ、という音を立てた。
そして私たちが「工場」と呼んでいる作業場の建物の横側に有る事務所兼社長室の方向にテツさんを先頭にして進んで行く。
「テツさん、テツゴロウさん」
建物に近付きながら、途中で私はテツさんに声を掛けた。
何故だか分からないが、テツさんことテツゴロウさんは、挨拶のやりとり以外では「テツさん、テツゴロウさん」と二回呼ばないと反応しない事が多い。社長からの呼びかけには「テツさん」の一回で反応するのだが、他の日本人が声を掛けてもどちらか一方の呼び名では確実に反応してくれることが少ないのだ。しかし海外出身者の方が声を掛けると愛称か本名どちらかの呼び掛け一回で反応する割合がいくらか多いようにも感じられる。はっきりとは分からないけれど、何か法則性や理由みたいなものが有るのかも知れない。これは明確には分からないから私の思い込みかも知れないけれど。
今回も、私からの「テツさん、テツゴロウさん」の二回呼びで「あんだ、ハジメ」と歩きながら返事をしてくれた。
私はさっき出て来た食堂兼休憩室と、目の前のこれから入る事務所兼社長室を交互に見ながら、以前から疑問に思っていた事をテツさんに聞いてみた。
「テツさん、うちの会社って建物が全部、一階建ての平屋じゃないですか。工場に二階が無いのは消防法とかの関係だと思うんですけれど、他のも全部一階建てなのは何か意味があるんスかね?」
その質問にテツさんは少し怪訝そうな顔をしてから、いつも通りのぶっきらぼうな口調で答えた。
「もともと古いから、じゃねぇか?そういや昔、社長が使える空間を広げようとして自分で事務所に二階を造ろうとしたこともあったんだけどな、その時横で見ていた奴から、ああ、そいつはすぐ会社辞めちまったんだけれど、そいつからその造りだと違法建築になるんじゃないかって指摘されて、直ぐに撤去しちまったんだよ。造りかけだった二階部分。お前がココに来る前の話だよ。どうでもいいんだけどな、そんな事」
へえ、と思って続きをもう少し詳しく聞いた限りでは、その時社長は「DIYだ!二階を造るぞ」と突然言い出したかと思ったら、凄い早さで建築材料を取り寄せて二階部分を自ら増築していったのだけれど、「それ、違法建築じゃないんスか?」と素朴な意見が出るなりハッと気づいた顔をして一呼吸おいてから、今度はいきなり「合法合法!」「法令遵守ぅ!!」と叫び出し、そのまま急に造りかけの二階部分を解体し始め、元の状態に戻してしまったのだそうだ。
ついでにその時剥がした木製の薄い板材は手が空いた日に割って薪にして、駐車場替わりに使っている食堂向かいの野晒しになっている空き地でドラム缶に穴を開けて作った簡易ストーブにアルミホイルで包んだサツマイモと一緒に入れて焚き、その時出勤していた従業員のみんなと一緒に休憩時間に大量の焼き芋を食べ、仮組みで使用した単管は今も工場の隅に立てかけてある、との事だった。
ああ、そういえばあったな、使い道のない単管が工場の隅に。
使う予定も無いのにあんな所に単管をまとめて放置していたら、そのうち只の廃棄物になってしまうのではないかと気にしていたのだが、そういうものであったのか。あれは。なるほど。そういえば分解した金属階段の部品らしきものや切断されたトタンみたいな薄板も一緒に横にまとめてあった。あれもその時の残骸なのか。
そうかそうか、社長は私がこの町に来る前からずっとあんな感じだったんだ。そして建物は平屋のままか。
社長、頭は良いし器用だし、思いついたら即実行する性格なんだけれど、大事な所を置いてけぼりにするんだよなあ、いつだって。やっぱりそれも昔からか。
これはいよいよ、私の契約内容もどうなっているのか怪しくなってきた。
不安ばかりが増えた状態で、私はテツさんとみんなに続き事務所兼社長室の中に入って行った。
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