第7話 夢は神託、だったらしいですね。


「昔、どこかの国では夢は神託、だったらしいですね。しんたく。かみさまのおつげ。日本でも似たような感じだったかも知れない」

 ゆっくりと喋るヨン様の声は、ほぼネイティブな日本語話者と変わらない。見た目も殆ど日本人の遺伝的特徴に相似しているから、落ち着いて喋る限りヨン様が日本国籍を持たない事に気付く者は少ないだろう。

「でも、ワタシ正しいかどうか言い切るコトできない。その事」

 しかし、このように感情がこもった言い方の時や話すペースが少しでも早くなる場合には、助詞が抜けたり発音が変化したりする。多くの日本語ネイティブよりも主語が明確過ぎる言い方になってしまう事も一緒に働く日本人には気付かれやすい点だろう。丁寧語などの敬語が付いたり抜けたりと不規則に感じられるのも同僚として働いていると分かる部分だ。

 見た目では年齢がさっぱり分からないけれど、私よりも一回り以上年上だと他の人から教えられた事がある。だから三十代半ばは越えているのだろう。もしかしたら、四十代後半なのかも知れない。二十代後半くらいにしか見えないけれど。

「夢。寝ると見る夢。ハジメさん、何でそんな話した?ハジメさん、急にした」

 ヨン様が助詞の抜けやすい日本語を連続して話す時、急ぎの用事や焦っている事情があるのでなければ、それはおそらく私に心を許してくれている証なのだと解釈している。ぜんぜん違うかもしれないけれど。

 私がこの会社に入るより前の繁盛期に人手が足りなくなった際、臨時アルバイトにやってきた妙齢の御婦人方が、ヨン様という今のあだ名を生み出したらしい。

 だから私からすると出会った時からヨン様の呼び名はヨン様なのだけれど、元を辿ると本名とは何の関係もない、過去に流行った実写映像作品の登場人物名か何かを日本語で聞き取りやすく発音し直したものらしい。もしかしたら、そういう愛称のアイドルか俳優さんが本当に居るのかも知れない。

 確かに俳優さんみたいな顔立ちで色白細面、爽やかな笑顔にシンプルなメガネが知性的な雰囲気を醸し出している。

 以前、本人に名前の話をした時には、一度に二種類か三種類位の本名を教えて貰ったが、覚える事が出来なかったので「ヨン様」のあだ名で呼び続けている。複数有る本名はいずれもが偽名とかではなく実名で、お父さんの出身国とお母さんの出身国や登録上の生育地に相当する国籍での呼び名なのだそうだ。うろ覚えだが、ひょっとしたら三種類目と感じた名前は、距離も文化も近いけれど本来の発音だと聞き取って貰えないし周囲の人にも発音してもらえない国へ行くときに名前の一部からもじって使う簡易名義みたいなものだったのかも知れない。この辺は事情が複雑そうで、本人にも説明が難しそうだったから今も詳しくは分からないままだ。

 この会社ではみんなヨン様と呼ぶし、本人も特に嫌がってはいないように見えるからそれで構わないのだろう。

 ヨン様の隣ではいつも通りヨン様と一緒に出勤してきたリュウさんがいつも通りヨン様とは少し異なる方向に視線を向けて座っている。

 この二人の関係について聞いた事はないけれど、多分一緒に暮らしているのだと思われた。もしかしたら、もっと大人数で住居をシェアしているのかも知れない。

 ふとヨン様が食堂(色々兼ねている休憩所)の隅にある時計に視線を向けて、

「そろそろ、行くよ。行こうか」

 と言った。タイムカードを押しに事務所兼社長室に行こう、という意味である。


 私がいつもの出勤時刻よりも少し早めに会社に着いて、食堂兼休憩所で上着を脱いでいた所にやってきたヨン様とリュウさんの二人に向かって、「おはようございまース。……ねえ、普段どんな夢を見る?夢の中に変な声だけとか神様みたいなものが出て来る事ってある?」と聞いた所からヨン様は神妙な顔を見せてパイプ椅子に座り、開きっぱなしになっている折り畳みデスクに肘をついたまま、意外にもしばらくの間沈思黙考状態に入って、少しだけ喋って今に至るのだ。


 夢は夢。臨死体験は臨死体験。そして当然、現実は現実だ。

 そう。現実なんだ。社長と改めて話さなければ。昨日勝手に決まっていた私の正社員化とその契約内容が、書類上・契約上・立場上でどういう事になっているのかを。

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