第2話 なんだっけ。ここはおそらく病院だ


 なんだっけ。

 目が覚めて最初に感じたのはそんな気分だった。

 指先で今自分が横になっているベッドのシーツを撫でてみる。そして視線の先に有る天井を改めて見直す。

 うん。ここはおそらく病院だ。そして私はベッドに寝ている。多分いつもの病院で、入院患者用の病室だ。処置室の方かもしれないけれど、おそらくこっちは入院用だ。天井のカーテンリールを見て何となくそう思う。

 何の夢を見たんだっけか。夢ではなくて臨死体験か。

 でも、これまでに何度も体験した臨死体験とは何かが違っていたような気がする。

 そうだ、トンネルを初めて抜けたんだった。これまでは横型でも縦型でも、臨死体験中に意識が通るトンネルは通り抜ける前に意識が戻って死ななかった経験しか無い。だから生きているのだけれど。

 でも今回はトンネルを抜けたしその先の景色も見た筈だ。見たというか感じた筈なのだが、どんな景色だったのか映像が頭の中に描けない。

 それで何か女の人の声がして、会話をしたというか嚙み合わなかったというか……


 やめよう。

 何だかよく分からないけれど、自分が死にかけた事は確かだろうし頭がぼんやりしたままだ。こういう時は寝るのに限る。

 そう考えて腕を動かし、ずれた掛布団を引き上げた所に大声が掛かった。

「フジクラさーん、聞こえてる?」

 婦長さんの声だ。以前病院に担ぎ込まれた時もその前も、毎回ドクターの横か病室の見回りで私に確認や注意の声掛けをしてくれた大きな声の婦長さん。

「さっき、腕動きましたよ。意識戻ってますって」

 もう一つの高い声はキノシタさんとかそんな名前の看護師さんだ。多分そう。前々回の入院で尿が溜まる瓶をベッドの脇で倒してしまい、パニックに陥った私のナースコールに反応して淡々と対応してくれたキノシタさん。看護師さんにとっては日常なのかも知れないけれど、私としてはいくら入院や臨死に慣れていたって若い女性に自分の尿を床にぶち撒けた事を報告し狼狽したまま処理してもらうのは恥ずかしいから、その時に嫌な思い出と共に名前を覚えてしまったキノシタさんだ。恥ずかしい。今は関係無い事なのに、恥ずかしい。


 勝手に思い出して恥ずかしがっている私に婦長さんが近付いて、顔を見る。同時に全身を掛布団越しにチェックしたのも視線で感じた。皺こそ少ないが、おそらくこの病院職員の中では最年長だと思われる婦長さん、近くで見ると結構大きい。声だけではなく体が大きい。性別とか年齢とか関係無く大きい人って世の中に結構居る。婦長さんはその典型例だ。一方のキノシタさんは体が細い。でも力が強い。入院患者の体をベッドの上からずらすのが物凄く上手い。私は知っているんだ。体が弱いから患者側としてはその辺にすぐ気付く。しかもキノシタさんは技術で人をずらすのではなく、力でずらす。体幹が強い。私には分かるんだ、体が弱いからこそのジム通いでトレーニング歴は長いから。多分アスリートに近いタイプだと思う。あの力の出し方と入れ方は。時々ジムに居る、ああいう人。

「聞こえてますよね、フジクラさん」

 婦長さんはすぐに私が起きている事に気付き、声を掛け直す。

 なんとなく寝たふりをしたような形になってしまい、気まずくなった私は取り合えず首を縦に振る。

「声、出ますか?」

 婦長さんは常に声が大きい。

「は、はい。デマス。出ます」

 理屈抜きに囚人になった気分になる私。

「体、動くね?」

「はい、動きます」

「良かったねぇ。でも無理は駄目ですよ。ドクターに確認して貰いますからね」

 なんとなく、田舎のおばあちゃんみたいだなと感じるが、私自身には田舎の記憶も祖母の思い出も何も無い。嫌な家だったから、何も思い出さないようにしていたら思い出さないようになったのだ。記憶には水路みたいなものがある。思い出す程水路は太くなり、思い出さなければ水路は細くなって枯れるのだ。


 ドクターの確認を経て、私は退院が決定した。臨死体験の話はしないでおいた。『気絶していた』という病院側の説明で済ませた方が、後々スムーズに済みそうだと考えたからだ。その方が早く自宅に帰れるし、職場にも戻れる。夜はジムで身と息を念じ、シャワーを浴びて帰って眠る。

 私が求める「安らぎ」に近付くにはそれが一番良い事に思えた。



【現時点のパラメータ】

 婦長さん

 性別:おんな

 職業:まちのひと(医術88)

 種族:太陽系惑星人・??派


 キノシタさん

 性別:おんな

 職業:まちのひと(医術25)

 種族:太陽系惑星人・??派


 ドクター

 性別:おとこ

 職業:まちのひと(医術75)

 種族:太陽系惑星人・??派


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