第11話 稼いだ金は色街で

 次の日。


 マリオとジーナは朝早くから起きて食料の確保や、拠点近くの安全確保に当たっていた。


「まあ、ここらへんにはコカトリスしかいませんし、向こうはこちらに近寄って来ないので、まずだいじょうぶでしょう」

「じゃあ、さっそく修行だな」

「……それはいいんですけど、なんで手をワキワキさせてるんですか? 気持ち悪いです」


 ジーナは両手を掲げるマリオにジロジロと視線を向けた。


「ジーナ」

「……何ですか?」

「尻触らせてくれ」

「……切り落とされたいんですか?」

「待て! ちょっと待て!」


 凍てつく視線を向けながら剣の柄に手をかけたジーナに向かって、マリオは慌てて魔法を突然使えるようになったときのことを話し始めた。


「あのとき、おれはジーナの腹を触っていた。おまえのマナとやらはまったく感じ取れなかったが、腹の感触は実に気持ちがよかった。ずっと触っていたいくらいだった」

「……マリオさん、気持ち悪いんですけど」

「まあ、いいから聞け。それでだな、まあぶっちゃけると、あのときのおれのムスコは興奮していた」

「ほんとに気持ち悪いんですけど!」

「真面目な話なんだから聞けって! いいか。おれの全身からムスコに熱い力が送り込まれたときのことだった――」


 マリオは悟りを開いた賢者のようにどこか遠くを見つめながら言った。


「そのとき、おれは初めて自分のマナというものを感じることができたんだ。これはムスコのおかげ……いや、ジーナのおかげなんだ!」


 腕を高く掲げながらジーナに詰め寄るマリオ。


「だから、マナエンチャントの修行にはおまえの体を触るのが一番いいと思うんだ。それも腹じゃなくて尻ならもっと効果――ガッ!」

ジーナはマナを込めた強烈な平手打ちをマリオの頬にかました。

「ま、待て! べ、別に悪い提案じゃ――」


 返す手で張られる逆の頬。


「て、てめえ! ちょっとマナエンチャントが使えるからって――」

「ふん!」


 ジーナがマナを集中した拳は正確にマリオのみぞおちにめり込んだ。


「……」


 大の字になってくたばるマリオの頭を足で踏みつけながらジーナは静かに言った。


「全裸になるのはいいでしょう。ほんとはよくありませんが、人にはみんな抑えられない性癖というものがあります。ですが、人の体を触りたいとは何事ですか……でもまあ、私の前だけなら全裸になるのは今後も許しますが」

「……そ、それはおまえがたんにおれのを見たいだけガハッ」


 地面にマリオの顔が強く押し付けられた。その上にあるジーナの足は罪人にのしかかる重石のようだった。


「話してるのはこの私です、ルーキー・マリオ。マナエンチャントも使えない新入りの分際で姐貴分の話を遮るものじゃありません」


 ジーナはグリグリとマリオの頭を地面に押さえつけた。マリオの口に土が入り込んでくる。


「うえっ! て、てめえ……ちゃんと考えてみろよ!」


 マリオはジーナの足をはねのけてガバリと体を起こした。


「いいか? おれが早く強くなった方がギルドにとっても得だろうが」


 この狩りと訓練が終わってベガスへ帰れば、今度は《小鬼の大鎚》とのいざこざが待ち受けている。


「だから、別におまえの尻を触りたいってのも、変な意味で言ったんじゃねえよ」

「……でも、興奮するために触りたいんですよね?」

「だから! それは手段であって目的じゃねえんだって。なあ、頼む」


 マリオは真摯に頭を下げた。


「正直に言うと、初めて見たときから気になってたんだ」

「えっ、ちょっ……そ、そんな……」


 ジーナは頬を赤らめてうろたえたが、マリオはその間もずっとふりふりと揺れるそのお尻に注目していた。

ぴっちりとした黒革のホットパンツに包まれたお尻。結構大きくむっちりとしているが、形がいいので下品な印象はない。むしろ、手のひらを当てれば余裕ではみ出しそうなその豊満さがいい。ホットパンツをぎゅうぎゅうに張り詰めさせているその大きさがいい。それに、座ったときや馬に乗ったときにできるホットパンツと体の隙間、そこからわずかにのぞいて見える腰から尻にかけてのくぼみのライン。夜寝るときに、こちらに向けて見えるその尻。引き締まっているのに柔らかそうで、手で触れればしっかりと押し返してきそうなむっちりとしたジーナの尻。


 これに触れるのならばプライドなどドブに捨てられる。


 マリオは膝をついて額を地面にこすりつけた。


「お願いします! お尻を触らせてください!」

「……はあ」


 観念したようにジーナはため息をついた。


「……今回だけですよ? マリオさんに強くなってもらいたいから、今回だけ特別に触らせてあげるんですからね?」

「いやっほう!」


 チョロい。マジでジーナチョロい。


 先ほどまでな真摯な気持ちを忘れて、マリオは拳を空に突き上げた。


「それじゃさっそく遠慮なく」

「ちょっ、ちょっと!」


 ジーナの背後にさっと回りこみ、そっと添えるようにその形の良いお尻に手を触れる。


「や、やぁ……っ!」


 初めてだったのだろうか。マリオの手に触れられた瞬間、ジーナのお尻はピクリと揺れた。だがそれに構わず、黒革のスベスベとした感触とそれに包まれた尻肉の張りのある弾力を楽しむ。指先に力を込めると、ジーナのお尻はしっかりと優しく指を押し返してきた。


「や、やだ……ちょっと、くすぐったいです……」

「おお……」


 マリオのムスコに燃えるような力が次々と流れ込んでいるのが感じられる。ムスコが喜んでいるのが、どんどん力強くなっているのがわかる。


「これがマナ……」

「そ、それはただ……んぅっ! マリオさんが……っ、興奮しているだけではっ……?」


 そうではない。いや、確かにジーナの尻をさわさわと触るのは実に楽しいが、それだけではない。昂ぶる感情とともに体の奥から不思議な力が湧き出てくるのが如実に感じられる。

その力の正体を確かめたくて、マリオはジーナの桃尻に両手を当てた。


「こ、こんなの……ほんとは好きでもない人に体を好きに触らせるなんて……んっ!」


 ぴったりと尻にフィットする両手に力を込めると、ジーナは艶かしい声をわずかに漏らした。その乱れた声を聞いた瞬間、マリオの中の熱い力はムスコだけでなく全身に広がった。


「ん、なんかマナってもんがわかってきた気がする……どうした、ジーナ? 汗かいてるが、暑いのか?」

「は、はは……そうですね、ちょっとここ蒸し暑い気が……ぁんっ!」


 ジーナのうなじはしっとりと汗で濡れていた。ホットパンツに包まれた尻も熱くなってきているようだった。


「……」


 全身に伝わる力強いマナに導かれるようにして、マリオはジーナの尻の割れ目の部分に指を沿えた。


「マ、マリオさん、な、何を……ッ!」

「黙ってろ」


 マリオはジーナの大事なところに這わせた指をさっと一気に動かした。


「ああっ、ふゎああああぁっ……!」


 突然与えられた激しい刺激にジーナはびくんっと体を震わせると、もう耐え切れないといったようにその場に崩れ落ちた。


「う……ふえぇぇ……」

「なんだ、もう終わりか。もうちょっとマナが流れる感じを確かめたかったのに」

「はぁはぁ、も、もうこれ以上は無理です……って!」


 ジーナはがばりと身を起こすと、マリオの胸ぐらを掴んで詰め寄った。


「な、何なんですか今のすごいのっ! 確かに触っていいって言いましたけど、あそこまでやっていいなんて――」

「あっ、あとはいいや。自分の中のマナってやつがどういうものかわかったから、あとの訓練はおれ一人でできるわ。ご苦労さん」

「乙女の純潔を弄んで言うことはそれですか! このッ――」


 ジーナはマリオの胸ぐらを掴んだまま片足を引いて力を溜めた。


「この鬼畜ッ!」


 ジーナの膝蹴りがマリオの股間に炸裂した。だが――。


「ふふっ、乙女の怒りってのはそんなものか? ずいぶん生っちょろい蹴りだな」

「なっ……!」


 マリオのムスコには今新たなる力が宿っていた。


 マナエンチャント――身体能力強化。


 体に宿るマナを全身に巡らせ留めることで身体能力を強化し、外部からの攻撃に耐えうる防御力を得る技術。それをマリオはこのわずかな間に体得してしまった。


「ははっ、いいな……実にいいなっ! わかるぞ、この力の素晴らしさが! こんなに調子がいいのは関東蛇道連合200人を血祭りにあげたとき以来だ! 今のおれならドラゴンだって――」


 倒せる、という言葉は目ン玉に突きつけられた鋭い剣先によって止められた。


「調子に乗るな、ルーキーが」


 ジーナは抜刀していた。剣を握るその手には純潔とかプライドとかいろいろなものを悪魔に奪われた怒りが込められていた。わずかな刺激でマリオの目ン玉は永遠に光を失うことになるだろう。


「マナエンチャントを覚えたぐらいでいい気にならないでください。喧嘩というのは紙一重、一瞬の隙とわずかな弱点で一気にカタがつくこともあります」

「は、はい……」

「というわけでこれは教訓です」


 プスリと。

ジーナの剣の切っ先がほんのちょっと、怪我にならない程度にほんのちょっとだけマリオの目を刺した。

が、それによるマリオの悲鳴は森の鳥たちが一斉に飛びたつほどのものだった。


マリオが身体能力強化スキルを得て、ジーナが鬼のような一面を見せた次の日の朝。


「今日もいい天気だな……おはよう小鳥さん。おはよう森の木々」

「マリオさん、今日も朝から気持ち悪いですね」


 爽快な気分で体を動かすマリオをジーナは得体の知れぬものを見る目で眺めた。


「昨日夜遅くに一人でどっか行ってたみたいですけど、何やってたんですか?」

「まあちょっとな、散歩だ散歩」

「スライムのゼリーとカラメルソースを持って?」

「お、おう、エルマ姐にもらったもんだからな。大切に使わせてもらったぜ」

「使う? 食べるの間違いじゃなくて?」


 間違いではない。ぷるぷるふんわりとしたゼリーとトロトロ粘り気のあるソースは大変よかった。昼間に得たおかずもあったことだし。


「まあ、マリオさんが何しようと私は構わないんですけど。さて、明日はベガスに帰る日です。今日は身体能力強化の訓練の続きをやってくださいね。一人で」

「ちょいと待て」

「……何ですか?」


 ジロリとこちらを睨むジーナの目つきには不審なものがあった。


「言っておきますけど、訓練ならもう絶対付き合いませんよ。あ、あんなふしだらなことはもう絶対何があってもイヤですからね。ま、まあ、マリオさんが土下座して私がどうしても必要なんだと泣いて頼むのなら付き合ってあげても、い、いいですけど……?」


 何かを期待するように内股になりつつ頬を染めるジーナ。


「も、もちろん! そうなったらそうなったで、責任はしっかりと取ってもらうつもりですが――」

「さーて、最後の一日張り切っていこうか。一人で」

「……ちっ」


 獲物を逃したように舌打ちするジーナから離れるようにして、マリオは一人真面目に訓練を再開するのだった。


「結局狩った獲物がコカトリス五匹だけか」

「まあ、訓練も含めてたった一週間じゃそんなものですよ」


 フォレスト樹林に三日間滞在したマリオとジーナは再び馬上の人となっていた。フォレスト樹林とベガス間は往復で四日かかるから、それと三日間の滞在でルチアーノに言われた一週間という期間は使い切ってしまう。


「もっと魔物狩りができるかと楽しみに思ってたんだが」


 思っていたのとは違う冒険者のしがらみある生活に物足りなさを感じてしまう。荒れ狂う大熊や人を丸飲みするような大蛇と死闘を繰り広げ、屠った獲物の素材を収集して大儲けするような狩りを想像していたのだが、やったことといえばコカトリスを追い回して蹴り上げただけだった。これでは公園で鳩を追いかけ回すのと対して変わらない。


「つーか、一週間で二人合わせて五万イェンの獲物しか手に入らないって……これでうちのギルドって食っていけんのか?」

「普段は私一人でもっと稼いでますよ。それに金色狼の宿からの収入もありますし。ギルドメンバーがなんとか食べていくだけの生活の余裕はあります」

「ボスが風俗に行く余裕もか?」

「……そのことには触れないでください。父親が若い女の人に熱を上げてるのを思い出すと死にたくなります」


 ジーナの言葉からにじみ出る苦労に気まずさを感じて、帰りの二日間は言葉少なになるマリオだった。


小川のせせらぎと草原を吹き抜ける風を五感に感じながら、二人はベガスの北門へと到着した。灰色の石で組み上げられた市壁を抜ける門は相変わらず多くの人が行き交っている。大きな荷物を背負う旅人や毛皮や塩を運ぶ馬車に混じって、マリオたちはベガスの街へと帰還した。

馬屋に疲れきった馬を預け、コカトリスの肉を売ろうとシアーズ商店に向かう二人だったが、出発のときに看板娘のサブリナと気まずい空気になったマリオにとってはなんとなく気が重かった。

気が進まないながらも、店のドアを開けるマリオ。


「あー、コカトリスの肉を売りてえんだけど――」

「あっ! どこのイケメンかと思ったらマリオじゃない! また来てくれたの?」

「……は?」


 出迎えてくれたのは一週間前にマリオのことを激しく詰ったサブリナだった。が、その様子はまるで愛しのアイドルに会えて感激する女の子のようだった。サブリナは赤毛のショートカットを振り乱し、ちょっとそばかすのある顔をマリオの胸板にうずめて抱きしめてきた。


「あーもう! なんで教えてくれなかったの!」

「……何を?」

「もー、君が煙草屋のおばあちゃんを《小鬼の大鎚》から助けてくれたんでしょ? あのおばあちゃん、私のお友達なの。前からあのタチの悪い連中に絡まれてて困ってたんだって。それを通りすがりの男に助けてもらったって聞いてびっくり。よくよく話を確かめてみれば、その人は君! ドン・ルチアーノのとこに入った期待のルーキー、マリオっていうじゃない! やっぱりドンの目に狂いはないんだね! それなのに私ったら邪険にして……ほんとにごめんね」


 こちらの腰に腕を回して潤んだ瞳で見上げてくるサブリナ。彼女の腰はぴったりとマリオの股に押し付けられていた。離そうとしても獲物を捕らえるようにして絡みついてくる。


「あのね、私、夕方には仕事終わるの。よかったらそのあとでお詫びのディナーでも一緒に――」

「はーい、そこまでー。はい、そこの人離れてー。うちの新人から離れてー」


 全身にまとわりつくようなサブリナの抱擁を剥がしたのは、奇妙に事務的な声を出すジーナだった。だが、サブリナを引き離すその力は万力のようだった。


「はい、じゃあ店員さん、コカトリス五匹ね。とっとと金持ってきて。そして消えて」

「ちょっとジーナ、邪魔しないで――」

「さあマリオさん、こんな手のひら返しの性悪女がいる店にはさっさとおさらばしましょう。帰ったらおいしい夕食作ってあげますからね。初めての狩りを頑張ったご褒美です」

「いや、おれは別にサブリナと夕飯食ってもいいんだ――ガッ!」


 強力なマナが込められたジーナの拳がマリオのみぞおちにめり込んでいた。


「えっ? 私の夕食が楽しみで仕方ないって? もうマリオさんったら! たまには素敵なこと言ってくれますね!」

「ジーナ、あんた人の恋路を……」

「あら? まだいたんですか赤毛女」

「うるさい、この金髪! あんた子どものときから変わらない! 人のもの勝手に取って行って――服もおやつもおもちゃも……今度は男まで取るわけ? 人のものばかり欲しがるなんて最低っ!」

「何言ってるんですか? この人は最初っからうちのギルドのものです。あなたにあげる筋合いはありません。期待の新人をみすみす肉食女に食べられたら、女ジーナ・ウルフルズの名が廃ります」

「廃れるほど男の経験ないくせに。マリオの男らしいフェロモンにやられちゃったってわけ? この処女」

「黙れビッチ。っていうか、こんな変態のこととか好きじゃないですし。ただ弟分の童貞の危機を見過ごせないだけですし」


 ジーナの発言にサブリナの目が狙いを定めたかのように光った。


「童貞! いいわね……うん、すごくいい。こんな立派な体でまだ女を知らないなんて――私がイロイロ教えてあげようか、マリオ?」

「ちょっ、ちょっと! マリオさんのアレやナニは私が最初に目をつけた――って何言わせるんですか!」

「おまえら、人の秘密を大声でわめきちらすな……」


 そこから始まった女二人の誹謗中傷合戦についていけなくなって、マリオは奥から出てきた人の良さそうな店主、つまりサブリナの父親と金のやりとりを始めた。

金額の交渉が終わってもまだ醜い女の争いを続けているジーナを放っといて、マリオは受け取った金をポケットに突っ込んで一人で店を出た。


「色ついて六万イェンか」


 サブリナの父親である店主は気のいい男だった。この肉は質も状態もいいからと言って相場よりも高い値段で引き取ってくれたのだ。


「何に使おうか」


 周囲を見渡せば、剣やナイフをショーウィンドウに並べる武器屋や何かの鱗でできたジャケットを売る服屋、かぐわしい匂いを漂わせる屋台などが立ち並んでいる。マリオはそれらを視界に収めつつ、足の向くままに歩き出したが、下半身はマリオの意志とは無関係にすでに行き先を決めているようで、その足は一直線にある場所へと向かっていた。


「ここは――」


 ――ピンク通り。時は夕暮れ。


 日が完全に暮れるのを待たずして、その通りはすでに一仕事を終えたあとの遊興にとっぷり浸かろうとするギラギラとした連中に満ちていた。脂ぎった顔ににやついた笑いを浮かべて、行きつけの風俗店へまっすぐに向かうオヤジ。お気に入りの嬢に突撃する前に英気を、いや、精気を養うべくジュウジュウと煙を出す焼き肉店に入る冒険者。お忍びだろうか、黒いフードで顔を隠しお付きの者を後ろに従え、見るからにランクが高そうな高級娼館へと足を踏み入れる男。そして、そんな欲望に満ちた男たちを様々な表情で迎え入れる女たち。


「……帰るか」


 ポケットにある六万イェンを思ってマリオは淫靡な通りに背を向けようとした。この金は自分のものではなくジーナと稼いだものであり、もっと言えばギルドの金である。ジーナが教えてくれた狩りの方法とルチアーノが与えてくれた一週間という期間で稼いだ金である。そりゃあちょっとくらいの買い食いはしようかと思ったが、こんな通りで散財をする気はまったくない。


「まったくないが――なぜか足が言うことをきかん」


 すでにマリオの足は喜び勇んでピンク通りを闊歩していた。


「見るだけ。ちょいと見物するだけだから」


 マリオの理性も脳内で強く主張していた。自分はまだこの世界に来て間もなく、人々の営みについてはほとんど知らない。ボスの世話になるにあたって、自分が物を知らないことで迷惑をかけることなどあってはいけないだろう。その点、この通りはこの世界の人々の風俗を知るのに格好の場所である。


「うむ、これならジーナも文句は言えないだろう」


 そのように結論づけた瞬間、たちまちマリオの顔は周囲の男たちと同じような表情になった。それはおのれの欲望をあますことなく発散しようという表情であり、どの世界の男にも共通する表情でもあった。つまり、全ての保守的な女がもっとも忌み嫌う類の緩みきった表情である。


「どうですか、うちの店どうっすか兄さんどっすか?」

「一万ポッキリ、四十分なめなめすりすり、必殺昇天大サービス、そこのアンちゃん寄ってって」

「エルフにドワーフ、獣人鳥人なんでもありヨー絶対うちがサイコウヨー」


 マリオの顔がピンク通りの空気と同化した瞬間、それまでその獣のような険のある目つきを敬遠していた客引きが一斉に群がってきた。マリオも慣れた様子で適当にあしらいつつ、この世界のスタンダードな価値観を学ぶ。


「つまり、基本この通りじゃ金さえ出せばなんでもあり、と?」

「そうヨー、ここじゃお金持ってる人みんなシャッチョーサン、どんなカワイイ子でも抱き放題ネ」

「勉強になるな」


 深くうなずき、この世界と地球世界の共通点に想いを馳せる。偉いやつが金を持っているのではない。金を持っているやつが偉いのだ。


「シャッチョーサン、今いくら持ってル?」

「一万イェンだ」


 怪しげな風体のチビに嘘を吐くと、チビは大袈裟に両手を広げて笑みを浮かべた。


「オー一万イェン。おダイジン。シャッチョーサン、亜人に興味あるアル?」

「別に――」


 興味はないし、お宅の店に行くつもりもないと言おうとしたが、ふと思いとどまる。以前テレビで見たバックパッカーは現地の店で食事をし、現地の人と会話をすることこそが、その土地のことを知るもっとも近道な方法であると話していた。ボスに迷惑をかけないためにこの世界のことを知ろうというのなら、自分もそうする必要があるのではないだろうか。


「――亜人興味あるアル」

「オー、シャッチョーサン、ノリノリあるアル」

「オーイエ―、あるアル」

「お話キまりネ。ついてくるヨロシ」


 男はマリオをピンク通りの裏へ奥へとどんどん連れ込んだ。表通りの夕暮れの光とところどころ点灯し始めたネオンを離れると、ピンク通りの華やかな世界は一転して光の差し込まない暗い世界へと姿を変えていった。


「――ほんとにこっちでいいのか?」


 二人がいる裏通りにはすでにまともな人間は一人もいなかった。酩酊して血反吐を撒き散らしている者が一番まともに見える界隈。銀紙から謎の粉末を鼻に吸い込む男。ボロボロのキャミソールだけを身につけて股を広げた女は口からヨダレと緑色の液体が垂れている。うめき声が聞こえる方に目をやれば、血塗れになった男が奇妙な笑いを浮かべて血だまりの中を這いずりまわっていた。


「こんなとこにまともな店があるとは思えないが」

「ダイジョブダイジョブ、心配ナイアル」


 あるのかないのかはっきりさせてほしいと思っていると、男は壁に血の染みがべっとりとついた建物の前で立ち止まった。


「ウチはサツの人も使うダイジョブなお店アル――シャッチョーサン、一人ゴ案内!」


 外観とは裏腹にはシャンデリアや調度品に彩られ、ソファとテーブル席が並ぶ普通の店だった。耳の長い女性やどうも危ない年齢にしか見えない小柄な女の子、それに獣耳が生えた女の子が卓と男を囲んで酌をしている。どういう客をターゲットにしているのか、テーブルの間の仕切りはやたらに高く、女の子が話す声も小さくどこか闇を含んでいるように感じられた。

 怪しげな客引きと入れ替わるようにして、黒服の男が丁寧な接客でマリオをテーブル席へと案内する。


「そういや、おれ一万イェンしか持ってねえんだけど」


 店内を薄暗く照らすシャンデリアの豪奢さや、先ほどちらりと見えた他の客の服装を見て、どう考えても今の自分が来る店ではないと判断して打ち明けるが、黒服は薄い笑いを浮かべて首をふった。


「当店の勧誘は目が確かですので、お客様なら大丈夫です。足りなくなったらツケで結構ですので。マリオ様」

「……おれ名乗ったか?」

「いいえ。ですが、マリオ様のお名前はすでにこの界隈では有名でございます――特にうちのギルドグループでは。先日は私共の下の者がお世話になったようで」


 胸に手を当てて優雅に一礼する黒服。その仕草に似つかわしくない武骨ばった手の甲には鬼が鎚を持っているように見える刺青が彫られていた。


「……イカした刺青だな。それ小鬼か?」

「ははあ、小鬼が大鎚でも持っているように見えましたか。近いようですが、これはそのようなチャチなものではなく、《中鬼の矛鎚オークス・メイス》でございます……それではどうぞごゆっくりお楽しみくださいませ、《狼の血族》ルーキー・マリオ様」

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