第8話 ベガスの街でお買い物

 デザートのプティングを食べ、食事に口がひん曲がるほど苦いコーヒーを全員が飲んだ。そのときに、以前漫画で読んだことを思い出して、上下関係をわからせるためにジーナのカップにかわいいイタズラをしようかと思ったが、エルマの目がこちらに向いていたのでやめておいた。姐御の前でアバ茶的なことをするわけにはいかない。本人には似たようなことをされたが。

 そうして、マリオが加入して初めての食事をメンバーが終えると、ルチアーノが手を叩いて空気を入れ替えるようにしてから言った。


「さて! 腹がふくれりゃ働く時間。働かざる者食うべからず。労働なくして、女神様の恵みは得られんぜ。これからしばらくのオーダーを伝える。まずはエルマ」

「なんなりと、ボス」


 エルマが女優のように優雅な仕草でルチアーノに向かって頭を下げると、きれいな銀髪がまっすぐに垂れた。


「おめえはいつもどおり金色狼の宿の方をしっかりとやってくれりゃあいい。お客さんはおめえに会えるのを楽しみにしてんだからな」

「ようござんす」

「ただまあ、ポーションと使い魔をちょいと作っておいて欲しい」


 エルマが頭をもたげると、その片目は何かを察したように光っていた。


「よろしく頼むぜ、エルマ。次はグラス。おめえさんには昨日あらかた伝えたな。シマの見回りを強化しな。午後からはおれも行く。特に煙草屋のバアさんのとこはしっかりな」

「了解です、ボス」


 グラスはくいっと眼鏡のツルを押し上げて、うやうやしく答えた。


「バアさんの孫のとこも忘れんじゃねえぞ。あの件についてもよろしくな。さて、最後はジーナとマリオ」

「はい!」

「うっす」

「よおし、二人とも気合いの入ったいい返事だ。おめえらにはしばらく街を出てもらう。一週間ぐれえでよかろう」

「はい?」

「は?」


 ジーナと声を揃えてしまった。


「情けねえ声出すんじゃねえ。フォレスト樹林に狩りに行ってもらうだけだ。ジーナはマリオに狩りの方法と戦い方をできるだけ仕込んでやれ。マリオ、おめえはまあ適当にがんばれ」


 なんとなく姐貴分たちよりいい加減な感じで指示を出される。ジーナはそれが気に入らないようだった。


「……いいんですか? まあ、行けと言われれば行きますけど」

「ジーナ、ボスはきちんと考えていらっしゃるんだ」


 グラスがジーナの態度をたしなめるように言った。


「《小鬼の大鎚》は喧嘩を売ってきた張本人であるおまえたちを探しているんだよ。おそらく、これから先の話では、おまえたちを差し出して手打ちにしようと言いがかりをつけてくるはずだ」


 グラスの話を聞いてジーナは押し黙った。マリオも黙って話を聞く。


「向こうが無茶を言ってきても、本人たちがいなければどうしようもないだろう。その間に僕たちが話をまとめるというわけさ」

「そんなにうまくいけば苦労はしないんだがねえ」


 エルマがため息をつうようにして煙管の煙を吐き出した。ルチアーノが苦笑して言う。


「まず無理だろうな。まあ、シロウト衆に迷惑かからんよう、うまいことやるさ。ああ、そうそう――こいつを忘れてたな」


 ルチアーノは懐から財布を取り出すと、片手だけで器用に中から札束を抜き出して、ポイっとこちらに放り投げた。


「ちと少ねえが、おめえの支度金だ。十万ある。全部使いきれ」


 ありがたくいただきたいところだが、金庫番のグラスが咎めるように見ていた。そちらへ向かってルチアーノが面倒臭そうに言う。


「心配せずとも、こいつはおれのポケットマネーだ。ギルドの金にゃ手をつけてねえから安心しな。マリオ。足りねえもんがあったらジーナに言って、ギルドの倉庫から好きなもん出してもらえ。それで装備は足りるはずだ」

「ありがたくもらっとく」


 それから思い出してニヤリと付け加えた。


「サンキュー、ボス」


 誰かをボスと呼ぶのはなんとなく楽しいことだった。胸の内がポッと火の点いたように明るくなる。

 ルチアーノもボスと呼ばれてニヤリと笑ったが、その顔は風船が弾けるようにすぐにしぼんだ。


「そんなはした金で男が礼を言うな。しっかし、てめえが情けねえもんだな。昔は新入りの支度金といやぁ、五十万はポンと出してやれたのによ。マリオなら百万はやりてえとこだ」


 ふうっとため息と一緒に煙を吐くルチアーノに、グラスがとりなすように言った。


「ボス、それ以上は――」

「おお、そうだな。年を食うと愚痴っぽくなっていけねえ。さあ行ってこい、マリオ。もう女神様はすっかりお目覚めになって、今日も明るくベガスを照らしていらっしゃるぜ。店もぼちぼち開いてる頃合いだ。ジーナ、案内してやれ。おめえら装備を整えたら、そのまま街を出るんだぜ」


 そう言い残して、ルチアーノは年寄り臭く咳き込みながら席を立ち、エルマがそれを介護人のように支えた。グラスの方も不自由な右脚をかばいながら立ち上がる。それぞれが自分たちの仕事に取りかかるようだった。


「私たちも行きましょう」

「おう」


 外に出て、金色狼の宿がある裏路地から狭い通りに出ると、薄汚い通りを朝日が眩しく照らしていた。

 そういえば、ルチアーノが言った女神様というのは太陽のことを指すのだろうか。ジーナに聞きたいところだったが、さすがに移民でも宗教のことは知ってて当然ではないかと考えるとストレートには聞けなかった。

 なので、ちょっと変化球を投げてみる。


「なあ、ジーナ」

「何ですか?」


 先を行くジーナは朝日で金髪のポニーテールをきらめかせながら振り返った。その様子はそのまま額縁に入れて飾りたくなるくらい可憐だったが、道端のゲロがそれを台無しにしていた。なので、気にせず話を振る。


「女神様って……なんかいいよな」

「……はい?」

「いや、なんつーか、こう……心が洗われるっていうか、幸せな気持ちになれるっていうか」

「……」

「女神様を信じるだけで救われるっていうか、むしろ信じなきゃ地獄に堕ちるっていうか」

「……マリオさん?」

「ジーナ!」


 ひっ、と小さな悲鳴を上げてジーナは後ずさった。


「一緒に女神様について語り合おうぜ!」

「……お断りします。バカやってないで行きますよ」


 ジーナはそのままスタスタと歩いて行ってしまった。


「……」 


 女神様のことについてはまたの機会でいいかもしれない。

 マリオは頭をかきながら、ジーナの後に続いた。

 金色狼の宿を出てすぐの狭い通りから、そのまた向こうの通りへ。迷路のように入り組んだ路地をジーナは迷うことなく歩いて行く。歩きながら一応道順は頭と体に叩き込んでいるが、覚えるのが面倒だ。


「あっちにあるのが有名なピンク通りです。道の目印になることも多いですね。えーと……まあ、名前の通り、そういうお店が揃っているところで――」

「だいじょうぶだ。ばっちり覚えた。絶対忘れない」

「さっきまで道が複雑で面倒だって言ってませんでした?」


 そんなことはない。


 華やかな通りの方に足を向けると、ジーナが止めてくる。


「えっ、ちょっと、マリオさん。ピンク通りには何も用はありませんよ」

「道案内ご苦労。こっからは大人の時間だ。ガキは帰れ」

「ガキって、たったの一歳違いです!」

「うるせえな。ボスも言ってただろ、十万イェン使いきれって。ジュース一本が百イェンだぞ。まともに使ってたら日が暮れる。有意義な使い方をしよう」

「マリオさん、まだ靴も持ってなくて裸足じゃないですか! 女の人に使うより先に買うものがたくさんあるでしょ!」


 ジーナに引きずられて元の道へ戻り始めると、仕事明けの女の人たちに笑われてしまった。よく考えればこの時間、そういう店はもう閉まっているかもしれない。日本でも風俗店は昼からのところが多かった。


「まったくもう……男の人はこれだから……」


 ジーナがブツブツと文句を言っていた。ルチアーノに苦労させられているのかもしれない。


「なあ、ピンク通りじゃ、本番もできるのか?」

「本番って何ですか?」

「……あれ?」


 マリオのムスコに興味しんしんの割には、案外そういうことに疎いらしい。どうやら処女というのは本当のことのようだ。


「絶対耳年増だと思ったんだが」

「だから、耳年増って何ですか? あと、本番って?」

「ジーナ、肉欲って何だかわかるか?」

「知ってますよ。お肉を食べたい欲望のことですよね? 私こう見えて、結構肉欲すごいんですよ。コカトリス大好きです」

「……もう一回言ってくれるか?」

「えっ? ……私こう見えて、結構肉欲すごいんですよ?」

「もう一回。今度は舌なめずりしながら」

「まあ、いいですけど……こうですか?」


 ジーナの艶かしい舌が形のいい唇をジュルリとなぞると、わずかに粘液が糸を引いた。


「私こう見えて、結構肉欲すごいんですよ?」


 あふぅとため息までつくジーナ。


「……」


 自分でやらせておいて何だが、ものすごくエロかった。これなら旅の供がエルマ姐御じゃなくてもいいかもしれない。そういえば、ぴっちりとしたパンツに包まれたお尻は形が非常にいい。こう、顔に押し付けられて圧迫されたくなる。

 それから二、三回ほど同じことをやらせていると、ジーナがとある店の前で立ち止まった。


「まずは服と靴を買いましょう。マリオさん、足すごい汚れてます。というか、よくフォレスト樹林からここまで怪我しませんでしたね。足の皮とツラの皮は厚いんですね」

「全然うまくないからな、それ」


 ジーナが立ち止まったのは古着屋だった。なんだかお香のような変な匂いが店内から漂ってきて、思わず顔をしかめる。


「ここも《狼の血族》のシマなのか」

「はい。普段は買い物くらいなら、他のギルドのシマでしても構わないんですけど、今は下手に動くと誤解されてしまうかもしれませんから。まあ普段でも、余計なトラブルを避けるために、他のシマにはあんまり行かないようにしてますけどね」


 《小鬼の大鎚》に、どこか別のギルドとつながっているという余計な警戒をさせたくないということか。

 他の店を選べない事情はわかったが、目の前の古着屋はどこからどう見てもボロボロだった。おまけにやっぱり臭い。


「おれの思ってた冒険者と違う」


 日本で読んだ漫画とか小説だと、もっと自由に買い物ができた。自分のレベルに合った魔物を狩って、レベルに合った装備を好きなところで売り買いできた。


「戦略シミュレーションやってんじゃねえんだぞ」


 他のギルドに戦争をしかけて領地を拡大しないと、利用できる店や狩場が増えないとかダルすぎる。


「面倒くせえな。《小鬼の大鎚》潰して、シマ奪おうぜ」

「……」

「あっ、おい」


 てっきりまた、ふざけないでくださいとか言われるかと思ったのだが、ジーナは無言で店の中へと入って行った。

 後を追って古着屋の中に入ると、内装は木板でできた床と壁だった。カウンターにはお香がたかれており、その匂いが店だけでなく売り物の服にまで染み付いていた。


「ここのものはどれも安いですから好きなものを選んでください」

「こんな臭い服着たくない」


 ジーンズらしきものを履いた店員の兄ちゃんがギロリとこちらを睨んできた。


「い、いい匂いじゃないですか! 独特で、なんていうか、熱い国のフルーツを思わせる匂いというか……」

「腐った果実の臭いだよな」

「そうそう、こうムワッとして吐きたくなるような……じゃなくて! いいから早く選んで!」


 しかたがないので、棚にかけられた品物を見ていく。


「これがいいな」

「どれですか?」

「見えないのか? まあ無理もない。これはバカには見えない服なんだ」

「……はい?」


 ジーナが目を丸くする。


「これは頭がまともなやつなら誰もが褒め称えるハイセンスでナウな服だ。もちろん、ここで装備していくことにしよう」

「えっ、ちょっ……」


 試着室に入って服を脱ぐ。バカには見えない服を着て、カーテンを開けた。


「どうだ? なかなか似合ってるだろう?」

「全裸じゃないですか!」

「だから言っただろ。バカには見えない服なんだ」

「屁理屈言わないでください! もうー、ちょっと待っててください。私が選んできますから」

「女房気取りかよ」

「ペットの飼い主の気分です」


 しばらくブラブラさせていると、ジーナが服を一抱えまとめてやってきた。


「これを着てみてください」


 ジーナが持ってきたのは黒い革ズボンとシンプルな長袖の白いボタンシャツだった。ちなみにジーナが着ているのは黒革のホットパンツとノースリーブの白いボタンシャツ。茶色の革ジャケットはバッグの中に入っている。ジーナが選んだ服は本人が着ているものとよく似ていた。


「おまえとペアルックかよ」

「違います! だいたい全裸よりずっといいじゃないですか! これ、この店にある中で一番いい服なんです。この黒革はブラックブルの本革ですよ。対打撃と対斬撃に効果がある優れものです。掘り出し物ですね」


 着てみると、誂えたかのようにピッタリだった。ノーパンではあるが、ムスコの収まりも具合がいい。


「さすが、じっくりと観察していたことだけあるな。サイジングが完璧だ」

「こっちのブーツも履いてみてください」


 だんだん扱いが雑になっているというか、スルーされている気がする。差し出された革のブーツも心なしか、ところどころ表面がハゲている。


「うん、なかなかかっこいいですよ」

「ロックでヒップでシックな感じか?」

「はいはい、そんな感じです」


 いい加減な感じでうなずかれる。こいつは絶対に意味がわかってない。


「服と靴はこれでいいですね。あとは下着とかバッグとか――そうだ。革のジャケットか、鎧は絶対買わなきゃいけません。剣とかと違って、お下がりではサイズを合わせにくいですから」


 無愛想な店員に二万イェン払って店を出ると、ジーナはブツブツと呟きながら入り組んだ道の先へどんどん行ってしまう。


「あっ、おいちょっと待て」

「兄ちゃん、兄ちゃん。彼女はほっといて、ちょっと見ていきなよ」


 声のした方を見ると、道端に怪しい風体のおっさんがいた。その前にはその上に何かの卵が一ダース、箱に入れて並べられている。


「まったく兄ちゃんみたいないい男を置いていくなんて、気の強い彼女だねえ」


 どうやらこのおっさんは見た目が怪しくとも人を見る目があるようだった。こういう人物が売る品物は信用できる。


「親父、よくわかるな。あの女、さっきもおれとペアルックがいいってうるさかったんだ。しょうがないから着てやったけどな」

「兄ちゃん、甲斐性があるねえ。どうだい、その甲斐性をここで使ってみないかい?」


 そう言って、おっさんは目の前のケースを指し示した。中に入っている卵は全てちょうど両手に収まるぐらいの大きさだった。ニワトリの卵よりずっと大きく、輝くような金色をしている。


「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ここにあるは魔物の卵! どれもレアな一級品だよ! バジリスクにロック鳥、こっちの卵にゃグリフォン様ときてる! ユニコーンやドラゴンも何でもござれだ! 生まれたときから育ててやりゃ、いつか戦力間違いなし! 今なら一個一万イェンだよ!」


「……ほう」


 興味をそそられる。なるほど、今までどうも普通の異世界冒険者ギルドではないと思っていたのだが、ここで女神様だか公務員さんは自分にチャンスをくれたわけだ。

 まず間違いなく、この卵のどれかは超強力な魔物で、自分に懐く便利な道具になるはずだ。たぶん途中で人間の女の子に変身して、こちらのベッドの中にまで潜りこんでくるやんちゃなやつだろう。


「ご主人様かわいがって! ってわけか……親父、ここに八万イェンある。あるだけくれ」


 一瞬、おっさんがものすごく人の悪い笑顔を浮かべた気がしたが、気のせいに違いない。


「気前のいい兄ちゃんには特別価格。一個一万イェンのところを、八万イェンで一ダース丸々くれてやる! 持ってけドロボー! おかげで今日は店じまいだコンチクショウ!」

「おう、悪いな」


 金色の卵を重たい箱ごと渡されてちょっと戸惑ってしまうが、こいつらが将来奴隷になるかと思えばなんてことはない。

 思わずニンマリしながら歩いていると、ジーナがこちらに走ってやってくるのが見えた。


「どこ行ってたんですか、マリオさん。買うものはまだまだたくさんあるんですから――って、何ですかそれ?」

「おれのかわいいペット奴隷たちだ。買い物はもう終わりだ。こいつらに有り金全部使った。実に有意義な使い方だろ」

「有り金全部って……このコカトリスの卵にですか!」

「コカトリス……? 何言ってるんだ。これはユニコーンやドラゴンの卵だ。信頼できる親父がそう言ってた」

「ユニコーンが卵から産まれるわけないじゃないですか!」

「……」


 言われてみればそんな気がする。親父を疑っているわけではないが、なんとなく不安になってきた。


「ああ、もうまだわからないんですか、マリオさんのバカ! これでわかるでしょ!」


 ジーナが突然卵をつかみ出して、こちらの顔に投げつけてきた。割れる卵。


「てめえ! 生まれてない命になんてことを! ……ん?」


 なんというかこれは。顔にべったりとついたこれは。


「卵の……黄身?」

「コカトリスの無精卵です。これ外側だけ金色に塗られてたみたいですね。こんなの駆け出しの冒険者でも引っ掛かりませんよ。みんな、そうとわかってて洒落で買っていくんですが……マリオさん、本気でしたよね?」

「ハハハ、ソンナワケナイジャナイカ。洒落だ、洒落。こういうことに全力で金を突っ込むのが江戸っ子の粋なんだ」

「江戸っ子だか何だか知りませんけど、こんなのにお父さんのポケットマネーを使ったことがグラスさんに知られたら、どうするつもりなんですか?」


 グラスの瓶切りナイフ投げが脳裏に蘇った。なぜか一緒に思い出される黒ひげ危機一発ゲーム。


「グラス兄ィに知られたら間違いなく串刺しだな。そのときは責任取って、ジーナが犠牲になれよ」

「わたしのせいじゃないでしょう!」

「おまえが街に不慣れなおれを置いて先に行ったのが悪い。あの人の細かそうな性格なら、絶対おまえの責任も追及するはずだ」

「……残りのものはギルドの倉庫で見繕いましょう」

「おう」


 だんだんジーナと心が通じあってきた気がして何よりだ。そう思えばこの卵たちにも意味があったのだろう。

 ちなみに、その中の一つは本当にドラゴンの卵でした、とかいうオチはなく全てコカトリスの栄養たっぷり卵だった。

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