06:128の車輪
私が車輪監視システム運用課に配属されたのは、車輪出現から8ヶ月後のことだった。
当初、車輪への対応は気象庁が担当していた。128個の車輪が世界各地に出現した際、それらが気象現象の一種だと考えられたためだ。しかし車輪は気圧にも温度にも反応せず、ただ一定の経路を走り続けた。2週間後、担当は環境省に移管された。
環境省での担当期間は36時間だった。車輪が一切の環境負荷を及ぼさないことが判明したためだ。その後、車輪の担当権限は次々と移管された。文部科学省(研究対象として)、国土交通省(交通の障害として)、経済産業省(産業活動への影響として)、そして防衛省(安全保障上の脅威として)。しかし車輪は、研究も、阻害も、利用も、排除もできない存在だった。
結局、政府は特別措置として車輪監視システム運用機構を設立した。私が入局した時には、すでに全国24カ所に監視拠点が設置され、300人以上の職員が24時間体制で車輪を監視していた。
今日も私は夜勤だ。モニターには128個の車輪の位置情報が常時表示されている。白点が通常走行、黄色が軽度の軌道逸脱、赤は重度の軌道逸脱、青は海底走行中だ。世界中の監視拠点から、日々大量のデータが集まってくる。深海調査船からの映像、高層ビルの防犯カメラの記録、気象観測所からのセンサーデータ。それらは全て、車輪の動きを理解するためのピースとなる。
「先輩、これって何ですか?」
新人が画面を指差している。63号の波形に小さな乱れがある。
「ああ、渋谷のストリートミュージシャンのところね。車輪が音に反応することはあるの」
「そうなんですか」
「ええ。でも、その反応は予測不可能よ。同じ音でも、毎回違う動きをするわ」
私は最初の頃のことを思い出していた。マニュアルの第1章には、車輪出現時の記録が載っている。2024年4月15日午前3時17分、世界128カ所で同時に出現。直径約170センチメートル、幅20センチメートルの銀色の車輪が、接地と同時に回転を始めた。当時の気象庁職員による最初の報告書には、慌ただしい筆跡で「実体のある虹か?」と書き込まれていた。
画面上で37号が予定軌道から逸脱を始めた。これは「遊走」と呼ばれる現象だ。車輪には時々こういった気まぐれがある。私は淡々と報告書を作成する。数分後、国土交通省から「該当区域の交通規制は必要なし」、気象庁から「天候との相関関係なし」という返信が届いた。
128個の車輪はよく似ているが、それぞれに特徴がある。37号は他より光沢が強く、96号は若干速度が遅い。初期の報告書には「個性的」という表現が使われていたが、後に「個体差」という公式用語に改められた。
深夜四時、37号が予定軌道に戻った。今日は比較的平穏な夜だ。14号が富士山麓を走り、95号がグランドキャニオンの底を進み、82号がパリの地下を通過している。全て、予測された軌道の範囲内だ。
「先輩、なぜ128個なんですか?」
新人が突然聞いてきた。
「さあ。それを調べるのは、文部科学省の管轄よ」
私は苦笑する。
「でも、あなたの個人的な意見は?」
「数秘術でもなければ、プログラミング言語の話でもない。きっと、もっと深いところにある理由なんでしょうね」
夜が明けるまでの間に、さらに二件の小さな異常があった。全て、日常的な範囲内の出来事だ。朝方、新人は帰宅の準備を始めた。彼女は明日もここに来て、車輪たちの記録を見続けることになる。
私は最後にもう一度、128個の点を確認する。それらは世界地図の上で、それぞれの軌道に沿って静かに動き続けている。人間の背丈ほどの銀色の車輪128個。それらは今日も、淡々と世界中を走り続けている。私たちは、その動きを見守り、記録を取り、報告書を作成する。それが私たちの仕事だ。明日も、その次も、きっと同じように。
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