第3話 謎なダイス ~前編~


「あれぇ? 珍しなあ。新規さんかい?」


 雄叫ぶ朏を不思議そうに眺めながら、一人の男性が正面にある店の扉を開いた。どうやら中で買い物でもしていたらしい。

 朏の雄叫びを耳にした彼は、何事かと様子を見に来たようだ。

 そして、ちょいちょい指招きしつつ、彼は長めの前髪をさらりと肩に流す。


「ようこそ、御伽街へ。新規さんなら、まずはサービスカウンターで登録して?」


 新規、新規と呼ばれ、意味が分からないまま朏は男性を見上げた。


「新規? とは? アタシ、突然転勤の辞令受けて、ヘリコプターからここに投げ出されたんですけど?」


「うん。そして星の判定を受け、転移した。.....だよね?」


 その通りだ。


 訳知り顔な男性を警戒しつつ、朏は彼からこの街の成り立ちを説明された。

 



「邪神.....と、生け贄の街?」


 黒髪の男性は松永 翔(しょう)と名乗り、近くのベンチに朏を座らせる。

 普通の何気ない風景。異世界とはとても思えない。

 しかし松前の口から紡がれる説明は、そんな朏の期待を木っ端微塵に打ち砕くモノだった。


「大まかに言えば、そんな感じ。ここは邪神達が遊ぶための箱庭なのさ。死が隣り合わせの卓なんだよ」


 .....卓。ああ、この人も理解しているんだわ。ここがTRPGの世界だと。

 .....そりゃそうか。アタシなんかよりずっと前から住んでいるのだろうし、あの星がGMを名乗るってことは、この街を支配するダイスが日常なのに違いない。


 《卓》とはゲーム盤面を表す言葉だ。雀卓と言えば分かりやすいだろう。ゲームを行うテーブル。それを通称と呼ぶ。


 つらつら取り留めもないことを考えている朏に缶ジュースを渡しながら、松前はTRPGを知っているかと彼女に尋ねた。

 小さく頷く朏を見て、一瞬眼を丸くする彼だが、すぐ破顔し、安堵したかのように溜め息をつく。


「良かった..... 俺も、これを理解するのに結構時間がかかったからさ。知ってるなら話は早い。ここでは、あらゆる処でダイスが求められる。そして、時も場所も選ばず、突然怪異に引きずり込まれるんだよ。いや、そのへんで頻繁に起きると言っても過言じゃないな」


「怪異? あ.....」


 .....そのためのSAN値かぁぁっ! 


 SAN値。これはクトゥルフ神話を題材としたシナリオ、《クトゥルフの呼び声》という作品に出てきた造語だ。

 それをファンが好んでTRPGに使い、ネットで爆発的に広まった。

 公式のTRPGルールにはない数値で、個人の判断により使われている。とくにミステリーやホラーなどでは使い勝手のよい数字だった。

 ゆえにステータス画面にSAN値がついていれば、何かしらの精神的ダメージを食らうゲームなのだろうなあと、慣れた人間なら当たりをつけられる。


 しかし今考えるべきは、ソレじゃない。ソレだけど、そこじゃない。


「死と隣り合わせの卓..... マジですか?」


 顔面蒼白で見上げる朏に、翔は神妙な面持ちで頷く。


「説明されなかった? 生き残れって」


「.....されました。.....けど」


 .....まさか、本当だったとは。


 思わず絶望に項垂れる朏。


 TRPGを知っているからこそ、その恐怖も計り知れない。

 通常のファンタジーとかミステリーなら、まだマシだ。死を招くようなエンドは知れていた。

 だがこれが、SAN値つきのガチホラーとなれば話は変わる。

 そういったシナリオは地雷だらけで、精神錯乱、発狂、気絶、ありとあらゆる拷問、惨殺など、プレイヤーを殺すためだけの分岐がこれでもかと用意されているのだ。


 .....それをリアルでやれってか? もうそれ、死刑宣告と同義だろぉぉーーっ!!

 .....しかも怪異って? 邪神の? ギロチンの刃何枚重ねよっ! アタシらをナマスにする気満々じゃんっ?!


 ここに来るまで操縦士から聞いた説明。そしてクローズドで受けた星の判定。

 さらには、街中に一瞬で転移させられた非現実を正しく理解し、朏は翔の言う、邪神の箱庭の話を信じた。


 信じる他なかった。


「俺もここに来て半年くらいで..... 日常生活には困らない程度でしかない。本屋に行けば、ここのルールブックも売ってるよ? 行ってみる? 俺もそれでTRPGとか知って覚えたし」


 .....親切だな、邪神。


 街の案内を買って出てくれた彼に感謝し、朏は本屋へ向かった。




「.....わりと普通? 怪異とかって、起きる条件があったりしますか?」


「起きる条件というか、それ専用のフィールドに飛ばされるかな。で、まあ生き残ったら貢献度にそったポイントが貰えて、それを自身のステータスに振り分けられる感じ。それとは別に刃傷沙汰や発砲事件とかも多いな」


 .....ゲームか。いや、TRPG自体がゲームなんだけどさ。発砲って..... どんだけデンジャラスな街なのよ。


 しかし、邪神の支配する遊戯盤という現実が朏の冒険心を擽る。

 不謹慎で申し訳ないと思いつつも、まだ十代で不思議物語にどっぷりと浸かってきた彼女は、恐怖心より好奇心が勝ってしまった。


「翔さんは、邪神とか見たことあったり?」


「実際にはないね。なんか、そいつらが現実に現れると世界が終るとか言われてるけど..... 正直、よく分からないな」


 .....でしょうね。ショゴスとか下位ならともかく、ニャル様みたいな上位が降りてきたら目も当てられないや。

 .....基本、物理攻撃効かないしなあ。クトゥルフの神には。ううう.....妄想だけで死ねる。


 彼の神話に名を連ねる多くの邪神達。絶対的強者として君臨する彼らに立ち向かう術はない。

 出来ることといえば、死に物狂いで足掻きまくり、シナリオの行く手を最悪にしない程度。それがTRPGの醍醐味でもある。

 如何にして、その脅威を退けるか。そのために探索者が存在し、文字通り、調べて探して、一縷の希望の糸を見つけなくてはならないのだ。

 ラノベでお馴染みな超人VS超人でなく、外なる神々VS只の人間の図式。機転と閃き、あとは小賢しく逃げ回るなど、やれることは知れていた。


 だからこそ知恵を絞り、現状打破するのが面白いのだが、それがリアルとなれば話は変わる。


 .....うう。知れば知るほど八方塞がりじゃん。どうしろってのよぉぉ。


 恐怖心と好奇心の天秤をゆらゆら傾げる朏。


 彼女のTRPGライフは、まだ始まったばかりだった。

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