【5】 社長サクセスストーリー

(ア)桝井裕仁による手記


 俺は桝井裕仁(ますいひろひと)、42歳。バッグの転売サイトを運営する会社で、主にバッグの「出品担当」として働いている。勤続は、今年で3年目に⼊る。その間(かん)、実にいろいろなことがあった。

 そして、そのうち最⼤のものは、社⻑からの「愛の告⽩」である。社⻑、有⽥希美(のぞみ)さんは、俺より2つ年下。歳が近いので、俺たちは当初から半ば、友⼈同⼠であるかのように振る舞っていた。

 ところが、俺がこの会社で勤め出してから、1年ほど経ったクリスマスの⽇に、彼⼥は俺にコクってきたのだ。俺はかなりためらったが、最終的にはオーケーを出した。

 つきあって1年が経った節目の頃、俺がいろいろ勝⼿に悩みこんでしまったのを契機に、⼀緒に住むことになった。悩んでいた内容は、思い出すだけで恥ずかしいので、ここでは伏せておくが、ともかくもそのおかげで、⼀緒に住めるようになったのである。そして、今、⼀緒に住み始めて半年くらいが経つ。


 するとそこに、物思いにふけっていた俺の、隣にいた彼⼥が、突然⼝を開く。

「そういえば、あなた、最近、全く遅刻・早退・⽋勤がなくなったわね。昔が嘘のようね。」

 そう、俺は、⼊社当初は、遅刻・早退・⽋勤の「ヘタレ三昧(ざんまい)」だったのである。その状態をなんとかしたくて、彼⼥が社員たちの協⼒を得て、俺を激励してくれたのがきっかけで、俺は「ヘタレ三昧」から抜け出したのだ。

 そして、極めつけは彼⼥からの愛の告⽩。彼⼥ができた俺は、彼⼥のためなら、ということで、これまで必死に頑張ってきたのだ。


 さて、ここで触れておかなければならないことがある。それはなぜ、俺が「ヘタレ三昧」だったのか、ということだ。俺はちょっと「訳あり」で、普通の⼈とは違うのである。実は、軽度の「うつ病」を患っていて、そのため精神⾯が、非常に弱いのだ。

 彼⼥には、⾯接の時にあらかじめ、このことは伝えていたのだが、正式な「障がい者雇⽤」という形はとらなかった。そうしてしまうと、会社としては、あまり重⼤な仕事は任せられなくなるし、そうなると俺にとってもいいことではないだろうということで、普通の⼈と同じ扱いで、雇っていただくことになったのである。症状が軽度であることが幸いしたわけだ。

 彼⼥は続けて⾔う。

「ねぇ、この調⼦なら、あなたが社⻑業を継ぐという話、ひょっとしたら可能かもしれないわね。」

「え?」

「私、もうその道はあきらめかけていたんだけど、あなたが継いでくれたら、みんなにも、堂々と振る舞うことができるじゃない。」

 そう、彼⼥は、俺の精神状態を考えて、⼀度は、サイトのことは⼿放して、俺と細々と暮らすことも、考えていたのだ。だが、それは俺が⽌めた。それくらいなら、俺が精神⾯の弱さを克服して、社⻑業を継いだ⽅がいいと、考えたからである。

 だが、当時の俺の精神状態を考えると、それは非現実的というものだった。だから、社内での関係は、「現状維持」でずっときていたのだが、いずれは考えなくてはいけない問題だったのだ。すると、彼⼥は、

「もちろん、私ができるだけサポートはするわ。副社⻑としてね。あなたにできるだけ、負担はかからないようにする。」

「それはありがたいけど、急にどうした?」

 そう、なんでこの話を、急にしだしたのかが気になった。すると……。

「実は、理事会のメンバーの中から、私たちの関係を問題にする⼈が出てきてね。関係を続けるなら、その男に責任を取らせろ、それができないなら……ってね。」

 そうか、ついに理事会が騒ぎ出したか。時間の問題だとは思ってはいたが。

 どうしたものか。現状の俺が、社⻑業なんて務まるんだろうか? むろん、彼⼥の⽀えがあれば、なんとかなるような気はするのだが。

 よし。やってみるか。俺はついに決断した。これ以上、彼⼥ばかりに、迷惑をかけるわけにもいかないしな。

「わかったよ。やってみるわ。でも、みんなは納得するかな。」

「それに関しては任せておいて。私が何とかみんなを説得するわ。」

「そうか、わかった。」


 こうして、俺はうちの会社の社⻑に就任することになった。すると、彼⼥が……。

「それから、これをあなたに……。」

 彼⼥は何かを俺に渡そうとする。⾒てみると……。 なんと! 指輪だ! しまった! 先を越された!

「あなたが社⻑に就いた暁(あかつき)にはって、ずっと思っていたのよ。受け取ってくれるわよね?」

「も、もちろん!」


 これで、俺たちは、俺の社⻑就任と同時に、結婚することになってしまった。それにしても、なんとも情けない。本来は男の俺がやるべきことなのに。

 でも、彼⼥は、⾃分が社⻑だからって⾔うので、気を使って、先にやってくれようと、していたのかもしれないな。その気持ちをありがたく受けておこうか。


 翌⽉から俺は、うちの会社の社⻑の椅⼦に座って、働くことになった。社⻑として眺める社の風景は、また⼀風違う。社⻑っていうのも悪くはないな。

 俺は元同僚たちに、様々な指⽰を出して回る。元同僚たちはそんな俺を、変わらず受け⼊れてくれているようだ。


 そして、俺たちは3か⽉後に結婚式を執(と)り⾏う。当⽇は、イタリアに住んでおられる、俺の師匠で作家の林⾳⽣(ねお)先⽣ご夫妻や、同じくイタリアに住んでおられる、友⼈の古⽥百海(ももみ)さんご夫妻、それから同じく友⼈の、森俊⼀さんご夫妻、そして、お忙しくて来てくださるかどうかはわからないが、講演家・作家の牧⼝和寿(かずとし)さんをお迎えする予定だ。


(イ)桝井希美による追記


 ここからは、私、(桝井)希美にバトンタッチだ。

 実はこれを書いているのは、上記の夫の⼿記を、結婚直後に発⾒してから、半年後のことである。したがって、まだ私たちは、新婚ほやほやなのである。

 夫、裕仁(ひろひと)は、もともとは、私が経営していた会社の、社員のひとりだった。ところが、私が彼を好きになってしまい、私は彼に告⽩をしたのだ。彼はかなりためらったようだが、最終的には受け⼊れてくれて、2⼈の付き合いがはじまった。

 付き合ってから1年半の間、いろいろあったが、その後、半年の同棲(どうせい)期間を経て、私たちは、結婚することになったのである。結婚と同時に、社⻑業は彼に譲(ゆず)り、今、私は、副社⻑として、彼を⽀えている。

 実は、私と彼の間には、男⼥の違いのほかに、もう⼀つ、⼤きな違いがある。それは、彼は「こころの病」を患う「障がい者」であり、私は特に何もない「健常者」なのである。もっとも、私はそのことを全く気にしておらず、ただ、彼のためになることなら、何でもやってきたのだが、彼の⽅としては、若⼲気になるようである。

 ⼀時期は、非常に悩みこんでいたようで、その際には、作家の林⾳⽣(ねお)先⽣をはじめとする、お仲間のみなさんには、⼤変お世話になったとのことだ。そのおかげで、彼は今では、ほとんど悩みこむことはなくなったようで、私も⼤変感謝している。

 みなさんには、結婚式の時にお会いしたが、本当にいい⼈たちで、いつも彼の⼼の⽀えになってくださっているようだった。ちょっと私のほうがうらやましくなるわね。


 さて、今⽇も夫は社⻑として、⼤活躍してくれた。もうほとんど、副社⻑である私の助けは、要らないくらいね。ほんと、お疲れ様。⼤好きな「パエリヤ」を作ってあげなきゃね。

 そう、夫は「パエリヤ」にかなりはまっていて、⾃分でも作るのだ。あんまり上⼿ではないんだけどね。

 夫は、病の⾝でありながら、私の顔を⽴て、社員たちへのメンツを保つために、実はかなり無理をして、働いてくれているようである。そのせいで、たまに⼤きな「うつ状態」になって、寝込んでしまうことがあるのだ。そんなときも、夫は薬よりも、「パエリヤ」を欲しがるので、私はいつでも作ってあげられるように、ある程度は、材料を買いだめしてあるのだ。


 私は、書斎でパソコンに向かう夫の⼿元に、そっと「パエリヤ」を盛った⼩皿を置く。夫はこちらをふっと⾒て、またすぐにパソコンの⽅に目をやる。私は何も⾔わずに振り返り、⼼のなかでそっとつぶやく……。

「もう、キカイと私、どっちが好きなのかしら。」



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