【2】 頑張るキミに乾杯!
俺、古⽥雄⼀は、居酒屋を経営しているのだが、うちの店は、今、⼈⼿が不⾜している。募集は常にかけているし、⾯接を受けに来てくれる⼈も、たくさんいるのだが、なかなかこれといった⼈材に、出会わないのである。
そんな中、最近、とても興味深いお客さんと話すようになった。彼⼥の名前は、藤井百海(ももみ)ちゃんといって、年齢は20代半ばくらいのようだ。
彼⼥は、もう4年も前から、うちの店に飲みに来てくれていた。とにかく酒が好きなようで、うちの店には、ほとんど毎⽇顔を出してくれていた。
でも、なにか「理由(わけ)あり」な感じで、どこかで働いている様⼦がなく、うちの店にも、開店から閉店まで、ずっと⼊り浸っていることが、多いのであった。気になったので、話しかけてみると、彼⼥は酔った勢いで、⾝の上話を始めた。
なんでも彼⼥は、幼い頃に、不慮の事故で、脳に障がいを負ってしまったようなのだ。そのため、社会⼈になってからは、仕事を続けるのが困難で、職を転々としていたらしいのだ。最近では、⾃信をすっかり失ってしまって、労働からは、しばらく遠ざかっているとのことだった。
「お⾦はどうしてるん?」
と訊きたいところだったが、さすがにそれは、踏み込みすぎだと思い、こちらから訊くのは、やめにしておいた。
その後、百海ちゃんとの関わりは、深くなっていき、俺が休みの⽇には、妻と⼀緒に、遠くへ連れ出してやることもあった。彼⼥にとっては、⼤変気晴らしになっていたようで、目をキラキラ輝かせていたのを覚えている。
また、そうしているうちに、次第に、彼⼥の意外な⼀⾯も⾒られるようになった。普段はどちらかというと、控えめな印象だったのだが、必要な場⾯では、普通の⼈にはない、ずば抜けた優しさと明るさを、⾒せるのであった。
俺は思った。この⼦は、いい⾯を活かせば、客商売に向いているのではないか、と。もしこの⼦が、うちの店で働いてくれるのなら、こんなにうちの店と酒が好きなのだから、きっとまじめに楽しく働いてくれるはず。お客さんにもかわいがってもらえるはず。俺は、そう思って、彼⼥を雇い⼊れることのできるきっかけを待っていた。
そして、その時がついにきた。ある⽇、百海ちゃんは、俺の目の前で、求⼈情報誌をめくっているのだ。彼⼥のお⾦の出どころは、いまだにわからずじまいだが、ついにお⾦に困る事情ができたのだろう。俺は、
「今こそチャンス!」
と思い、彼⼥に声をかけた。
「うちで雇ってやるがな。うちの店が好きな⼈に働いてもらったほうが、うちとしてもええことやしな。」
彼⼥は驚いた様⼦で、返答できないようだった。俺はそのまま続けて、
「じゃあ、⾯接は3時間後な。よろしく。」
と伝える。
彼⼥は慌てて店を⾶び出していった。履歴書と写真を⽤意しに出掛けたのだろう。戻ってきた彼⼥を、店の2階に連れていき、早速⾯接をさせてもらった。
⾯接では改めて、百海ちゃんの障がいのことについて、詳しく聞かせてもらった。だいたいはこれまでに聞いた通りだったが、ひとつ興味深いことを⾔っていた。
彼⼥は今、病院にリハビリに通っているところで、⾦銭⾯では、国が定めた法律に従って、毎⽉⽀援があったのだが、先⽉、それが打ち切られてしまったらしいのである。そんな法律があるとは、俺は全く知らなかったが、これで謎は解けたのである。最後に彼⼥の意思を確認し、俺は彼⼥を採⽤した。
翌晩から早速、百海ちゃんには出勤してもらうことにした。
最初は研修だが、基本的には俺が付きっきりで教えた。ただ、障がいが影響しているからなのか、彼⼥は仕事を覚えるスピードが、かなりゆっくりだった。俺の⾔うことは、ちゃんとわかっているし、少しずつ確実に、消化はしているのだが、あまりにもマイペースなのである。
この分ではお客さんに、迷惑がかかる⼀⽅だし、どうしたものかと思案にくれた。⼀瞬、もうクビにしてしまおうか、とも考えたのだが、すぐに思い直し、彼⼥にチャンスを与えることにしたのである。
彼⼥は明らかに、深夜に動き回ることが苦⼿なようだった。後から聞いたが、服薬の影響らしい。そこで俺は彼⼥に、⼣⽅の「開店作業」をさせることにしたのである。狙い通り彼⼥は、テキパキ仕事をするし、今回は仕事を覚えるのも早かった。開店作業が終わったら、そのまま通常の勤務に⼊らせたが、それも問題なくこなせていた。
ただ、慣れるまでは、相当しんどかったらしく、症状が出ていてもずっと我慢していたのだという。確かにあまりに頻繁(ひんぱん)に、しんどいから休ませてくれ、と⾔われても困るが、たまには俺を頼ってきて欲しかった。
でも、逆に⾔えば、百海ちゃんは⾃分の障がいを、⼗分受け⼊れていて、それとうまく付き合う術(すべ)を、⾝に付けていた、ということだ。俺は、余計なことは⼝に出さずに、彼⼥をそっと⾒守ることにした。
その後、ようやく居酒屋の「お姉さん」として板についてきた百海ちゃんだったが、彼⼥⾃⾝もやりがいを⼗分に感じながら、仕事ができているようだった。ただ、障がいゆえなのか、ハイテンションになって、騒ぎすぎるところがあり、
「そんなに⾶ばして⼤丈夫か?」
とヒヤヒヤさせられる場⾯が多々ある。もっとも、仕事に⽀障は全く出ていなかったので、まぁ 、これでいいのかな、と様⼦を⾒てみることにした。
そんなこんなで、いつの間にやら2年の⽉⽇が経ち、百海ちゃんが、もう⼀⼈前に働いているのを⾒届けた俺は、この仕事を引退することにしたのである。
実は、俺はバーにも興味があって、居酒屋の経営と同時に、そちらの新規⽴ち上げを狙(ねら)って、着々と準備を進めていたのである。みんなに理由(わけ)を説明したが、必死で引き留めにかかるのかと思いきや、意外にもみんな冷静で、
「古⽥さん、あとは俺たちに任せてください!」
の⼀⽂で終わってしまったのである。
どうやら、すでにバー⽴ち上げの話が、漏(も)れていたらしい。百海ちゃんも、⾔葉は発しないものの、うんうんとうなずいて、俺の選択した決断を、応援してくれるのであった。
店は、息⼦が引き継いでくれた。俺の後がまは、できれば百海ちゃんにしてやりたかったところだが、⼥将(おかみ)になるのなら、もう少しいろいろ経験を積んでからの⽅がいいだろう。それこそ、⾃分で店を持つくらいになってくれたら俺も本望だ。
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