復刻版3「だから、それでも僕は生きていく!」~「こころの病」を患う主人公たちの秘話6選~

林音生(はやしねお)

【1】 ビターチョコ・ラブ

 私、東瑞⾹(あずまみずか)は、⼤学に通いながら、とある個別指導塾で「チューター」としてアルバイトをしている。

「チューター」というのは、⽣徒の進路相談を受けたり、勉強上のアドバイスをしたりする役目の⼈のことである。⽣徒の指導は、講師とチューターがタッグを組んで進めていく。

 そして、私が今、タッグを組んでいる講師が、私の彼⽒、森俊⼀くんである。私たちは同い年・同じ学年で、それぞれ別の⼤学に通っている。

 私と森くんの馴れ初め(なれそめ)は、今から約2年前のホワイトデーの⽇のことだった。私はさらに1年ほど前、つまり私たちが塾の登録試験を受けて、それぞれチューター、講師として登録した⽇から、彼のことが気にかかっていた。

 1年目は、まだ彼とはタッグを組んでいなかったので、森くんと接する機会はごく限られていた。ただ、講師名簿に森くんの連絡先が載っているので、いつでも連絡できる状態ではあったが、⽤もないのに連絡するわけにはいかず、たまにすれ違ったときに挨拶(あいさつ)を交わす程度しかできなかった。

 しかも彼の返答はいつも「素っ気ない」ものだった。これは、脈がないどころか、全く関⼼を持たれていないのだな、とひどく落ち込んだものである。

 ところが、その年度のホワイトデーの⽇に、彼は私に突然、何かを渡してきたのである。⾒てみると、⼿作りらしき「ビターチョコクッキー」の、でこぼこの⽋⽚(かけら)たちが、タッパーから透けて⾒える。

 実は、私は彼に、個⼈的には、バレンタインのプレゼントをしていなかったのである。どうしても勇気が出なくて、

「みなさんで⾷べてください!」

 と⼩さなチョコレートの束を事務所に置くだけが精⼀杯だったのである。私は彼に、

「いったいどうして!?」

 と訊かずにいられなかったが、森くんは、ただ素っ気なく、

「俺の気持ちだ。」

 と⾔うだけだった。その素っ気なさがかえって愛おしくて、私は思わず涙に濡れてしまった。彼は⼀瞬、慌てる素振りを⾒せたものの、すぐにまた元の素っ気ない感じに戻って、

「俺の気持ち、わかるよな。」

 と⾔うのであった。私は涙目で、⼤きく⾸を縦に振り、承諾(しょうだく)のサインを送った。


 翌年度から、偶然にも私は森くんとタッグを組むことになる。森くんは、講師になって1年目は、⾃分の⽣徒指導のスタイルを確⽴するのに、相当な苦労をしたらしい。でも、私とタッグを組み始めたときには、そんなところを、微塵(みじん)も感じさせなかった。

 ある⽣徒の例だが、その⽣徒は、以前はテストでは「⾚点」ばかりを取ってくるのが普通だった。私は⽣徒と⾯談を重ねて、なんとかやる気を出してもらおうと尽⼒したが、ほとんど効果はなかった。

 ところが、森くんが本気を出した途端、その⽣徒の成績が急に伸び出したのである。テストの点は、80点台後半以上が当たり前になった。まるで魔法でも⾒ているかのようだった。

 その後、その⽣徒は、私と⾯談を重ねて、志望校のランクを⼤幅にアップさせて受験し、⾒事に合格したのである。私たちは、親御さんにも⼤いに喜ばれたものである。


 このように、仕事の⽅は、私たちの息が合っていたこともあり、順調だった。では、プライベートでも気が合っていたのか、というと、はじめの1年くらいは本当に楽しい⽇々を過ごしていたのだが、2年目になると状況が変わってきた。

 森くんはあまりにも素っ気ないので、コミュニケーションがまともには成り⽴たないことが多いし、表情からも感情を読み取るのが非常に難しいのである。もちろん、彼だけが悪いわけではないのは、重々承知しているが、それでも私は、そういう彼にだんだん我慢がならなくなってきたのである。

 そんな中、ついに私に魔が差したのである。ある⼥友達の、半ば強引な誘いで、たまたま出かけた国際パーティーで、魅⼒的なイギリス⼈男性に、惚(ほ)れてしまったのである。私は⼀気にその⼈の虜(とりこ)になってしまい、その⼈の祖国、イギリスへ駆け落ちしてしまったのだ。しかも森くんに別れも告げず、親とも絶交状態で⾶び出して行ったのである。

 ところが、いきなりそんな異国の地へ、急に⾶び⽴っても、そこの⽣活になじめるはずもない。英語もほとんど話せなかったし、周りはみんな異星⼈に⾒えた。彼⽒だけが頼りだったが、その彼も、付き合うようになってから、⼀気に私に冷たくなった。「ああ、私はいったい何をしにここへ来て、何をしているのかしら。」

 と思わずにはいられなかった。

 そうこうしているうちに、私はひどく「こころ」を病んでしまったのである。毎⽇なんだか憂鬱(ゆううつ)で、この先の⼈⽣にはとても望みは持てなかった。今さら⽇本には戻れないし、このまま彼⽒と冷めきった関係を続けることもできない。だからと⾔って、このイギリスでひとりで暮らすのは、あまりにもハードルが⾼すぎる。もう⼋⽅ふさがりだ。いったいどうしたものか、と悩み込んでいるうちに、症状はますます悪化していった。

 そこに奇跡的な出来事が起こった。なんと、森くんが、私のところに会いに来たのである。いったいどうやって、私を探し当てたのかはわからないが、彼はただ、素っ気なく、

「瑞⾹、帰るぞ。」

 と⾔って、私の腕を引っ張るのであった。私は何か胸からこみ上げてくるものを感じた。

「ああ、私はこの⼈から離れてはいけなかったんだ。」

 私は、彼を真似て、「素っ気なく」⾸を縦に振った。


 ⽇本に戻った私たちだったが、驚いたことが2つある。ひとつ目は、個別指導塾は休暇扱いになっていて、私はクビにはなっていなかったこと。どうやら森くんが、うまくつじつまを合わせていてくれたらしい。

 それから、2つ目だが、なんと、森くんも、少し「こころ」を病んでいたのである。私を失ったことによる悲しみが、発症の引き⾦だったようだ。私のせいで関係のない森くんまで……そこまで⾔いかけたが、森くんが私の⼝をふさぎ、⼤きく⾸を横に振るのだった。

 お互いのこの数カ⽉間のことを、伝え合った私たちは、まずは2⼈で精神科クリニックに⾏こう、ということになった。病を放置して、どちらか⼀⽅でも⼤変な事態になったら、それこそお互いのためにならないからである。

 ドクターの⾒⽴てでは、どちらも「うつ病」の疑いがあるという。また、私の⽅は、イギリスへ駆け落ちした、エピソードもあることから、ひょっとしたら「双極性障害(躁うつ病)」の疑いも、あるかもしれないとのことだった。

 森くんの⽅には、すぐに薬が処⽅され、服薬しながら⼤学に通うことになったが、私の⽅は、⼀度、⼤病院で検査⼊院の必要があるという。私は森くんの⽅を⾒て、反応を待ったが、いつも通り、ただ素っ気なくうなずくのであった。

「こんな時ぐらい普通の反応はできないのかしら。」

 と私は少しムッとしたが、もう2度と同じ過ちは犯したくない。私は、グッとこらえて、

「わかったわ。」

 とだけ返した。

 検査⼊院は、2泊3⽇で⾏われたが、結果はやはり「双極性障害で間違いない」とのことだった。ただ、まだ初期の段階なので、多少の服薬を続けていれば、⽇常⽣活には差し⽀えはないとのことだった。続けて、ドクターは、

「彼⼥に過度のハイテンションの兆(きざ)しが⾒えたら、すぐに報告してほしい。」

 と、⼀緒に話を聞いていた森くんにおっしゃるのだった。彼は、

「わかりました!」

 と「さわやかに」に⾔った。なんだ、やればできるじゃん。なんで私のときだけ……。


 その後は、やっと私たちにもとの⽇常が戻った。私は⼤学にも個別指導塾にも復帰した。ただ、⼤学の⽅は特に休暇扱いになっておらず、また、その分、単位をたくさん取り損なっているので、ひょっとしたら、4年での卒業は難しくなるかもしれない。

 でも、そんなことはもうどうでもいい。今はただ、⼈⽣最⾼のパートナー、森くんと⼀緒にいられるだけで⼗分である。


 後⽇談になるが、予想通り私は留年し、森くんが先に社会⼈になる。そして、私の卒業に合わせて、森くんから「素っ気ない」プロポーズの⾔葉があった。私が彼の気持ちを受け⼊れたのは⾔うまでもない。

  




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る