第29話
真理から説明を受け、鏡を見て確認することで、美代子は優美が『あやかし』であることを確認していた。
「座敷童だなんて。実在してたんですね……」
優美がころころと笑って応える。
「まぁ、普通は見えぬからな。
真理やおんしのように、見える人間が稀におる。
――で、どうじゃ? この店の従業員の話、受けるか?」
美代子はコーヒーを見つめながら考えていた。
座敷童は富を呼ぶ『あやかし』。
そのぐらいは知っていた。
そんな『あやかし』が厚意で手を差し伸べて来ている。
真理という前例もある。
業務内容は特に難しくもない、バイトレベルだ。
休みは少ないが、飲食業ならこんなものだろう。
ため息をついた美代子が、拓海の顔を見つめた。
「じゃあ、よろしくお願いします」
拓海がニコリと微笑んだ。
「うん、よろしく。
細かい手続きはオーナーがやってくれると思う。
必要書類は、引っ越しが終わってからでもいいよ」
優美がスマホを片手に美代子に告げる。
「おんしはひとり暮らしかえ?
単身者用のおまかせコースでよいな?
住所と氏名だけ教えておくがよい。
業者はすべて手配してやろう」
美代子が小さく息をついて、拓海が差し出した書類に記入していった。
「――これでいいですか?」
優美がそれを見てうなずいた。
「うむ、これだけわかれば問題ない。
大家の連絡先や支払いの督促状も、あるだけもってくるがよい」
美代子はまじまじと優美を見つめた。
幼い少女のような外見をする、古風な喋りの『あやかし』。
だが今、美代子が選べる選択肢はこれしか残っていないのだ。
深々と頭を下げたあと、美代子は『カフェ・ド・アルエット』をあとにした。
****
真理はショートケーキを頬張る優美に尋ねる。
「またオーナーの慈善事業ですか?」
「それもあるが、おんしがそろそろ働けまい?
どちらにしろ、人手が欲しかったところじゃよ」
拓海が食器をカウンターキッチンで洗いながら告げる。
「あの人、秋元さんは二十五歳だ。
ぼくらよりちょっと年下になるけど、耐えれるかなぁ?
職歴二年じゃ、修羅場も知らないだろうし」
「何を言うとるか、社会人歴四年目のぺーぺーが。
おんしと大差ないぞ?
まぁ任せておけ、儂がなんとかしてやろう」
スマホで連絡を取りながら、優美が器用にケーキを平らげていく。
コーヒーを飲み干すと席を立ち、悠々と店を出ていった。
食器を片づける拓海に、真理が告げる。
「オーナーは変わらないわね」
「それがオーナーの良いところだからね。
――そろそろお昼だ。何食べる?」
「んー、カルボナーラにしようかしら」
拓海が笑って「オーケイ」と応え、トレーを持って厨房に引っ込んだ。
****
ビルの五階にある一室で、引っ越しが終わった美代子が座り込んでいた。
驚くほど広い部屋、運び込んだ荷物が、小さな段ボールの山を築き上げている。
持ち込んだ家具はベッドが一つ。
ローテーブルのそばにクッションを敷いて座り込み、呆けて部屋を見回していた。
「……広すぎる」
以前は真理が借りていた一人部屋だ。
所持金が尽きかけていた美代子に、優美は『支度金じゃ』と金一封まで残していった。
封筒を見つめながら、美代子はため息をついた。
――何かの間違いじゃないのかな。
あまりに都合が良すぎて、現実が信じられなかった。
だが、やるべきことはやらなければならない。
お金を財布に入れると、美代子は必要書類を集めるため、役所にでかけていった。
****
夕方になり、手続きを終えた美代子が帰宅した。
書類をローテーブルの上に置き、時計を確認する――もう午後五時前だ。
空腹を覚え、コンビニの位置を探そうとスマホを取り出し、メッセージ着信に気付く。
真理から『ご飯は食べにいらっしゃい』とあった。
この上、食事まででるのかとくらくらしていた。
支度金としてもらったお金は、それほど多くない。
次の給料日を考えれば、食費が持つ訳もなかった。
選択肢がない美代子は小さく息をつき、立ち上がって部屋を出た。
美代子が『カフェ・ド・アルエット』に顔を出した。
「あのー、ご飯が頂けるって聞いたんですけど」
真理がカウンター席に座りながら応える。
「あら、いらっしゃい。
閉店処理をしちゃうから、少し待っていてくれる?」
ゆっくりと立ち上がった真理が、テーブルを拭き始めた。
拓海が外の立て看板を店内に回収し、手を洗ってから厨房に向かう。
途中で足を止めた拓海が、美代子に尋ねる。
「ご飯、食べたいものある?
特になければナポリタンにしちゃうけど」
気が引けている美代子は「じゃあ、それで」と、おずおずと応えた。
ニコリと微笑んだ拓海が、厨房に消えていく。
真理がカウンター席に戻り、美代子に微笑んだ。
「こちらに座ったら? 少し話をしない?」
「はぁ……」
真理の隣に座った美代子が、その大きなお腹を見て尋ねる。
「何か月ですか?」
「六か月ね。ようやくここまで大きくなってくれたの。
早くこの子に会いたいわ」
幸せそうに微笑む真理に、美代子が尋ねる。
「マスターの子供ですか?」
「そうよ? これでも新婚なの。
昨年入籍したばかりよ?」
美代子がまじまじと真理の顔を見る。
妊娠ですこしむくんでいるが、シュッとした輪郭とストレートショートボブの真理は、どこか洗練されて見えた。
「東京の人なんですか?」
「私? 横浜よ。南の方」
「ああ、ハマッ子なんですね。
私は北の方なんです。
どうやってマスターと知り合ったんですか?」
真理がお茶に目を落としながら応える。
「失業して山下公園にいたら、たまたまこの店が目に入ったの。
あとは店内の求人広告を見つけて、気が付いたらあなたみたいになってたわ。
働いてるうちに拓海さんと恋に落ちて、そのままゴールインね」
「このお店、忙しいんですか?」
「暇よ?」
意外な答えに、美代子が一瞬固まった。
「暇なのに、従業員が必要なんですか?」
「オーナーの意向なの。
ここはオーナーが趣味で維持してる店だもの。
ちょこちょこやってくるから、きちんと接客してあげてね」
美代子が真理のお腹を見つめながら告げる。
「名前は考えてあるんですか?」
「この子、女の子なの。
『真美』にしようかって話はしてるけど、他の候補も捨てがたいわね。
最終的には、フィーリングで決めるんじゃないかしら」
カランコロンとドアベルが鳴り、綾女が顔を見せた。
「失礼するわね、真理さんは居る?
――あら、お客さん?」
真理が綾女に微笑んで応える。
「違うわ。新しい従業員。
秋元美代子さんよ」
綾女が美代子に近づいて行って、微笑んで告げる。
「はじめまして秋元さん。
私は佐藤綾女よ。
従業員なら、これからも会うことがあるかもね」
美代子がおずおずと応える。
「初めまして、秋元です」
美代子にニコリと微笑んだ後、綾女が真理に尋ねる。
「体調は大丈夫? 無理してない?」
真理が苦笑して応える。
「大丈夫よ、軽作業だけ。
でもやっぱり、子供をひとり抱えてると体が重たいわね。
ジムに通えるのはいつになるかしら」
「子供が大きくなるまでは、難しいんじゃない?
――じゃ、私はジムに行くわね」
ひらひらと手を振って、綾女が店から立ち去った。
その背中を見送りながら、美代子が真理に尋ねる。
「ジムなんて近くにあるんですか?」
「このビルの三階がスポーツジムよ。
オーナーに言えば、割引で会員にしてもらえるわ。
綺麗な所だから、使いやすいわよ?」
「へぇ……」
体を動かす趣味がない美代子は、曖昧な相槌を打った。
厨房から出てきた拓海が、真理と美代子の前に料理を置いて行く
「当店自慢のナポリタンだ。
これからも、食事は食べに来ていいよ。
しばらくは食費が浮いた方がいいだろう?」
小さくうなずいた美代子が、フォークを手に取りナポリタンを巻き付けた。
――やっていけるかな。
不安を感じながら、美代子はナポリタンを口に運んでいった。
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