第21話

 六月の陽気が、山下公園に降り注いでいた。


 木陰に広げられたレジャーシートに、シェアハウスの面々が揃う。


 直也がウーロン茶を片手に豪快に笑っていた。


「めでたいな! 拓海にパートナーができるとは!」


 綾女が小さく息をついて告げる。


「いいわよね、恋愛。

 私もどこかに良い男性が転がってないかしら」


 優美がニヤリと笑って告げる。


「では公園内を探して回るか?

 おんしの顔なら、何人かひっかけられよう」


「やだ! ナンパでついてくる人なんてお断りよ!」


 明るい笑い声の中、真理が参加メンバーを見回した。


「瞳さんと厚樹さんはどうしたの?」


 直也がサンドイッチを頬張りながら応える。


「厚樹は休日出勤だ。

 夜の宴会には参加するそうだぞ」


 綾女が唐揚げを小皿に取りながら告げる。


「瞳は締め切り直前だから、宴会も怪しいかも」


 拓海は潮風を受けながら、だまって海を眺めていた。


 隣に座る真理が、拓海に尋ねる。


「どうしたの?」


「んー、幸せだなぁって。

 『幸せ過ぎて怖い』って、本当なんだなって思ってさ」


 真理がクスリと笑って巧みに体を預けた。


「それはこちらのセリフよ?

 私をこんなに幸せにした責任、取ってくれる?」


「もちろん、それぐらい喜んで」


 直也が楽しそうな笑顔で笑った。


「あまり外でいちゃつくなよ?

 子供も来ている公園だからな!」


 優美は黙って、寄り添う真理と拓海の姿を見守っていた。





****


 真理は拓海に体を預けながら、山下公園内をぼんやりと眺めていた。


 六月の陽気と涼しげな海風。


 降り注ぐ陽光に照らされた青い芝。


 子連れの母親たちが、子供を遊ばせながらピクニックをしている様子。


 海辺には観光客や、カップルの姿も見える。


 いつもの日常、変わらない日々。


 その日常の中に自分が居て、隣にはすべてを預けられる拓海が居る。


 目の前には楽しい仲間たちと、穏やかに見守る優美。


 優美は料理をつまんでは、お茶を静かに飲んでいた。


 ――『幸せ過ぎて怖い』か。


 この時間が壊れるのが、今は何よりも怖い。


 このまま結婚し、子供を産んで母親として生きる。


 そんな道が自分の前に広がっていることに、真理は戸惑いさえ覚えていた。


 ――このままで、本当にいいのかな。


 拓海を自分が縛り付けていいのだろうか。


 自分よりもっと相応しい人が居るんじゃないか。


 いつか、拓海がそんな女性に心奪われる日が来てしまうかもしれない。


 うつむいている真理の手を、拓海が強く握った。


 黙って手を握り返した真理が、その手のぬくもりで不安を癒していく。


 ――今は私が拓海さんのパートナー。


 その事実があればいい。


 そう思えた真理は、穏やかに笑って仲間たちの会話に参加した。





****


 早めにピクニックを切り上げ、それぞれが一度自宅に戻った。


 拓海と一緒にソファに座る真理が、時計を見る――午後一時。


 宴会は十九時からの予定で、料理や酒の手配は優美が行っている。


 拓海はそれまで、時間が空いているはずだ。


 ――それなら、部屋から荷物を運ぶ手伝いでもしてもらおうかな。


 真理が拓海に振り向いて声をかけようとした瞬間、その口を拓海が塞いでいた。



 夕暮れが窓を明るく照らす中、真理がぽつりとつぶやく。


「もう、突然で驚いたわよ?」


 拓海がはにかみながら応える。


「……ごめん、『幸せをもっと実感したい』って思っちゃって」


 真理が小さく息をついて告げる。


「随分と甘えん坊ね?

 それでお店を守れるのかしら」


「隣に真理が居てくれれば、千年でも守って見せるさ」


 クスリと笑った真理が立ち上がり、タオルを手にした。


「シャワー、先に浴びるわね」


 バスルームに消える真理の姿を、拓海は愛おしそうに見つめて居た。





****


 午後五時になり、拓海が店の準備を始めた。


 真理と一緒になりテーブルを中央に集め、パーティー席を作っていく。


 優美と一緒に配達の人間がやってきて、テーブルの上に次々と料理が運び込まれて行った。


 酒も運び込まれ、すっかり準備が出来上がる頃。


 ぽつりぽつりとシャアハウスの仲間たちが顔を出し始める。


「おー! すごい量だな!」


 楽し気な声を上げる直也と、微笑む綾女。


 疲れ切った様子の瞳。


 少し遅れて、汗をかきながら厚樹が駆け込んでくる。


「すいません! 遅れましたか!」


 拓海が笑顔で厚樹を迎え入れた。


「大丈夫、間に合ってるよ」


 ふぅ、と息をついた厚樹が、ネクタイを緩めてジャケットを椅子に掛けた。



 全員が酒を手に持ち、テーブルに向かい合う。


 優美が代表して声を上げる。


「では二人の進展を祝して――乾杯じゃ!」


 わっと声が上がり、それぞれが酒を喉に流し込んでいく。


 ちびちびと日本酒を飲む優美に、真理が思わず尋ねる。


「オーナー、お酒を飲めたんですか?」


「儂を何歳だと思うておるのじゃ?

 最年長じゃぞ?」


 直也が豪快に寿司を頬張り、綾女は瞳に取り分けた小皿を手渡していた。


 瞳が吹っ切れたような声で告げる。


「締め切りなんて知ったことかー!

 私はお酒を飲むぞー!」


 綾女が苦笑しながら瞳に尋ねる。


「それで、あと何ページなの?」


「三ページ……」


「あと少しじゃない。もうひと頑張りよ?」


 うなずいた瞳が、ビールを喉に流し込んでいった。


 厚樹はやはり泣きながら声を上げる。


「そうですよ! 締め切りなんて知ったことじゃありません!

 納品日がなんだっていうんですか!

 クライアントのわがままなんて、もう知りませんよ!」


 真理が苦笑を浮かべながら告げる。


「ホントに厚樹さんは、出来上がるのが早いわね……」


 直也が豪快に笑って告げる。


「すぐに酔いつぶれるから、コスパはいいぞ?!」


 ――そういう問題かなぁ?


 拓海は笑いながらビールを飲み、料理をつまんでいた。


 優美が真理に告げる。


「拓海が結婚式に呼ぶのは、ここに居る者たちぐらいじゃろう。

 真理には呼びたい人間が何人おるかの?」


「え? 私ですか?

 親戚と友人を含めれば……十人から二十人くらいですかね」


 優美がうなずいて応える。


「ではそのぐらいの人数で手配をしよう。

 知り合いのブライダルコンサルタントがおる。

 そやつにここに来るよう伝えておくゆえ、要望を伝えておけ」


 結婚式。


 いよいよ動き出す一世一代のイベントに、真理はわずかに気後れしていた。


 真理の顔を見た優美がニンマリと告げる。


「重たく考える必要はない。

 不要になればキャンセルするだけじゃ。

 おんしはおんしの思うように生きよ」


 真理は静かにうなずき、ビールを口にした。





****


 各自が椅子に座り、料理を頬張る頃。


 直也がピザを食べながら拓海に告げる。


「それで、親への挨拶はいつするんだ?」


 拓海が困ったように微笑んだ。


「いつがいいかなぁ。

 あんまり早いと『急ぎすぎる』と言われるだろうし。

 遅すぎても困るだろうし」


 優美がケーキを美味しそうに口にしながら告げる。


「あわてる必要もあるまい。

 覚悟が決まる前から挨拶しても、仕方があるまいよ。

 今月くらいはゆるりと考えておけ」


 真理は父親の姿を思い浮かべていた。


 ――挨拶か。お父さん、どんな顔をするかな。


 うつむいている真理に、拓海が告げる。


「僕はいつでも構わないから、真理からご両親に予定を聞いておいて。

 その日に合わせて会いに行こうか」


 真理は拓海の目を見てうなずいてから、その胸に体を預けた。


 ――この人と人生を添い遂げる、か。なんだか実感が湧かないな。


 望んでいる自分は居る。


 明るい未来も見えている。


 だが幸せ過ぎて、現実感がないのだ。


 それでも自分の幸せを掴むため、真理はスマホを取り出し、母親にメッセージを送った。

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