第16話
「いらっしゃいませ――ああ、優美さん」
美容院の店員が笑顔で告げた。
優美は真理の手を引きながら店員に引き渡す。
「髪の毛を整えてやってくれ。
爪の手入れもな」
「はい、お任せください!」
店員に促され、真理は椅子に座って髪をいじられていく。
「お好みのアレンジはございますか?」
真理は戸惑いながら応える。
「えーと、できればストレートのままで」
「かしこまりました」
店員が手際よく毛先を切りそろえていく。
真理は戸惑いながら優美に告げる。
「オーナー、これはなんなの?」
優美がニタリと微笑んで応える。
「明日は『でぇと』なんじゃろ?
支度もせんで男を捕まえようなど、虫の良い話じゃろうて。
このあと、服屋にも立ち寄るぞ」
「そんな! お店を拓海さんひとりに任せるつもりですか?!」
「おんしが来るまではそうじゃった。
半日おらんくらい、問題にならん」
唖然としながら真理が尋ねる。
「どうして、そこまで」
「言うたじゃろ? 『趣味』じゃ。
やりたいことを我慢するのは、もうやめた。
思った時に思ったことをする。それだけじゃ。
おんしは明日のことだけ考えぃ」
真理は毛先を整えられる自分を鏡で見ながら、自分を見つめ直した。
――そうだ、明日は落とせない勝負所だ!
気合の入った瞳で自分を見つめる真理を、優美は満足げに眺めていた。
****
整ったストレートのショートボブを、真理は満足して眺めていた。
いつも通り――だけど、きちんと臨戦態勢だ。
優美が会計を済ませ、また真理の手を引いて行く。
向かった先は、表通りのブティックだった。
店員が優美を認め、笑顔で近づいてくる。
「優美さん、いらっしゃい。
今日はどのようなご用件ですか?」
「この娘を着飾らせてくれ。
しっかり気合を入れてな」
真理がおずおずと前に出て告げる。
「よろしくお願いします」
店員がニコリと微笑み、奥へと案内した。
店員のセレクトから、真理も自分で選んでいく。
黒いリネンのキャミソールにグレイのクロップドスカート。
ダークグレイのジャケットに黒いローファー。
シンプルなモノトーンで、真理好みだ。
店員がシルバーのアクセサリーを持ち出してきた。
「ブレスレットにイヤリングもおつけすると、ぐっと明るくなりますよ」
姿見でチェックし、真理は満足感を覚えた。
大人の魅力が詰まったコーディネートだ。
優美が横から、真理の指にシルバーのリングをはめていく。
「このぐらいしても、ばちは当たらんじゃろ」
「――ここまでしなくても大丈夫ですよ!」
真理の言葉に、優美がニヤリと笑った。
「言うたはずじゃ。『我慢はせん』と。
――それ、次は化粧品も見繕うてもらえ」
店員に案内され、化粧品コーナーに向かう。
高級ブランドのローズリップとピンクベージュのマニキュア。
試し塗りをして感触を確かめる。
「よくお似合いですよ、お決めになりますか?」
「……はい、これでお願いします」
店員は満足そうに微笑んだ。
ブティックで大量の紙袋を手にした真理の手を、さらに優美が引いて行く。
「今度はどこに行くの?!」
「愚か者。一番大事な物を忘れておるぞ?」
向かった先は下着専門店。
真理は頭がくらくらしながら、そのドアをくぐった。
****
一度帰宅し、荷物を床に置く。
ため息をついた真理が、ソファに腰を下ろした。
「……オーナーって、本当に強引なんだから」
ちらりと目の端に、下着専門店の袋が映った。
その中をおそるおそる覗き込み、小さくため息をつく。
「そりゃあ、必要かもしれないけどさ」
まだ知り合って間もない相手とのファーストデート。
ここまでやって、引かれないだろうか。
そんな不安にさいなまれる真理の脳裏に、優美の言葉が浮かぶ。
『やりたいことを我慢するのは、もうやめた』
――私がやりたいこと、か。
この最後のチャンスを、確実にものにしたい。
これを逃したら、次は何年後になるかもわからない。
その時、自分はまだ女で居られるだろうか?
そう考えれば、ここで勝負しなければ『嘘』だろう。
「――よし!」
立ち上がった真理は、拓海が待つ『カフェ・ド・アルエット』へ向かって歩きだした。
****
カランコロンとドアベルが鳴る。
「おかえり、真理」
拓海の言葉に、真理が微笑む。
「ただいま。
ごめんなさい、留守にしてしまって」
拓海が微笑んで応える。
「大丈夫、問題ないよ。
――疲れたろう? コーヒー、飲む?」
真理がうなずくと、拓海はお湯を沸かし、コーヒーの準備を始めた。
エプロンを付けた真理が時計を見る――午後四時だ。
拓海がコーヒーを淹れていく姿を、頬杖をついて眺める。
――この人なら、きっと。
「はい、お待ちどう」
目の前に置かれたコーヒーを、真理はじっくりと味わった。
マンデリンの深いコクと切れ味のある味わい。
最初にこの店で飲んだ時を思い出す。
「ねぇ拓海さん。前の彼女ってどんな人だったの?」
「気になる? 大して面白い話にはならないよ?」
「いいじゃない、少しくらい」
拓海も自分のコーヒーを口にしながら応える。
「可愛らしい人だったよ。
でもちょっとリアリストでね。
就職しない僕を見捨てて、東京に行っちゃった」
「可愛らしい人が好みなの?」
拓海がクスリと笑った。
「僕は魅力的な人を好きになるだけさ。
その時、その子が周りで一番魅力的だった。
どんな女性も、魅力的な一面を持ってるものだと思ってるよ」
真理がジト目で拓海を見つめた。
「なあにそれ、まるで『浮気性』みたいじゃない」
拓海がおかしそうに笑って応える。
「僕は一途だよ?
浮気をした経験なんかないし。
しようと思ったこともない。
浮気をする奴の心理を理解できないね」
「ふーん……」
手の中でコーヒーカップを弄びながら、真理が応えた。
拓海がにこやかに告げる。
「僕のことが不安かい?」
「……そういう訳じゃ」
答えに困る真理を、拓海が優しい眼差しで見つめた。
「大丈夫、安心して。
明日はきちんと、君を楽しませてみせるから」
「……ほんとに?」
拓海がおどけて応える。
「そう念押しされると、自信がないかも?」
クスクスと笑い合いながら、二人はジャズの音色に身を任せた。
****
閉店処理をしてからジムに向かう。
いったん分かれて着替えを手に持ち、三階のエレベーターホールで落ち合った。
無言で微笑みを交わし、更衣室で別れる。
真理はスポーツウェアに着替えながら、自分の体型を確認していった。
――他の女に負けるところ、ないわよね。
きちんと引き締まった体を確認しつつ、自分を納得させる。
この体型を維持できるのも、あと何年だろう。
ますます明日へ向けて燃え上がる気持ちを胸に、真理は更衣室をあとにした。
拓海と並んでランニングマシンで走りこむ。
お互いがチラチラと姿を横目で確認しながら、言葉を交わしていく。
――拓海さんも、私を見てくれてる。
お互いが確かな手応えを確認しあいながら、二人は汗を流していった。
遠くでは直也が、そんな二人を満足そうに眺めていた。
時間が来て、真理は再び更衣室に入る。
シャワーを浴び、気持ちをリセットさせる。
今はまだ、全てを燃やしちゃいけない。
――燃料は明日にとっておかないと。
汗の匂いをすべて洗い流し、髪を乾かしてから拓海と合流する。
いつものように閉店後の雑務をしに、二人はエレベーターで一階に降りていった。
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