第12話

 テーブルを拭いて回り、立て看板も雑巾で拭く。


 たった一日外にあるだけで、立て看板は驚くほど汚れていた。


 ――都会の空気って、汚れてるのね。


 床をモップがけし、水回りも清掃していく。


 その頃には拓海も仕込みを終え、カウンターで帳簿をつけていた。


 拓海が帳簿を付けながら告げる。


「やっぱり二人がかりだと早いね。

 この分なら八時過ぎには帰れそうだ」


 真理はニコリと微笑んで告げる。


「そうでしょ? 今度からも手伝ってあげる」


 拓海が電卓を叩きながら唸った。


「う~ん、残業時間もなんとか収まるかな。

 じゃあお願いするよ、村上さん」


 真理がきょとんとした顔で尋ねる。


「収まるって、どういうこと?」


「残業時間って、上限があるからね。

 それ以上働かせると法律違反になっちゃうから」


 真理が小さく息をついた。


「前職じゃ『朝早くから終電まで』なんて当たり前だったわ。

 それに比べたら、全然ぬるいわよ」


「どんな職場に居たの……」


「出版業よ。これでも編集者だったの。

 まぁ会社が潰れちゃったんだけどさ」


 拓海がフッと笑った。


「潰れたのが君じゃなくて良かったよ。

 若いからって無理すると、親父みたいに体を壊す。

 過信はしない方が良いよ」


「それ、マスターが言えたセリフ~?!」


 少しの間小さく笑いあったあと、二人は仕事の手を再開した。


 八時を五分過ぎた頃、拓海が帳簿を閉じて告げる。


「こっちは終わったよ。そっちは?」


「私ももうおしまい。

 それじゃあ十時にマスターの家の前に集合?」


「そうだね、そうしようか。

 ――じゃあ、お店を閉めるよ」


 二人で店を出て、拓海が施錠をする。


 真理と拓海がエレベーターに乗りこみ、上へと昇っていく。


 四階に着くと拓海が「じゃ、あとで」と手を振って降りた。


 真理はこのあとのことを楽しみにしながら、五階にある自宅へと戻った。





****


 真理はシャワーを浴びてから服を着替え、時計を見上げた。


 午後九時半を回ってる。


 ――ちょっと早いけど、行ってもいいかな?


 カードキーをだけを手に、真理はローファーを履いて玄関を出た。



 四階に降りた真理は、マスターの部屋に辿り着いていた。


 まだ他の参加メンバーは着て居ないらしい。


 どうしようかと迷った末に、インターホンを押す。


『――はい、直也か?』


「あ、村上だけど。

 ごめんね、ちょっと早かったかな」


『え?! 待って、すぐ開けるから!』


 インターホンが切れ、少ししてロックが外れ、ゆっくりとドアが開いた。


「どうしたの? もっとゆっくりでも大丈夫だよ?」


 驚いた様子の巧みに、真理ははにかみながら応える。


「ちょっと時間が余っちゃって。

 それなら先に来ちゃおうかなって」


 拓海がニコリと微笑んだ。


「そう、なら早く入って。

 すぐに直也たちもくるはずだから」


 拓海に招き入れられ、おずおずと真理は玄関に足を踏み入れる。


 前回は酔っていてよく覚えていなかったが、きちんと靴もそろえられている。


 清潔感のあるエントランスから廊下に上がり、リビングに入る。


「好きな所に座って。

 先に飲む?」


「それは乾杯まで待ちましょうよ。

 すぐに他の人も来るんでしょ?

 誰が来るの?」


「直也とルームパートナーの厚樹。

 あとは佐藤さんと吉田さんかな、たぶん」


 真理はきょとんとした顔で拓海に尋ねる。


「女性もくるの?」


 拓海がうなずいて応える。


「『あやかし』仲間なんだ、僕ら。

 その縁で飲むようになってさ。

 『僕の部屋は広いから』って、よくたまり場になってる」


「どういう人たち?」


「直也はわかるよね? あいつはジムのインストラクターだよ。

 厚樹はサラリーマン、会社勤めだね。

 佐藤さんはライター業って聞いてる。

 吉田さんは漫画家だったかな」


 なんとも多彩な顔ぶれだ。


 これに喫茶店マスターの拓海。


 元出版業の真理が加わる。


 どんな飲み会になるのか、予想がつかなかった。


 拓海のスマホが着信音を慣らし、画面を確認した拓海が玄関に向かう。


「もう家の前だって。行ってくるね」


 その背中を見送りながら、真理はどんな人間が飛び出てくるのか期待と不安を胸にしていた。





****


 直也の豪快な笑い声が部屋に木霊する。


「今日は村上さんの歓迎会、ジャンジャン飲もう!」


 綾女があきれたように直也に告げる。


「その前に、自己紹介くらいしたらどう?」


 拓海が苦笑を浮かべながら一人ずつ手で示していく。


「村上さん、直也と佐藤さんはわかるよね。

 直也の隣に居るのが厚樹だ」


 ひょろっとした頼りない眼鏡の男性が、ぺこりと真理にお辞儀した。


「松島厚樹です。システムエンジニアをしてます」


 真理は「どうも」、と会釈を返す。


「佐藤さんの隣が吉田さんだよ」


 やや小柄で豊かな体型の女性が小さく会釈した。


「吉田瞳です……いちおう、漫画家です」


 拓海が最後に真理を手で示した。


「こっちが村上真理さん、うちの店の従業員だ」


 真理も全員に向かって会釈をする。


「村上真理です、よろしく」


 大きな声で直也が告げる。


「全員、酒は持ったな?! それじゃあ――乾杯!」


「乾杯!」


 互いが缶ビールを打ち合わせ、一気に喉に流し込む。


 真理は場に居る皆に向かって尋ねる。


「みなさん『あやかし』混じりと聞きましたけど、どういう『あやかし』なんですか?」


 綾女が応える。


「私は河童よ?」


 ――河童。お皿はどこにあるの?


 思わず綾女の頭頂部を見てしまう真理に、綾女がクスリと笑った。


「もう血が薄いから、河童らしい特徴は残ってないの」


 厚樹がぽつりと告げる。


「僕は貧乏神です」


 ――貧乏神って?!


 思わず一歩後ずさる真理に、周囲が楽し気な笑い声をあげた。


 拓海が真理に告げる。


「そんなに怖がらないで大丈夫。

 厚樹も血が薄いから、自分がちょっと不運な程度の影響しかないんだ」


 瞳がおずおずと告げる。


「……雪女、らしいです」


 真理が思わずこぼす。


「らしいって……どういうこと?」


 拓海が真理に告げる。


「僕と同じで、『遠い先祖がそうだった』って聞いてるぐらいなんだ。

 僕は『何者だったか』すら失伝してるけどね」


 直也が最後に大声を上げる。


「俺は鬼だ! そう聞いている!」


「あー」


 思わず納得の声を真理は上げていた。


 見るからにガタイの良い直也は、鬼と言われても納得感しかない。


 真理は四人を見比べながら告げる。


「この四人は、結局どういう関係で知り合ったの?」


「それぞれがルームパートナーなんだよ。

 直也と厚樹、佐藤さんと吉田さん。

 それで飲み会に誘われて、いつもは五人で飲んでたかな」


 綾女がニコリと微笑んで告げる。


「良かったじゃない、拓海さん。

 これであぶれずに済んだわよ?」


 真理がきょとんとアヤメを見る。


「あぶれるって、なんであぶれるの?」


 クスリと笑みをこぼして綾女が応える。


「私たち、ついルームパートナーと組んで飲んじゃうの。

 だから飲み会の間、拓海さんは暇そうだったわ。

 村上さんが居るから、これからは大丈夫そうね」


 ――それでこの席順なの?!


 ルームパートナー同士が隣り合った結果、真理は拓海の隣に座らされていた。


 正直、少しいたたまれない気持ちを否定できない。


 真理は落ち着かない気分をビールで誤魔化しながら告げる。


「それで、食べ物はないのかしら?」


 直也が大きな袋を漁りながら、テーブルの上に広げていく。


「あるぞ! 酒のつまみと――ああ拓海、総菜をあっためてくれ」


 いくつかのコンビニ総菜を手渡された拓海が立ち上がり、電子レンジに向かった。


 その背中を見やる真理に、瞳が告げる。


「村上さんは……なんで拓海さんの店に?」


「――え? ああ、失業していた時、たまたま喫茶店に入ったの。

 そしたら従業員募集の広告を見て、それで」


 厚樹が涙を流しながら告げる。


「世知辛い世の中ですよねぇ!」


 ――なんで泣いてるの、この人?!


 おいおいと泣き出した厚樹の肩を、笑いながら直也が叩いていた。


「こいつは泣き上戸でな?

 いつものことだから気にしないでくれ!」


 乾杯から缶ビール一本も空けていない。


 それで泣き出すとは、相当に酒に弱いのだろう。


 拓海が温まった総菜と小皿をテーブルに広げ、真理の隣に腰を下ろす。


「ちょっと癖が強い連中だけど、すぐに慣れるよ」


「はぁ……」


 真理は困惑しながら、肉野菜炒めに箸を伸ばした。

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