第11話
真理は拓海と並んでランニングマシンに乗り、走り出した。
土曜日と同じ速さで走る真理の横で、拓海は一段階上の速さで走っている。
「すご……それで持つの?」
「これでもスポーツ経験者だよ?
これくらいは走れるさ」
――高校時代はサッカー部って言ってたっけ。
既に拓海は上着を脱ぎ、腰に巻き付けている。
白いタンクトップ越しに、しなやかに鍛えられた筋肉が自己主張していた。
真理が盗み見ている前で、拓海がフッと笑う。
「よそ見してると危ないよ、村上さん」
「――そんなこと、してませんから!」
あわてて取り繕ったが、拓海はクスクスと笑みをこぼす。
すっかり見透かされていると諦めた真理が、拓海に尋ねる。
「スポーツやってたのって、高校までじゃなかったの?」
「料理を作ってると、何かと体を使うからね。
あまり筋肉が落ちずに済んだみたいだ」
十分も走ると、真理も汗をかき始めた。
迷ったが、思い切って上着を脱ぎ、腰に巻き付ける。
真理も黒いタンクトップ姿で、走り込みを続けた。
拓海が明るい声で告げる。
「大丈夫? 結構なペースだけど」
「これくらいなら、まだ平気よ」
三十分もすると、真理がマシンを止めて休憩をする。
手すりにもたれかかり息を整えていると、拓海がスポーツドリンクを差し出した。
「持ってきてないんじゃない?
これ、あげるよ」
どうやら、拓海も真理に合わせてマシンを止めたようだ。
二人で向き合うようにマシンの手すりにもたれかかり、ドリンクを口にする。
「――ふぅ、ちょっとなまってたのかしら」
「そうかい? 良いペースで走り切ったと思うけど」
軽く笑いあっていると、拓海の背後から体格の良い男性が近づいてきた。
「拓海、新しい彼女か?」
豪快な声に、真理は一瞬驚いて身が縮んだ。
拓海は困ったような笑みで応える。
「そんなんじゃないよ。
職場の――部下かな?」
その応えに、真理は落胆する自分を感じていた。
――何を期待してたんだろう。
真理はちらりと男性に視線を送り、拓海に尋ねる。
「その人は?」
「ああ、戸田直也。
シェアハウスの住人だよ。
時々、僕の部屋で飲み会をする仲さ」
男性――直也が大きな声で笑った。
「ハハハ! 拓海の飯は美味いからな!
あんたも一度、ご馳走になるといい」
「はぁ……」
直也は拓海の背中を叩いて「頑張れよ!」と声をかけ、去っていった。
「いってぇ……あいつ、力加減をしらないのかな」
真理が拓海に尋ねる。
「最後の『頑張れ』って、どういう意味だったの?」
「――えっ?! いや、それは、なんだろうな。
僕にも分からないや」
真理は少し挙動不審な拓海に小首をかしげた。
「次はバイクに乗らない?」
「いいけど、二十分ぐらいね」
「ええ、わかったわ」
二人で並んでエアロバイクにまたがり、言葉を交わしながら漕いでいく。
スポーツドリンクで水分を補給しつつ、真理は心が充実する時間を楽しんでいた。
二十分のアラームが鳴り、拓海がバイクを止めた。
「ごめんね、そろそろ店に戻らないと」
真理は首を横に振って応える。
「ううん、私もこれで戻るわ」
二人で並んで歩きながら更衣室で別れる。
軽くシャワーで汗を流したあと、服を着替えてエレベーターホールで合流した。
拓海が腹を抑えながら告げる。
「少し小腹が減ったな。
やっぱり体を動かすと、夜までもたないか」
「あら、じゃあどこかに食べに行く?」
拓海は少し考えてから首を横に振った。
「店で食べるよ。
村上さんはどうする?
賄いで良ければ出せるけど」
「……そうね、頂いて行こうかしら」
うなずいた二人が目配せをしながら、エレベーターに乗っていく。
シャンプーの香りをさせた二人が、静かに一階に降りていった。
****
閉店後の『カフェ・ド・アルエット』のカウンターで、真理は拓海と並んで座っていた。
オムライスを食べながら、真理が告げる。
「今度から閉店後に私も作業しようかしら」
驚いたような顔で拓海が応える。
「なぜだい?
雇用契約は九時五時だよ?」
真理がオムライスに目を落としながら応える。
「……マスターだけに雑務を任せるなんて悪いわ」
拓海が軽妙に笑った。
「そこは気にしないで。
元々、店内従業員として雇ってるんだし。
こっちこそ契約外の仕事をさせる訳にはいかないよ」
「でも、それで帰りは何時ごろになるの?」
「ん~、いつもなら九時くらいだけど、今日は十時かな。
明日の仕込みは、どうしても時間を食うからね」
――仕込み、料理か。
それは真理が手伝えない領域だ。
真理はおそるおそる尋ねる。
「それで朝は? 何時から準備をしてるの?」
「八時くらいだね。開店する十時までには、それで間に合うよ」
「……それで充分なお金はもらえてるの?
雇われ店長でしょう?」
拓海がニコリと微笑んで真理を流し見た。
「部屋を見たろう?
年齢の割にはもらってる方だよ。
それに通勤時間がゼロだからね。
印象ほどきつい仕事じゃないよ」
真理が小さく息をついて告げる。
「やっぱり、私も手伝うわ。
私が料理以外をやれば、マスターの帰りも早くなるでしょう?」
拓海が少し考えてから応える。
「じゃあ、清掃だけ頼めるかな?
帳簿はまだ、難しいだろうし。
仕入れのこと、教えてないからね」
真理は黙ってうなずいた――今の自分にできるのは、それぐらいだろう。
サクサクとオムライスを食べていく拓海に、真理が尋ねる。
「このまま独り身でもいいの?
こんなに忙しいんじゃ、出会いもないんじゃない?」
拓海がスプーンを持つ手を止めて応える。
「そうだなぁ。このままジムに通っていれば、誰かに会えるかも?
それに今は、村上さんと一緒に働いてるのが楽しいからね。
特にどうこうしようって気も起らないかな」
――それは、どういう意味だろうか。
真理が悩んでいると、拓海のスマホが着信音を鳴り響かせた。
「――はい、拓海ですが」
『おい拓海! 今夜のまないか!』
無音の店内で、離れている真理にも聞こえる声――さっき出会った直也だ。
拓海が眉をひそめて直也に応える。
「え? 今夜? なんで急に」
『新しい従業員が来たんだろう?
歓迎会だよ! 夜十時でどうだ?
お前の部屋で飲もう!』
「僕の一存じゃ決められないよ。
――村上さん、十時から飲み会しないかって」
真理はあっけに取られながらうなずいた。
「私は構わないわ。
でもマスターは大丈夫なの?」
拓海がニヤリと微笑んだ。
「これくらい、いつものことさ。
――おい直也、オーケイだってさ」
『わかった! つまみは俺たちが買っておくぞ!
飲みたい酒はあるか?!』
「いつも通りでいいよ。
じゃあ十時ね」
『おう! あとでな!』
通話を切った拓海が小さく息をついた。
「――ったく、強引な奴だな」
真理がクスリと笑った。
「仲が良いの?」
「飲み仲間ってとこかな。
同じシェアハウスの住人だから、顔を合わせてるうちにね。
ちょっとやかましい奴だけど、悪い奴じゃないから」
真理は静かにうなずいた。
拓海はオムライスをかき込んで平らげると、真理に告げる。
「じゃあ僕は先に仕込みを終わらせてくるね。
掃除のやり方は教えておいたよね。
わからないところは、そのままでもいいから」
「うん、わかった」
カウンター席から立ち上がった拓海が、自分の皿を持って厨房へ消えた。
真理はゆっくりとオムライスを口にしながら考える。
――飲み会か。今度は失敗しないようにしないと。
どこか懐かしい響きに、わずかに頬を緩ませながら真理は食事を続けた。
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