第4話

 イタリアンレストランに入ると、店員がエントランスにやってくる。


「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」


 何かを言いかけようとし真理を拓海が手で制し、店員に応える。


「はい、そうです」


「お席にご案内します」


 店員に連れられ、窓際の四人席に案内された拓海が座り、その隣に優美が座った。


 困惑する真理は、拓海の正面に座る。


 店員がやってきて、拓海と真理の前におしぼりと水を置き、また去っていった。


 真理はあっけに取られながら告げる。


「オーナーが見えてないのかしら」


 優美があっけらかんと応える。


「儂は『あやかし』、座敷童じゃからな。

 普通は見えんし、気付きはせん」


 拓海が渡した水を口にしながら、優美が笑っていた。


 真理は困惑し、戸惑いながら優美を見つめる。


 ――こんなに存在感があって見えるのに、それがわからないの?


 拓海が告げる。


「僕は『あやかし』混じりだから普通の人にも見える。

 だけど純粋な『あやかし』を見える人は、実は少ないんだ」


 優美がメニューを開いて告げる。


「そんなことより、メニューを選んでしまおう。

 儂はコーヒーがあれば良い」


 拓海がメニューを手渡しながら真理に告げる。


「村上さん、どうぞ」


 おずおずとメニューを受け取り、それを開く。


 真理がぎょっとして値段を見つめた。


 今の真理の手持ちでは、とても払える値段じゃない。


「……ちょっとATMに行ってきて良いかしら」


 真理が軽やかに笑った。


「気にするでない。

 誘った儂が持ってやる。

 おんしは安心して料理を選べ」


 真理がメニューを選んでいると、店員が近づいてきた。


「ご注文はお決まりでしょうか」


 拓海が「ブレンドを三つ」と告げると、店員が一瞬困惑したように眉をひそめたあと、復唱した。


「以上でよろしいですか」


「僕は――コース、村上さんは?」


 真理があわてて、目に付いたメニューを指さした。


「私はこれで」


 店員が復唱し、「以上でよろしかったでしょうか」と告げた。


 拓海がうなずくと、店員はテーブルから離れていった。


 真理が戸惑いながら優美に告げる。


「本当にオーナーが見えてないのね」


「信じられんなら、窓ガラスでも見てみい」


 言われて真理が窓ガラスを見る。


 真理と拓海が席に座り、その光景の奥に横浜の夜景が広がっていた。


 ――オーナーの姿がない?!


 驚いて優美を見ると、彼女は黙って水を口にしていた。


 窓ガラスを見ると、水の入ったコップはテーブルの上から動いていない。


 戸惑う真理に、優美が告げる。


「これが『あやかし』じゃ。目の前で見て、理解したか?」


 おずおずとうなずいた真理は、何度か窓ガラスと優美を見比べたあと、小さく息をついた。





****


 コーヒーが席に届くと、真理はそれを口に運んだ。


 深煎りの豆から漂う香ばしい香りと強いコク。


 それを喉の奥に届けたあと、真理は優美を見つめた。


 ――何を考えてるんだろう。


 目の前でコーヒーを口にする、和服姿の童女。


 人の目に見えない以上、座敷童なのは間違いないのだろう。


 だがその目的が見えなかった。


 優美がコーヒーを置いて告げる。


「疑問か? おんしにはもう、言っておったはずじゃがのう」


「……迷える子羊って奴? 牧師じゃあるまいし」


 クスクスと笑う優美が真理に応える。


「昔、この街が焼け野原になったことがあった。

 最後に住んでいた家は、そんときにのうなった。

 あの時、『逃げようか残ろうか』と迷っておった家の人間に、儂は最後まで何も言わなんだ。

 逃げた方が良いと、儂にはわかっておったのにな」


 かつて横浜も大空襲を受け、壊滅的な被害に遭った。


 その話は、真理も小さい頃に聞いていた。


 ――その時に後悔したから、迷っている人間を放っておけないの?


 真理がおずおずと告げる。


「何かを言えば、結果は変わったと思うの?」


「さてな。あの家に儂が見える人間はおらなんだ。

 じゃが何かを知らせることはできたやもしれん。

 今もそれだけが口惜しい」


 既に百年近く前の出来事だ。


 なのに優美は、それを引きずっているようだった。


 その後悔の大きさを想像し、真理はようやく納得したように息をついた。


「おせっかいな『あやかし』ね」


「元々、そんな性格じゃ。放っておけ」


 店員がメニューを運んできたあと、拓海が告げる。


「オーナーは変わり者だから、驚いちゃうよね」


 真理はサラダをフォークでつつきながら応える。


「驚くなんてもんじゃないわ。

 ……でも、助かったのは確かね。

 困っていたのは間違いなかったし」


 拓海が微笑みながら真理に告げる。


「僕もあのシャアハウスに住んでるんだ。

 何か困ったことがあれば、いつでも言ってきて。

 四階が男性用フロアだから」


 拓海が胸元からペンを取り出し、紙ナプキンにスマホの番号を記した。


 スッと差し出されたそれを、真理はしげしげと見つめる。


「マスター、って呼べばいいのかしら。

 いいの? 連絡先なんて教えて」


「日下部でも拓海でもマスターでも、好きに呼んで。

 欠勤報告とか、連絡先は有った方がいいでしょ。

 それに男の助けが欲しいことも、女性にはあるだろうし」


 優美がコーヒーを飲みながら楽しげに微笑んだ。


「どうした? 拓海。新手のナンパかえ?」


 あわてたように拓海が応える。


「そういうんじゃないよ、変なこと言わないでオーナー」


 真理がきょとんとして拓海を見つめた。


「オーナー、フリーなの?」


 バツが悪そうに拓海が応える。


「……そうだけど。いいじゃないか、一人だって」


「顔も綺麗だし、もてそうなのに。もったいないわね」


「店が忙しいからね。

 女性との出会いを探す暇がないだけだよ」


 優美があきれたようにため息をついた。


「じゃから言うておるじゃろう?

 ジムでもなんでも、通えばよかろうが。

 行動せねば出会いなどあるわけがない」


「うるさいな、わかってるよ」


 店にいる時より子供っぽい印象の拓海に、真理は少し驚いていた。


 相手が遥か年上の座敷童とはいえ、同年代にしても幼い。


「マスターって、本当はそういう人なの?」


「どういう人と思われてるか知らないけど、オーナーには頭が上がらないだけさ。

 僕だって二十八、もういい加減落ち着いてるよ」


「あなた、『あやかし』混じりって言ってたわよね。

 なにかそんな特徴が残ってるの?」


 チラリと拓海が真理の目を見て応える。


「……見てのとおり、目の色くらいさ。

 あとは『あやかし』が見えるだけで、他に何もないよ」


 真理の前にいる拓海と優美が、新しい上司――。


 新生活としては、まずまずの環境に思えた。


 真理は微笑んで告げる。


「これからしばらく、よろしくね」


「……よろしく、村上さん」


 優美も楽しげに告げる。


「納得できたようじゃの。

 これで喫茶店を利用しやすくなる。

 ――それ、この店のピザは美味いぞ? 石窯じゃからな」


 器用に和服でピザを食べる優美を、真理は温かい気持ちで見つめた。

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