第2話

 カウンター席で美味しそうにコーヒーを楽しむ優美に真理が尋ねる。


「オーナーって、どういうこと?

 座敷童って?!」


 優美が横目で真理を見やり、小さく息をついた。


「なんじゃ、最近の女子は座敷童も知らんのか」


 真理だってそれぐらいは知っている。


 だが座敷童が出歩くなど、聞いたことがない。


 あれは『住み着いた家に富を与える妖怪』ではなかったか。


 だが優美の外見は、おかっぱ頭に小綺麗な和服。


 『座敷童だ』と言われれば、そう思えた。


 真理が答えを見い出せずにいると、優美が振り向いて告げる。


「儂ははぐれの座敷童じゃよ。

 最近は蔵を持つ家もないからの。

 暇を持て余して、テナント経営なぞに手を出しておる」


「妖怪が、テナント経営?!」


「不思議か? なに、儂にかかればこのくらいは朝飯前じゃ」


 困惑する真理が優美に尋ねる。


「黒字経営って、どうやってるの?」


「このビル自体が儂の持ちビルじゃ。

 他のテナントが収益を上げておる。

 この店一件が赤字になろうと、大した問題にはならん」


 ――妖怪が、不動産物件の所有者?!


「オーナーが妖怪って、千石さんも知ってたの?!」


 拓海が困ったような笑みでうなずいた。


「まぁね。だって僕も『あやかし』混じりだし」


「さっきは、『外国人』って言ってたじゃない!」


「外国人だよ? ――人かどうかは、怪しいけどね。

 僕の先祖は中国から渡ってきた『あやかし』だって聞いてる。

 詳しいことは、教えてもらえなかったけど」


 呆然とする真理に、優美が告げる。


「最近は仮想通過なる遊びで、儲け放題じゃ。

 おんしも失業の心配などせず、額に汗して働くが良い」


 くるりと背中を向けた優美を、真理は信じられない眼差しで見つめていた。





****


 残り少ないコーヒーを飲みながら、真理は迷っていた。


 腰かけ就職先と思っていた喫茶店が、『妖怪経営店』だ。


 このまま就職していいのか、それとも『君子危うきに近寄らず』とするか。


 悩んでいる真理に、優美が声をかける。


「迷っておるのか?

 このビルにはシェアハウスのテナントもある。

 なんならそこの家賃も割り引いてやろうか?」


 ――格安物件ってこと?!


 真理は慎重に言葉を選んでいく。


「……いくらで貸してくれるの?」


「そおじゃのう……二人部屋なら三万、四人部屋なら二万でどうじゃ?」


「……一人部屋はないの?」


「あるが、五万が限度じゃの」


「なんで融通してくれるのか、聞いても良いかしら」


 優美がニヤリと微笑んだ。


「職場に近い方が、働きやすいじゃろう?

 儂もこの店はよく利用する。

 従業員の補充は、早い方がいいからの」


 まだ納得できない真理に、優美が告げる。


「悩める子羊を救うのは、儂の趣味じゃ。

 長居をするつもりがない人間を養ってやるぐらい、構わんとも」


「……私が腰かけって、見抜いてたの?」


「おんしのような若い娘が、喫茶店の従業員に満足する訳がない。

 大方、職を失って途方に暮れておったのじゃろ?

 次の仕事が見つかるまで、ゆるりとしていけば良い」


 ニコニコと真理を見つめる優美に、拓海が告げる。


「無理に誘うのは悪いよ、オーナー。

 『あやかし』と聞いて腰が引けるのはしょうがないし。

 今回は縁がなかったと思って、諦めたら?」


「そうはいくか。この店を訪れる客は、逃さず救ってやらねばな。

 その娘からは金運が逃げていく匂いがする。

 儂のそばにおれば、運も舞い込むじゃろう」


 真理はおずおずと優美に尋ねる。


「金運が逃げてるって……どういうこと?」


「このままじゃとおんし、経済的にさらに苦しゅうなるぞ?

 ……男運からも見放されておるな?

 悪い男にでも掴まっておったか」


「――余計なお世話よ!

 っていうか、そんなこともわかるの?」


 優美が楽し気に笑みをこぼした。


「長く生きておると、なんとなく『匂い』でわかるんじゃよ。

 おんしは金と男で苦労する人間の匂いがする。

 最近の世では、あまり珍しくもない匂いじゃがな」


 ため息をついた真理が席を立ち、注文票を手に取った。


「もういいわ。ごちそうさま。

 会計してくれる?」


 レジに向かった真理に合わせ、拓海がレジカウンターに入った。


 レジを打ちながら拓海が告げる。


「ごめんね、村上さん。驚いたよね。

 無理にとは言わないから、気が向いたら書類を出してくれるかな。

 あなたが来てくれると、僕も助かるんだ」


「……そうね、とても驚いたわ。

 もしかして、ここはお客も妖怪なの?」


「普通の人間もやってくるよ。あなたみたいね。

 心配するほど変なお店じゃないから」


 会計を済ませた真理に、優美が告げる。


「一人部屋が望みなら、下見をしていくがいい。

 ついでに夕食を馳走してやろう。

 どれ、儂が案内しようか」


 ぴょんと優美がカウンター席から飛び降り、真理のそばに近寄っていった。


 真理は内心でわずかに怯えながら、優美の顔を見つめる。


 優美がニコリと微笑んで真理の手を取った。


「それ、こっちじゃ。ついてまいれ」


 小さな体で優美がドアを開け、外に真理を引っ張っていった。





****


 喫茶店を出た優美が、真理をビルの横にある入り口まで連れていく。


 真理は奥に行こうとする優美の手から自分の手を奪い返し、強い声で告げる。


「ちょっと! 勝手に決めないで!」


 優美が真理に振り返ってきょとんと告げる。


「どうした? 取って食いはせん。

 何を恐れておるのか」


「……いきなり言われても、決められないのよ」


 優美がニコリと微笑んだ。


「そうじゃろう、そうじゃろう。

 今のおんしは『自分で決める力』がない。

 だから儂が引っ張ってやっとるだけじゃ。

 怖がる必要もない。悪いようにはせんよ」


 十歳ぐらいの見かけをした優美の微笑みに、真理は毒気を抜かれてしまった。


 物事を決めるには心の力が要る。


 その力に欠けていることを、当の真理が一番実感していた。


 再び真理の手を取った優美が、ゆっくりと奥のエレベーターに連れていく。


 コンソールのボタンを押すと扉が開き、二人が乗りこんだ。


 優美が背伸びをして五階のボタンを押すと、エレベーターの扉は静かにしまっていった。





****






 ビルの五階まで小さなエレベーターで昇っていくと、優美が入り口の鉄扉をノックした。


 扉を開けて出てきたのは、年配の女性だ。


「あら、オーナー。何のご用ですか?」


「少し部屋を下見させたい。一人部屋の鍵を貸してくれ」


 女性が部屋の中に戻り、しばらくしてカードキーを優美に手渡した。


「突き当りの一号室です」


「ありがとう」


 真理は優美に手を引かれながら、周囲を見回していった。


 小綺麗なコンクリート製、あちこちに防犯カメラがあり、明るい照明で安心感がある。


 いくつかの部屋の前を通り過ぎ、突き当りの部屋の前で優美が振り返った。


「ほれ、鍵じゃ。自分の手で開けてみい」


 真理はおずおずとカードキーを受け取ると、ノブ付近のカードリーダーにかざす――カチャリという音で、ロックが外れた。


 真理の手はゆっくりとドアノブを回し、一号室のドアを開けた。





****


 エントランスから伸びる短い廊下を抜けると、八畳くらいのフローリングが広がっていた。


 窓も大きく、採光も充分だ。


 角部屋で出窓もあり、そちらには備え付けのカーテンが閉まっている。


 カーテンを開けると、隣のビルの壁が見えた。


 出窓を見回すと、遠くに山下公園も覗き見える。


 キッチンは小さく、料理をするにはギリギリのサイズだ。


 調理台は付いているが、あまり大掛かりな料理はできそうにない。


 窓の鍵を開けてベランダに出てみる。


 ビルに囲まれてはいるが、洗濯物が盗まれる心配もないだろう。


 ユニットバスで、脱衣場には大きめの洗濯機置き場もある。


 良く見るとユニットバスには、乾燥機機能が付いているらしい。


 外で干したくない時は、ここで干せるタイプだ。


 収納は引き戸のクローゼットがあり、手持ちの服ぐらいならなんとか入るだろう。


 改めて部屋を見回している真理に、優美が告げる。


「どうじゃ? 悪くない部屋じゃろう?」


「……これを五万で貸してくれるっていうの?

 普通、十万はくだらないんじゃない?」


 なにせ山下公園そば、横浜の一等地だ。


 東京には劣るが、立派な観光地でもある。


 優美が楽し気に笑みをこぼした。


「気に入ったなら、ここに住むが良い。

 引っ越し業者も手配してやろうか?

 『おまかせコース』でいいかの?」


「――ちょっと待って! そんなすぐには決められないってば!」


 カラカラと笑う優美が真理に応える。


「今のおんしには、このぐらい強引でも構わんじゃろ。

 悩んでも決断などできん。

 どれ、少しこの部屋で考えておれ。

 暇になったら、喫茶店に戻って来い」


 優美は楽し気に笑いながら、部屋から出ていった。


 真理は突然の出来事に、日の当たるフローリングに座り込んで床を見つめた。

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