第6話 万引きの真相真理
西島青年が、佐久間巡査部長のことを思い出すきっかけになったのは、自分が就職してからすぐの時、仕事が終わって、帰り夕食の食糧を調達しようと思って立ち寄ったスーパーでのことであった。
大学時代から、都心で生活をするので、一人暮らしをしていたが、就職も、最初は、
「地元に帰って」
と思っていたが、なかなか地元での仕事もなかったが、都心部では、まだ少し求人に余裕があるのか、何とか、いくつかの内定をもらい、その中から、選んだ会社に就職していた。
学生時代には、システム系を専攻していたのだが、就職したのは、金融関係の会社で、しかも、配属が経理部だったことは、少し不満であった。
もちろん、その会社にもシステム部は存在し、10人くらいの部署で、賄われていたのだが、
「隣の芝は青い」
ということわざにあるように、実に眩しく見えたのだ。
そんな会社だったが、本社勤務なのは、ありがたかった。
大学からも近いので、引っ越す必要もなかった。前のアパートのまま今も暮らしている。ただ、最近は、
「もう少し新しいところに引っ越せればいいんだが」
と、思うようになってきた。
経理部に配属というのは、少し不満であったが、給料はそこそこもらえているし、そういう意味では文句はなかった。
しかも、
「住めば都」
という言葉があるように、最初は嫌だと思っていた経理部であったが、やってみると、意外と面白いところもあったりする。
そういう発見が一つ二つと出てくると、
「ここも悪くないな」
と思うようになったのだ。
しかも、ここにいれば、転勤というのもない。
ということで、1年目と2年目とでは、考え方もだいぶ変わってきた。
最初は、
「システム部に、移動願いを出そう」
と、年度が変わった時に出すことができる、
「異動願い」
であったが、
「もういいや」
と考えるようになったので、結局、異動願いを出すことはなかったのだ。
だから、2年目の今は仕事にも充実感を感じてきたので、生活にも余裕が出てきたのだ。
ただ、生活は相変わらずだった。
そもそも、ものぐさなところのある西島は、毎日の生活が充実はしているのだが、
「何か、最近、何を食べてもおいしくないって思うんだよな」
と感じていた。
「生活は充実しているんだけどね」
と同僚に話すと、
「それじゃないのか? 充実していると、何が楽しいのかという感覚がマヒしてくるからな。言い方を変えれば、何をしていても楽しいのさ。だからすべてが楽しいから、本来なら、一番楽しいはずだと思っていたことも、楽しさの中に紛れてしまって、楽しいという感覚がマヒしてくる。つまりは、贅沢な悩みなんじゃないか?」
という。
「ということは、悩みでもなんでもないということなのかな?」
と聞き返すと、
「まあ、それも言えるかも知れないな。だけど、別に悩みじゃないとは言っていないさ。誰にだって悩みはある。問題はその大きさということで、今のお前だったら、悩みのうちには入らないレベルじゃないかって思ってね」
と言われた。
「そうなのかなぁ?」
と考えていたが、それを見ながら友達は、何か含み笑いを浮かべているような気がした。
その表情は、複雑な笑みに見えたが、決して嫌な雰囲気ではない。
「友達がああいう表情をする時は、暖かい目で見てくれている時だ」
というのは分かっているので、気にしないようにしたおかげで、それからあまり気にならなくなった。
ただ、そうなると、
「何を食べていいのか分からないな」
と思うのだった。
この日のように、普段は、スーパーやコンビニで弁当を買って帰って、部屋で食べるという生活で、学生時代であれば、
「一番みすぼらしい姿で、こんな生活はしたくない」
と思っていたからだ。
「給料が少なくて、こういう食事しかできない」
という以外。食事にケチるようなことはしたくないと思っていた。
もちろん、何か金がかかるような趣味ができて、お金をそっちに使うことが、一番の楽しみだということであれば、それに越したことはないので、
「食事をケチる」
ということに、抵抗はないだろう。
しかし、そんな趣味があるわけでもないとすれば、
「おいしいものを食うということが、一つの趣味のようなものだ」
ということで、
「食べ歩き」
などをしたいくらいであった。
大学時代には、
「食べても食べても、まだまだ腹が減る」
というくらいの頃があった。
「二十歳くらいの頃が一番お腹が減ったものだ」
と思っていて、その頃は、
「何をやっていても楽しかったな」
と感じていた、
しかし、その頃はそれでも、二つ気に入らないことがあったのだ。
一つは。
「彼女ができない」
ということであった。
大学に入学してからは、それまでずっと暗かった自分を変えようと、友達を作りまくった。
中学時代から、あの万引きに走った時期から、その暗さは変わっていない。
しかし、だからと言って、受験生だった頃、その暗さに押しつぶされたアリ、精神的にストレスをため込みすぎて、あの時のような衝動的行動で、万引きをしてしまうというような精神状態ではなかった。
実際に、万引きに走るような精神状態になったのは、あの時が、
「最初で最後」
だったのだ。
自分でも、あの時の心境を思い出せない。
というよりも、
「自分が万引きをした」
という意識が頭の中にはないのだ。
記憶としては、
「万引きをしてしまった」
という感覚は残っているのだが、あくまでも感覚ということで、意識ではない。
だから、あの時助けてくれた、
「佐久間巡査部長のことも忘れてしまった」
といってもいい。
「都合の悪いことは覚えていない」
という、ある意味、
「都合のいい性格」
だということなのかも知れないが、その顔も、すぐに忘れてしまい、次第に存在も、感覚ということであり、記憶ではなくなっていたのだった。
そんな西島は、受験生の時代、
「こんなものだ」
ということで、他の人が苦しんでいたり、孤独に苛まれているように見えたのに、自分はそんな苦痛がないというのは、
「孤独だと感じないからではないか」
ということは分かっていたのであった。
そもそも、勉強が嫌いというわけではなかった。
今までに、
「勉強が嫌いだ」
と思ったことがあったとすれば、それは、
「中学二年生」
の頃だったという思いであった。
そう、ちょうど、西島がたった一度だけの過ちとしての、万引きをした時であった。
その時の心境は思い出せないが、
「何かに押し出されるような感覚があった」
というものだった。
それはまるで、
「ところてんのように後ろから押し出されるかたちで、麺のように細くなって、容器に流れ出る」
というような感覚だった。
ただ、それも、感じるから分かるというもので、それを思い出したという気持ちではない。
「思い出そうとすると思い出せない」
という記憶であった。
つまりは、
「記憶として残っているものではない」
ということだったのだ。
そんな思いを感じていると、中学、高校時代は、
「毎日が変わらないリズム」
と思っていた。
「一日一日があっという間に過ぎるのに、それが一週間、一か月と、それぞれの節目で考えると、経った時間が、かなり前のことのように思えてくる」
と思えたのだ。
その時の感覚が、嫌というわけではなかった。
確かに自分の中に閉じこもっているようであったが、その分、充実感があったような気がした。別に、
「何かの目標があったり、未来に希望を持ったり」
という具体的なものはなかったが、漠然と、目標や、希望のようなものを持ちたいとは思っていたのだろう。
しかし、それを具体的にするには、
「まだ早い」
と思っていた。
そして、その具体的なものを持つにも、
「段階」
というものがあり、その段階には節目があり、その節目というのが、
「受験」
というものではないか?
と考えるようになったのだ。
だから、
「高校受験」
であったり、
「大学受験」
というものが、控えているということになるのだろう。
受験生というものを味わうことが、
「節目で、段階だ」
ということになれば、
「それ以上先を見るということはない」
といってもいいだろう。
つまりは。
「高校生になる」
ということは、その時に、一歩成長するということになるのだろう。
それを、考えた時、
「グラフというものを思い出した」
普通にグラフというと、直線で、右肩上がりの、
「横を時間軸として、縦を成果とするようなグラフであれば、握肩上がりの正比例のグラフを普通は思い出すものだ」
ということになるが、この時に感じたものは、
「階段グラフ」
と呼ばれるもので例えばとして、
「タクシーメーター」
に近いというものを考えていたのだが、それがどういうものかというと、
「ある程度までは、時間が過ぎても、値段は変わらず、一定の横に平行になっているグラフであるが、ある一点までくると、今度は縦方向に一気に伸びるのだ。そしてそこから、また横に平行して伸びる」
という形である。
タクシーメーターも、
「初乗りから、最初の1キロくらいは同じ値段で、そこから、数百メートルごとに、いくら上がる」
という形になっているという。
正比例のグラフとの一番の違いは、階段グラフでは、
「ところどころに段階があり、そこまでは、ずっと同じなのだが、そこから急にワンランクアップすうrということで、ハッキリと節目が存在している」
ということである。
だが、正比例のグラフは、一直線に右肩上がりになっていて、絶えず、時間とともに、成果も同じように上がっているので、そこに段階も節目のないということになる。
ある意味、
「正比例は、面白くない」
といってもいいだろう。
ただ、階段グラフも、その段階が来るまでは、まったく変化のないもので、しかし、想像することは自由であり、ただなのだから、ある意味、
「学生時代や成長期というのは、階段グラフの存在意義もあるというものではないか?」
と思うのだ。
しかし、まわりは、階段グラフではなく、正比例のグラフを望んでくるのではないだろうか?
なぜなら、
「成長期であり思春期は、日々成長してこそのものだ」
という一般的な考えがあるからであろう。
そういう意味で、思春期や成長期は、
「精神的に不安定だ」
と言われるが、それは、
「階段グラフでいいものを、無理に正比例ではなければいけない」
という風に自分で思い込んでしまうからではないだろうか?
それを思えば、正比例のグラフであってほしいというのは確かにまわりの勝手な思いではあるが、決して無理強いはしていないだろう。
しかし、
「本人が、正比例でないといけない」
と感じるようになり、自分がそうではないと気づくと、とたんに不安になることで、
「精神的に不安定」
ということになるのだ。
それでも、高校入学、大学入学というそれぞれの節目にて、
「自分が、一皮むけた」
と感じるのだ。
肉体的にも精神的にも成長する。それがまるで、脱皮をしているかのように思うと、その節目で、それまでにまったく変わりなかった生活が、遠い過去に思えてきて、
「過去というのは、思い出としか感じることができない」
ということで、いわゆる、
「記憶」
というものを、一線を画しているものではないかと感じるようになるのであった。
それを思うと、
「節目の春というのは、一気に暖かくなり、桜が咲く季節ということで、新しいものが始まる」
と感じさせる。
しかし、
「桜の命は短い」
ということも感じさせられる。
実際に、テレビでも、
「桜の見ごろは、四月中旬ですが、週末には雨が降り、そのほとんどは散ってしまうでしょう」
ということで、誰もが我先にということで、花見に出かけるということになる。
だから、
「新入社員の初仕事」
ということで、昔などは、
「花見の場所取り」
ということだったのだ。
それが、会社によっては、
「公式な仕事」
といってもいいくらいのものだった。
それが、
「新人歓迎会」
という一つの余興だったということだ。
ただ、そんな時代から久しくなったことだろう。
もちろん、企業によっては、そんなことをしているところもあるだろうが、実際には、今そんなことをすれば、
「パワハラ」
と言われ、
「コンプライアンス違反」
と言われるだろう。
「上司の強要」
ということで、忘年会などを強制出席させるなどというのは、それこそ今の時代に合わないと言ってもいい。
そういう意味だけではないだろうが、
「社内旅行」
というのをしない会社がどんどん増えてきて、今では、
「社員旅行も、忘年会もやらない会社が当たり前になってきた」
といってもいいだろう。
もちろん、社員旅行など、昭和の時代のもので、一番の理由は。
「社員同士の親睦」
ということであったが、バブル崩壊からこっち、
「無駄なことはしない」
ということで、最大の理由として、
「経費節減」
ということになるのだ。
普通社員旅行というと、社員が給与天引きで、社員旅行の費用を積み立てるというものだったので、当然、
「社員旅行の天引き分の給料を払わなければいけない」
ということになる。
経費節減で一番大きいのは、
「人件費の節減」
である。
こんな無駄な金を出しているために、他の社員をリストラしないといけないというのであれば、これほど、本末転倒なことはないといってもいいだろう。
そう考えると、
「福利厚生」
というのは無駄なことで、個人個人が給料の中から自分で探してする方がいい。
ということになる、
だから、バブル崩壊後は、
「サブカルチャー」
と呼ばれるような、
「英会話教室」
だったり、
「パソコン教室」
などの、実践的あ教室が流行ったりしたのである。
駅前などや、大型商業施設などに結構あったのを覚えている人も多いだろう。それこそ、
「時代だった」
といってもいいかも知れない。
そんな、
「階段グラフ」
のような学生時代だったことを思えば、平行線を描いていた中学時代、高校時代は、確かに暗い時代であり、
「時間の経過」
というものを、さほど意識することはなかった。
しかし、
「想像することは自由だ」
ということもあり、学生時代において、何も考えていない時代だったが、頭を使っていなかったというわけではない。
「未来に対しての希望」
というものがなかったわけではなく、逆にそれを、まるで妄想しているかのように感じてしまうことで、
「想像してはいけないのではないか?」
と考えるようになり、結局、
「時間を無駄に過ごしているのではないか?」
と思うようになっていたのだ。
だが、この時代には、脈々と裏で育っている感覚があったことに気づいていない。しかも、それを無意識に過ごせるということは、何か精神的に微妙な影響を与えることがあっても、それをストレスとして感じることがないことから、実際に、
「流される時間」
というものが、実は心地よいもので、暗いという意識さえなければ、案外過ごしやすいものなのかも知れない。
しかし、それを
「暗くて前が見えない」
と感じてしまったことで、
「たった一度の過ち」
ということで万引きをしてしまったのだ。
本人には自覚はなく。店長から、いくら説教をされても、
「何言ってるんだ?」
という感覚しかなく、相手には、イライラさせるという結果になったのだろう。
相手の店長は、きっと、
「こいつはふざけてるんだ」
としか思っていなかったはずだ。
態度というものが、完全に舐めているようにしか見えず、そのために、
「どうしようもないやつだ」
という意識しか相手に与えていないことだろう。
それを思えば、西島少年が、
「万引きは後にも先にもこの時だけだ」
という理由も分かってくるというもので、要するに、
「その時だけ、彼の精神状態が究極に不安定だった」
ということであろう。
一度不安定になれば、元に戻ってしまうというのは、まるで、
「バブルと、その崩壊」
というものに似ているではないか?
というのは、
「まるで、階段グラフと、正比例のグラフとが融合したかのようだ」
という感覚である。
つまり、
「階段グラフのように段階があるのだが、そのかわり、そこまでの間に、少しずつ坂になっているという状態である」
そして、
「その坂を上っている途中に、気づいていなかった段階があり、そこで不意に風船が破裂したかのようになり、一気に奈落の底に落ちていた」
ということである。
その底には、何かがあるというわけではなく、真っ暗で何も見えない。そんなところにいたのが、店長であり、佐久間巡査部長だったのだ。
何も見えない真っ暗な状態というのが、どれほど怖いか?
それをその時初めて知った。
だから、西島は、それから
「自分は暗所恐怖症なんだ」
と思うようになり、同時に
「閉所恐怖症にもなった」
ということであった。
その閉所というのは、暗所からの結びつきだ。
暗い場所では、まわりが見えないだけに
「暗黒が永遠に続いている」
ということを感じさせる。
だから、その永遠が怖いのだ。
だが、その反動からか、まわりを探っていて、何も触れないことも怖いが。
「もし、そこに何かがあって、触れてはいけないというものだったら?」
と考えると、恐怖でしかないということになるのだ。
それを考えると、
「どうすればいいんだ?」
と感じてしまい、頭の中がパニックになる。
だから、
「それまで無限だと思っていたものが、密閉された空間だと思うと、身体から、必要以上の脂汗が出てきて、完全に、呼吸困難になってしまっている」
それこそが、
「パニック障害ではないか?」
といえるのだろうが、中学生の少年にそんなことが分かるはずもない。
ただ漠然と、
「俺は何かの精神病なんだ」
とは感じるだろう。
ちゃんと病名が分かっていて、説明を受けていれば、それほど惑うことはないのだろうが、自分で漠然と感じてしまったことは、そう簡単に拭えるものではない。
それを思うと、
「万引きというものを無意識にしてしまった」
というのも、無理もないことなのかも知れないということであろう。
ただ、万引きというのが犯罪であり、
「俺がそんなことするはずないじゃないか?」
という意識があるのも分かっていることであった。
だから、万引きをしたといっても、無意識のことなので、正直、店長に見つかった時も、
「簡単に許してくれるだろう」
と思っていたのも事実だった。
しかし、だんだんと店長がイライラしだしたのが分かった。こっちは無表情であったが、実際には、焦っていたのだった。
「顔色を変えると、相手が怒り出す」
という思いがあったからで、
「決して店長を刺激してはいけない」
と思っていたのだ。
だから、無表情になったのであって、これも意識してのことではなかった。
「そうしなければいけない」
という思いからしようと思っているが、自分で思っているようにはできなかった。
だから、無表情でありながら、自分が想定した無表情ではなく、相手に怒りを増幅させるものになってしまったというのは、計算外というよりも、
「これから俺の無表情には、危険性を伴うことになるんだな」
と感じたのだった。
無表情というものが、相手に与える危険性がどういうものなのかということを、分かっていなかったことで、警察への連絡になったのだ。
最初はそこで。
「終わった」
と思った。
これで、家族も学校にも知らされてしまって、自分の人生は、嫌でも変えられてしまうと感じたのだが、そう感じたことで、何やら、
「覚悟のようなもの」
が固まった気がした。
その瞬間、初めて自分が、
「他人事だ」
と感じたのだと思ったのだ。
他人事だと感じたのは、この時が初めてではなかったはずだ。
しかし、それは、あとから考えて、
「あの時は、都合が悪いことだったので、他人事だと感じていたのかも知れないな」
と思うことであった。
その時同時に感じたことではなく、そんな思いを感じたことで、
「記憶と意識の間に時間的な歪」
のようなものができて、結果として
「意識として残るものではなく、記憶に残るのではないか?」
と思っていた。
しかし、この時の万引きに関しては。
「記憶にすら残っていない」
ということで、よほど、
「忘れてしまいたい黒歴史」
ということなのだろう。
確かに、
「初犯」
ということで、佐久間巡査部長が許してくれたのだが、本人の中から消すことのできない事実としては残ってしまったのだろう。
だから、そんな黒歴史を、思い出したくないという意識が必要以上に働き、
「思い出したくない」
と思いながら、覚えていることが、無意識のことであれば、自分で納得できるということになるのだという感覚であった。
だから、忘れているわけではないのに、
「無意識のうちに、記憶から消えていた」
と思うようになったのであり、それがまさか、
「記憶に最初からなかったものだ」
ということを分かっていなかったことで、
「まるで健忘症ではないか?」
と感じるようになったのだ。
それを思えば、
「俺は、とにかく物事を都合よく考えよう」
という思いが強いという意味が分かった気がした。
と考えるようになった。
その思いは、万引きから、約10年というものが経った、今という時代だったのだ。
ある意味、今のこの時期が、
「俺にとっての、あれから、何度訪れたか数えていないという節目であり、段階だったのかも知れないな」
と感じたのだ。
大学時代に、一度、たくさん友達を作った時、
「暗かった人生とはおさらばだ」
と思ったものだ。
しかし、大学時代に友達もできて、それまでの暗い人生が、まるでバラ色に感じるようになっていたにも関わらず、
「楽しい人生だ」
と、その瞬間は思うのだが次第に、その感覚が薄れてきて、
「虚しさ」
というものを感じるようになった。
それは、
「一日一日は、結構長いのに、一週間一か月が、あっという間に過ぎてしまった」
と思うようになったからで、
「最初はそれがよかったのだ」
と思っていたが、それから次第に、まったく違う感覚に変わってきた。
というのも、
「大学時代という夢のような世界は、たった4年しかないんだ」
ということであった。
しかも、3年生の途中からは、就活が始まることで、今までとまったく違う社会に出ることへの恐怖もあり、実際には、3年あればいいという楽しい時間なのに、時間が経てば経つほどあっという間に感じられるということが、恐怖でもあったのだ。
大学生の時、ひょとすると、
「節目、段階」
というものがどういうものなのかということに、気づいていたのかも知れないと感じるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます