第5話 佐久間巡査部長
そもそも、イソップ寓話というものが描かれた時代というのは、今とはかなり違う時代だったであろう。
そういう意味で、日本の
「おとぎ話」
の中にある、
「寓話」
と言われる、戒めのような話であっても、編纂されたのは、中世の頃ということであり、そもそも、それらの物語の多くは、その時に作られたというものではなく、どちらかというと、
「もっと昔からあった、まるで神話と言われるような時代からあった話を、紡いだものというものを、室町時代に編纂したのが、おとぎ草子と呼ばれるものだ」
ということである。
ただ、その中には、
「信じられない」
と考えられるものもある。
「浦島太郎」
の話などがそれで、
「この話は、相対性理論」
と呼ばれるものと酷似しているということで、
「光速で進むものに乗っていると、実際の時間が、ゆっくり進むことになる」
という理論と、
「浦島太郎が竜宮城から帰ってきた時、地上は、700年が経過していた」
ということで、
「竜宮城の数日間が自分の知っている世界では、700年だった」
ということになるのだ。
そうなると、理論的に不可能を思われることも可能ならしめるのではないかと考えられるわけだが、
「侵略しようとしている宇宙人が地球に到着した時には、すでに、数百年。いや、何十万年という時が経っているのかも知れない」
つまり、
「宇宙人が、まだまだ成長過程にあった地球に、高等生物がいない」
ということでやってきたとすれば、
「まさか、今は高等生物がすんでいたなんて」
ということで、
「計算外の侵略行為が起こるのかも知れない」
というのは、あくまでも、勝手な想像でしかないだろう。
そもそも、地球にやってこれるだけの科学力を持っている星なので、
「相対性理論というものくらいは、分かっているはずだ」
といえるだろう。
それを見越しての侵略でなければ、
「相対性理論を理解していない」
という、
「いわゆる探検のようなものだ」
ということになれば、
「理屈に合う」
というものではないだろうか?
あくまでも、勝手な発想なので、何とも言えないが、浦島太郎は、
「謎が多い」
ということだけは確かなのだ。
「宇宙人から聞いた理屈を、物語にしたのかも知れない」
と思うと、
「昔の人は、今よりも、頭のできが、柔軟にできていたのかも知れない」
ということになり、
「発想の柔軟さが、おとぎ話を作った」
といえるのではないだろうか?
「世界の七不思議」
と呼ばれるものも、存外、そういうことなのかも知れない。
西島少年が万引きを許されてから、約10年が経った、すでに大学を卒業していて、新入社員として、立派に働いていた。
といっても、
「頑張って働いている」
というだけで、まだ新入社員ということもあり、会社に貢献しているおかどうかということは、疑問であった。
万引きのことは、すでに本人の頭の中から消えていた。
「あの時、佐久間さんが許してくれたからだよな」
と思っていたのは、最初の一年くらいのことだっただろうか?
それも、
「何かの機会があって、やっと思い出す」
という程度である。
佐久間巡査部長は、
「少年の厚生」
ということには、結構頑張っているようだ。
てっきり、
「警察署に連行されるんだろうな?」
と思っていたが、そんなことはなかった。別に警察署の方に連絡を取っている素振りもないし、しかも、取り調べというわけでもなく、世間話がほとんどだった。
もっとも、緊張をほぐしたところで。事件について聴こうというのは、ある意味、
「うまい作戦」
ということで、佐久間巡査部長の作戦に、
「まんまと引っかかった」
といってもいいかも知れない。
彼は、学校では、皆から真面目に見られているという。
それは、佐久間巡査部長の目から見ても、
「根は真面目な子なんだろうな」
と思えたのだ。
「どうして、万引きなんかしたんだ?」
というのが、本当は一番知りたいところだったのだろうが、焦って、そのことに触れるようなことはしなかった。
「部活は何をしているんだい?」
と聞くと、
「野球」
とひとこと答えた。
しかし、この話をした時、少し寂しそうな表情をしたことを、見逃さなかった。
だから、敢えて聞くようなことはしなかったが、やっぱり気にはなっていたのだ。
「友達はどうだい?」
と聞くと、それに関しては、普通に答えてくれた。
多い方でも少ない方でもないということなので、
「気兼ねなく話ができる友達が、数人はいるんだろうな」
と感じたのだった。
なぜ、佐久間が友達に話題を振ったのかというと、今回の万引きに、
「悪い友達が絡んでいるのかどうか」
ということを知りたかったのだ。
もし、そうであれば、彼はいおうとしないだろうと思ったからだ。それに、野球の時に、あれほど失念した顔をしたのだから、友達が絡んでいるとすれば、すぐに顔に出てしまうということは、容易に想像できることであろう。
そんなことを考えていると、
「彼の個人的な精神面によることではないだろうか?」
と考えた。
そこで、敢えて、彼の表情の信憑性を知りたくて、彼としては、
「尋問のようで嫌だ」
と感じるであろうことに触れたのだった。
「学校の成績は?」
と聞くと、
「そんなに悪いわけではないです。でも、決していいわけではないと思います」
という。
要するに、本人としては。
「可もなく不可もなく」
ということで、要するに、
「目立たない成績だ」
と言いたいのだろう。
他の子供であれば、敢えて謙虚に、普通の成績くらいなら、自分では、
「そんなによくはない」
というに違いない。
そぅではないということは、彼が、
「正直な性格」
ということなのだろうか?
それとも、本当は成績がいい方なのではないか?
と感じるのだろうが、声に正直覇気がないことから、
「本当に正直なんだろうな」
と思った。
もし、これで正直でなければ、
「まわりから嫌われるはずで、正直者だったら、友達はいる」
とは言わないだろう。
「正直者だからこそ、つけるウソ」
というのがあるようで、それは、彼の性格が十分に影響しているということになるのであろう。
それを考えると、
「この少年は、私と似たところがある」
と感じたのだ。
というのは、
「これだけ目立たないように、そして、無表情で話をしているのに、言いたいことが手に取るように分かる」
ということは、
「本当は知ってほしいのに、不器用だから、そんなに話ができているわけではない」
ということであり、
「だから、実際の気持ちとは裏腹に、本来なら知ってほしいのに、知られると困る」
というような感情が渦巻いているということは、自分というものをどこか、ごまかそうとするができないという、ジレンマのようなものがあるからなのかも知れないのである。
話を聞いていくと、
「この少年は、本当は喜怒哀楽がしっかりしているのかも知れない」
と感じたのだ。
ということは、
「この無表情に見える雰囲気は作っているのかも知れない。そして、それが、知らない人が見れば、本当のことのように思えることから、これが、最初から意識して作ろうとしているからではないか」
と、佐久間巡査部長は感じたのだ。
しかし、
「普通であれば、わざとやっていることであれば、余計にまわりに分かるのではないか?」
と考えるのであるが、佐久間巡査部長の考え方は違うのだった。
というのは、
「これが他の表情であれば、別に気にすることはないのだが、これが、無表情だ」「「
ということだから、余計にそう感じるのであった。
ということであった。
つまり、佐久間巡査部長は、結構勉強熱心で、特に、
「心理学」
であったり、
「相手の心理を読めるようになりたい」
ということから、人の表情から性格を読み取るというような本であったり、近くの大学の先生で、心理学を専攻している人がいて、一度、大学で盗難事件があったことで、事情聴取にいった時、偶然知り合った教授から、いろいろな話を聞かせてもらったりしたということから、心理学や、
「相手の心を読む」
ということを研究したいと思うようになった。
それは、別に。
「警官という仕事に生かしたい」
ということよりも、ただ、誰であっても、話をしている人の身になって聴いてあげられるようになりたいという気持ちからであった。
もちろん、
「警察官としての仕事に生かしたい」
という気持ちから、最初は勉強していた。
しかし、実際には、そんなに簡単に行くものでもないし、
「こんな中途半端な状態で、仕事に使ったとすれば、それこそ、勝手な思い込みから、余計なことを想像してしまったり、せっかく、今まで、出しゃばったことをしてこなかったのに。この力を得たということによって、おごった気持ちが出たりすると、これまで築き上げてきた、市民に対しての信頼が、一気に壊れてしまう」
と考えたからだ。
だから、この能力がついたとしても、相手が、
「何かを望んでいる」
という時、口にできないような気持ちになった時、こっちから話しかけてあげられるくらいになれば、それが一番いいことなんだろう。
実際に、警察でそんな力がいるとすれば、刑事のような、
「捜査のプロ」
の人くらいであろう。
もし事件が起こったとしても、制服警官であれば、捜査が始まれば、混乱がないように、野次馬整理をしたり、刑事が、現場検証の初動捜査をしている時、第一発見者の人に、軽く事情を聴くくらいのことしかないだろう。
つまりは、
「出しゃばったことはしてはいけない」
ということになるのだ。
何かのアドバイスをしてはいけないということでもないが、
「刑事というのは、プライドの塊のようなもので、警官から何かを言われるというだけで、プライドが許さない」
ということもあるだろう。
本庁の刑事ということになれば、ただでさえ、プライドの塊であり、
「同じ刑事でも、所轄の連中に対して、まるで同じ刑事だと思われては心外だ」
というほどに、差別的な考えを持っているのかも知れない。
そして、今度は所轄の刑事は所轄の刑事で、
「本庁の刑事にあしらわれた思いを、今度は、警官にぶつける」
という人もいるだろう。
そういう刑事が誰なのか、警官としては知っておかないと、
「ただ怒鳴られるだけ」
ということになりかねない。
警官としてもストレスがたまるし、ここで逆らってみても、
「誰も味方をしてくれる人はいない」
ということで。あとで、
「何を刑事を怒らせているんだ」
ということで、他の警官連中から、
「余計なことしやがって」
と思われるのがオチである。
だから、
「警官というのは、事件が起これば、刑事の指揮下に入るということで、決して目立ってはいけない」
ということになるだろう。
それだけ、
「警官と刑事の間には狭間がある」
ということになる。
しかし、警官には分からないが、
「本部と支店とで、ここまでの差が本当にあるのだろうか?」
と、本庁の刑事のあの態度には、さすがに閉口してしまうということになるのであろう。
「刑事というのが、どれほどえらいのか?」
と、最初の頃は感じさせられたが、
「いやいや、本部はもっとひどいではないか?」
ということで、逆に、所轄の刑事がかわいそうになり、結局、
「我々が支えてあげなければ」
という気分に、佐久間巡査部長は感じたのであった。
他の巡査がどう思っているか分からない。若い刑事などは、
「きっと、恨みに思っていることだろうな」
と感じた。
それは、佐久間巡査部長も同じことで、警察に入ってすぐの若かりし頃は、相当恨んだもので、それは、
「今の若い連中に匹敵するどころか、もっとひどかったかも知れないな」
と感じるのであった。
しかし、このスパイラルは、結構うまくできているのかも知れない。
本庁の刑事がいなければ、
「俺たちは、所轄の刑事に恨みだけを抱いて、捜査の邪魔になっているだけなのかも知れない」
と思うのだ。
そもそも、佐久間巡査部長も、最初は、
「いずれは、署の方の刑事課に配属されたい」
と感じていた。
それは、警察に入って最初の一年目だけのことで、それから先は、
「俺は、巡査勤務でいいわ」
と思うようになったのだ。
それは、やはり、本庁の刑事に怒鳴られたり、人間扱いされていないというのを見ていたからではないだろうか。
「あんな言われ方をして、俺は我慢できずにいられるだろうか?」
と感じたからだ。
佐久間巡査部長は、普段は、
「仏の佐久間」
と言われるほどに、温和なのだが、何かのスイッチが入った時、前後不覚に陥るほどに、怒り狂ってしまうことがある。
そのスイッチがどこにあるのか、本人はもちろん、まわりにもまったく分からないのであった。
その意識は、佐久間巡査部長にはあったのだが、だからと言って、急に怒り出すことはないと思った。
ただ、他の会社を知らない警察官は、きっと、
「警察ほど、理不尽なところはないかも知れないな」
と感じている。
特に、事件があった時など、偉そうにしているくせに、なかなか捜査が進んでいないということが分かると、
「警察なんて当てにならない」
と思うのだ。
そもそも、誰かがいなくなったりして、捜索願を出したにも関わらず、
「事件性がない」
ということで、
「受理はするが、捜査はしない」
ということを知ると、
「何かあってからでは遅いのに」
と、地団駄を踏むことになる。
何かことが起こるのを防ぐのが警察の仕事ではないのか?」
と思うと、腹が立って仕方がないのだ。
さらに、これが、
「ストーカー問題」
というものに至れば、
「警察は何かないと動けないからな」
と公然というのだ。
庶民は、
「何かあってからでは遅い」
ということで、警察に相談に来ているのに、それが、
「門前払い」
ということになり、結局それが、
「相談者が、殺害された」
という重大事件となり、警察は捜査と並行して、
「責任を誰に負わせるか?」
ということを話し合うということになる。
最初から親身になっていれば、こんな無駄な、
「責任転嫁」
などなかったに違いない。
それが、警察組織というものの姿であった。
佐久間巡査部長は、西脇少年を助けた時は、そろそろ50歳くらいであった。
だから、もう少しすれば、
「定年退職」
という年齢になってきた。
その間に、相変わらずの巡査部長で、
「ここまでくれば、このままでいい。できれば、後進にいろいろ教えてあげられればいいな」
という程度であった。
実際に刑事になる人でも、
「ノンキャリ」
であれば、交番勤務から始まるのが当たり前であった。
交番勤務を経て、やっと刑事として署の方に配属される。
それが、ノンキャリと言われる刑事なのであった。
これが、キャリアともなると、全然違う。
というのは、
「キャリアで警察に入れば、最初は、警部補から」
ということになる。
しかも、ノンキャリが、少しずつでも昇進しようとすると、いちいち、
「昇進試験」
というものを受けなければいけない。
しかし、これが、キャリア組ともなると、
「警部補からの昇進には、昇進試験というものはいらない」
ということになるというものだ。
これが、ウソか本当かは分からないが、
「俺たち交番勤務には関係のないことだ」
と最初から気にもしていなかったのだった。
佐久間警部補は、60歳になるまで、
「西島少年」
のことを半分忘れていた。
「万引きを見逃してやった」
というのも日常茶飯事だし、
「こっちが覚えていたとしても、相手は覚えてなどいないさ」
と思っていた。
それはもちろんのことであり、
「万引きをしたことなど、黒歴史であり、早く忘れたい」
と思って、努力して忘れているのが関の山だろう。
ただ、西島少年はそうではなかった。万引きをしたということは事実であるのに、自分から忘れようとしているわけではないのに、
「覚えていない」
ということで、
「これじゃあ、健忘症ではないか?」
と思われるレベルであった。
それは、きっと、本人が、
「悪いことをした」
という意識がないからだろう。
それは、最初からのことで、普通であれば、捕まってしまえば、
「自分の責任だ」
ということは別にして、悪いことをしたという意識がないからだ。
それは、
「万引きというのが悪いことだ」
という意識があってのことである。
そういう症状は、一種の精神疾患なのかも知れない。
大人は、そう思って断ずることで、解決しようと思うのだろうが、本当にそうなのだろうか?
悪いことをしていないと思い続けてきた人間が、
「あれは、本当は悪いことだったのではないか?」
と感じると、どういうことになるか?
そのことを、それまで誰も気づくということはなかったのだった。
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