第2話 完全犯罪考
今の時代は、
「どんどん完全犯罪というのもなくなってきている」
と言われる。
完全犯罪というと、小説やドラマにおいて、
「犯罪が起こり、その際、警察が捜査に乗り出し、そこで犯人を逮捕できなかったり、昔でいえば、時効が成立してしまったり」
などというものをいうであろう。
中には、
「状況証拠は完璧に揃っているのに、
「アリバイがある」
などということで、事件が解決できないなどと言った時に、
「完全犯罪だ」
などということになるのであった。
もっとも、それが今の時代では、ある意味。2つの要素から、
「完全犯罪というものはなくなってきた」
といえるのだ。
一つとしては、
「科学の発展」
ということである。
これは、
「科学捜査が行き届いてきた」
ということもあれば、
「世の中どこにいっても、犯罪を起こすには、かなりのリスクが存在する」
ということである。
科学捜査というと、探偵小説黎明期と呼ばれた時期の小説の中で、
「トリックの分類」
なるものを書いた作家がいたが、それと同じ発想で、それぞれに、トリックを使うという理由があったのだが、その個々に、不可能ならしめる理由も出てきたというわけだ。
例えば、
「顔のない死体のトリック」
といわれる、
「死体損壊トリック」
というのは、
「顔や手首などの身元が分かる部分を切りつけたり、切断したりして、身元を分からなくする」
ということであるが、今では、
「DNA鑑定」
というものもあり、
「顔のない死体のトリック」
と言われる。
「加害者と被害者が入れ替わるという公式」
というものが、役に立たなくなるということである。
また、
「アリバイトリック」
などというものも、至るところに、防犯カメラであったり、ドライブレコーダ、あるいは、WEBカメラなどが、
「プライバシー保護」
というものに抵触しない程度に張り巡らされているので、アリバイトリックというのも、使えなくなったといってもいいだろう。
そういう意味で、
「科学が発達したことでの、カメラの小型化などというのも、その一つであろう」
といえるのだ。
犯罪を犯しにくくなったというのは、
「法律の改正というのが大きいかも知れない」
というのは、特に、一番顕著なのは、
「凶悪事件においての時効の撤廃」
というものであろう。
一見、
「時効をなくして、それにより、殺人事件の抑止になる」
と言えば聞こえはいいが、何か他に、理由があるのではないか?
と考えるが、どうであろう?
考えてみれば、
「時効がなくなって、警察に何もメリットはないような気がする」
というのだ。
いつまでも、未解決のままになり、未可決事件というものがどんどん増えるだけで、警察としても、
「いつまで経っても終わらない」
ということで、経費は掛からないかも知れないが、検挙率の分母になってしまうと、率がどんどん高くなっていくということになる。
そもそも、時効がないのだから、未解決はすべて、検挙率の分母になるのではないだろうか?
詳しいことは分からないが、もしそうであれば、警察には確かにメリットと呼べるものは何もないだろう。
それを考えると、
「やはり警察は、世間の声に押されて、時効というものを撤廃したということになるのかしら?」
という発想になるだろう。
詳しい事情や裏話は分からないが、
「確かに時効の撤廃で、犯罪の抑止力に繋がる」
ということになるのが、一番であろう。
ただ、完全犯罪というものを、
「犯罪者側」
から見るとすれば、
「完全犯罪というものは、警察がとの闘いではない」
といえるのかも知れない。
要するに、本当の完全犯罪というのは、
「犯人にとって、警察と対峙してしまった時点で本当の完全犯罪ではない」
という考え方であった。
つまりは、
「完全犯罪というものは、犯罪を犯したとしても、その犯罪が、警察に知られず、最後まで、警察が動かなかった時点で完了する」
ということになる。
ただ、もう一つの考え方であるが、ただ、これを完全犯罪といっていいのかどうか分からないし、
「これ以上困難なことはない」
ともいえることであるので、そういう意味では、
「それこそ完全犯罪だ」
ということになるかも知れない。
というのも、
「警察が動き出して、警察が捜査をし、犯人を探し当て、逮捕する」
ということから始まり、警察は自白をさせたり、いろいろな方法で物証を掴んできたりするだろうが、そこに何らかの細工を加えたりして、実際に、起訴され、裁判になったところで、何等かの方法を使って、裁判を
「無罪」
という風に持ち込んで、無罪が確定してしまうと、
「もうその件について再度審議されることはない」
つかり、これが、
「一事不再理の原則」
というものだ。
これこそが、完全犯罪というものではないだろうか?
確かに、
「犯罪が露呈しない」
ということが一番なのだろうが、しかし、犯罪が行われた以上、どんな形で明るみに出るか分からない。
それを思えば、いつまで経っても、
「びくびくして生き続けなければならない」
ということになるのであろう。
それを思うと、
「逮捕され、起訴されてから、無罪を勝ち取る」
という方が、警察は一度刑が確定すれば、何もできない。
ということで、まるで、
「時効」
と同じような効力を持つわけなので、その分、時効があった時期よりも、早く勝負がつくということである、
しかし、これはあまりにも危険を伴うことだといってもいいだろう。
相手が警察であるということで、
「警察に喧嘩を売っている」
というようなものではないだろうか。
それを考えると、
「黙って警察にバレないようにする方がいい」
という考えにもなるのだろうが、その間、精神的に耐えられるかどうか?
それが問題なのである。
警察というものは、
「公務員」
ということもあり、捜査上の困難などもあるのだろうが、実際に捜査に入れば、そんなに甘いものではない。
「日本の警察は優秀だ」
と言われていただけに、最近は、刑罰もどんどん重くなり、さらに、時効の撤廃などと、
「犯人にとっては、犯罪を犯すだけのリスクが、どんどん高まっている」
ということになるのだ。
その犯罪というのも、いろいろ種類があり、その動機によって、その顔の種類がどんどん変わってくるというものだ。
「お金に困っている」
という切羽詰まったものであれば、
「計画がずさん」
ということであったり、
「一人でできないことが多い」
ということで、複数犯によるものが大きく。共犯者が多くなるということである。
犯罪でよく言われることは、
「共犯者が多ければ多いほど、発覚する可能性が高くなる」
というものだ。
なぜなら、主犯のように、何か切羽詰まった状態で、自分から犯罪計画を立てたのと違い、他の人たちは、そこまで切羽詰まっているわけではない。
「お金で雇われた」
ということであれば、
「そのお金の分と、これから背負うリスクや、もし捕まった時に、自分がこうむる損害を天秤に架けると。割に合わないということになれば、人によっては、自首した方がいいに決まっている」
と考える人もいるだろう。
そうなると、
「仲間割れ」
であった、
「内部分裂」
ということになり。主犯とすれば、
「こんなはずではなかった」
と考えるに違いない。
それを思えば、
「共犯者は多くても一人」
というのが望ましい。
何といっても、人数が多ければ、そのうちに一人にその白羽の矢があたり、その人間の逮捕から、共犯者や主犯が芋ずる式に逮捕されるなどということは、日常茶飯事ということであろう。
そんなことは、犯人にも分かっている。
しかも、今のように、どこかかしこに防犯カメラがあったり、証拠も簡単に押さえることができる新兵器があったりすると、
「動かぬ証拠」
ということになり、犯人側は、
「万事休す」
ということになるであろう。
それを考えると、
「なるべく、共犯には何も知らせない形」
というのはいいに決まっている。
しかし、共犯として犯罪に加担する方も、主犯が信じられないというのは当たり前のことであろう。
そうなると、最初からすべてが秘密主義であれば、いくら金を積んだとしても、
「協力しよう」
とは言わないだろう。
ある程度犯罪計画に隙の無い状態だということを分かっていないと、危険すぎると思うことだろう。
「犯罪は人間がやるもので、機械がするものではない」
ということだ。
つまりは、
「人間の心理が働いて、ちょっとしたへまをしてしまうと、それが取り返しのつかないことであれば、本当であれば、そこで計画を中止するという判断も必要になる。その判断を主犯ができる人なのか?」
ということも、犯人としての資質があるわけなので、それがないと判断する人間にかせいじゃできないということになる。
かといって。
「もし、主犯がすべてを喋ると、今度は嫌がうえにも、犯罪に加担しなければいけなくなる」
というわけだ。
主犯としては、すべてを話したうえで、
「だったら、嫌だ」
などというと、
「警察に駆け込まれてはすべてが水の泡」
ということで、ゼロどころか、警察に追われるというマイナスになってしまうのだ。
だから、相手も、
「絶対に共犯になってくれるだろう」
という確信がなければ、絶対に犯行に加担するわけはないというものだ。
それは、どちらにも分かっていることだ。
主犯としても、共犯としても、そこが駆け引きというもので、
「主犯は、事件の全貌を話したくはない」
ということであり、
「共犯としても、知ってしまうと、自分が危なくなる」
ということになるのである。
それを考えると、
「共犯になってもらう」
あるいは、
「仲間に引き入れる」
というだけでも大変なのに、もし事件を起こし、計画通りにすべてが終わったとしても、また主犯としては、
「共犯の連中をどうするか?」
ということになり、
「口封じ」
ということを考えたとすれば、それは本末転倒であろう。
「犯罪を何とかうまく運ぶために共犯を作ったわけで、その共犯殺しで、さらに罪を深めるというのは、それこそ、
「堂々巡りの計画だ」
ということになってしまうだろう。
それを思えば。
「警察というものを、どのように考えるか?」
ということの前に、そもそもの自分たち内部の計画の時点で、頓挫してしまうということだって十分にあり得ることなのだ。
「こんな段階で、完全犯罪などありえない」
ということになる。
もしできたとしても、時効までの間、捕まることは許されないということになる。
それこそ、無罪に持ち込むということを最初から考えていての逮捕であり、裏でその計画が着々と進んでいるのであれば、それはそれでいいということなのだが、実際には、そうはうまくいかないということになるのだ。
そういう完全犯罪であったり、共犯が必要な事件は、それこそ、双璧というくらいに難しいものであろう。
これが、復讐ということになればどうだろう?
「自分の大切な人が最後には死を迎えた」
ということであれば、
「死に至らしめた人」
というのを恨んでむ恨み切れないということで、
「復讐が動機の殺人事件」
として、動機としては十分であろう。
「だから、復讐というものは、焦ってするものではない。なるべく綿密な計画を立てて、決して無理をしない」
ということが大切だからである。
復讐の目的は、
「相手に自分と同じ思いを味遭わせてやりたい」
ということが、大きな目的であり、
「残された家族がどんな思いをするか?」
ということで、
「じわじわ苦しめて、精神的に追い詰め、さらに、苦しみながら死んでいく」
というそんな姿を見るのが、本当の復讐というものである。
だから、復讐の場合は、完全犯罪の中でも、
「犯罪が行われたということを分からないようにする」
という完全犯罪は成立しない。
世間が、
「こいつらが人を殺した」
ということを知らない状態において、
「ただ殺しただけでは気が収まらない」
といえるだろう。
そういう意味で、
「猟奇的犯行に見えたり」
あるいは、
「耽美主義的で、芸術的な殺し方」
であれば、それは復讐なのか。それとも、本当に、
「変質者や精神異常者による犯行」
ともいえるのではないだろうか?
それを考えると、
「犯罪というものが、どういうものなのか?」
と世間に問いかけることになるかも知れない。
これが復讐であれば、相当な恨みがあるといってもいいだろう。
そうなると、犯人は、
「犯行後のことをどこまで考えているか?」
とも考えられる。
これが、
「金がほしい」
などという犯罪であれば、
「逮捕されるということは、犯罪を犯す意義がまったくない」
といえることで、逃亡まで、しっかり考えてのことであろう。
しかし、これが復讐ということであれば、
「相手を苦しめて、じわじわと死に至らしめることさえできれば、それで満足だ」
ということが多いだろう。
そうなると、
「捕まったっていい」
と考えているかも知れない。
ただ、それでも、
「生き残りたい」
と思うとすれば、
「この事件で殺された方の家族が、どのように苦しんでいるのか?」
ということを確かめないと、腹の虫がおさまらないともいえるのだった。
これが、
「動機によって、犯行の性質がまったく違ってくる」
ということになるのであろう。
それを思うと、
「事件の性質は、動機によって、まったく変わってくる」
ということになるに違いない。
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