第14話
来る日も来る日も、ひたすら部屋の中の本を読んで過ごした。
食事もろくに摂らず、外にも出ないで。外で私がどんな噂をされていようと、どれだけ家が傾こうとどうでもいい。どうせあと数ヶ月の命だ。本だっていないのに、私に何ができるというんだろう。あれから本は一度も動かず喋らず、ただの本に戻ってしまったようだった。開く気すらも起きなくて、枕元に置いたままになっている。
あっという間に家から使用人が居なくなって、お父様は先に地方に追いやられて、お兄様は学園を退学させられた。お母様は倒れて遠くの教会に入れられていて、家に残ったのは私だけ。
一応学園に籍を置いていた私もいよいよ退学させられることになって、近日中にお父様と同じ地方の屋敷へ送られることが決まったらしい。……ま、お父様もあれから錯乱してしまって、実質地方領の政治は混乱した状態。税金欲しさに好き放題した部下のせいで治安は荒れ放題とのこと。そんな場所に私が行ったら……言うまでもないわよね。
それでも何をする気にもなれない。今更足掻く気にもなれないし、逃げる気すらも起きない。唯一気がかりなのは私に何かあった後本がどうなってしまうかだけれど……まあ、最悪どこか見つからないところに仕舞い込んでしまえばいい。今度こそ目が覚めた時に本物の悪役令嬢に出会えるように、私みたいな成りそこないに見つからないように。
突然、コンコンとノックの音が聞こえた。びくりと肩を跳ねさせる。私の部屋の扉を叩く音なんて、最後に聞いたのはいつだったかしら。一体誰が……ああ、追放の日でも決まったのかしら。それとも誰か私に恨みを持った人が、最後の復讐にやってきたのかも。
どちらでもどうでも良かった。この世界にはもう嫌いなものしかないのだし、今更どんな酷いことをされたところで変わらない。誰が来たって驚かない。
気怠い体を起こして床に積まれた本の合間を縫って、うっすらほこりの積もったドアノブに触る。
ゆっくりと開いたそこには……
……エレオノール?
「は?」
前言撤回、これは流石に予想外。
口を開けて立ち尽くした私に、エレオノールは変わらず可愛らしい顔で「ごきげんよう」と微笑んだ。
「……ああ、まさかあなたが教えに来てくれたの? 私の追放の日」
「え? 違うわよ?」
違った。じゃあなにしにきたのよこいつ。
場にそぐわない呑気な声にきょとんとした顔は、聖女らしく可愛らしい。いっそ憎たらしいほどに。
今の私に向けるべきなのは、もっと「ざまあ見やがれ」とでも言うべき顔でしょうに。お優しい聖女様には、そんな汚い気持ちはほんの少しもないらしい。それともみんなに見捨てられた私にいじめられていたことなんて、どうでもいいって思ってるのかもね。ええ全く、本当に素晴らしい聖女様だわ。
久しぶりに嫌な気持ちを動かされた私は、気づけば下唇を噛んでいた。
「じゃあ何!? 追放間近の私のこと、哀れみにでも来てくれたの!? あらお優しい聖女様! でも残念、大嫌いなあなたからの哀れみなんていらないわ!」
不適な笑みを浮かべながらそう言い放つ。けれどエレオノールはちょっと首を傾げたくらいで、私の暴言をものともせず口を開いた。
「あら、だから違うわ。私は今日哀れみじゃなくて、一つだけお礼を言いに来たの」
「お、お礼……?」
そんなもの言われる筋合いなんてない。まさかお礼参りとかいう意味での「お礼」じゃないわよね……と私が一歩後退りしたのも気にせず、エレオノールはにこにこと笑いながら続けた。
「半年前、エメ様がわざわざ私に言ってくれたじゃない。私のこの本、嫌いじゃないって。くだらなくなんてないって、ね?」
……そんなの言ったことあったかしら。口元に手を当てて半年前の記憶を掘り起こす。
いや待て。そういえば人に優しくしてみろと言われて、よりによってエレオノールにそんなようなことを言った気が。そうね、確かに言ったわ。言ったけれど……。
「……それで? だからなんだって言うのよ」
私は鼻で笑いながら言う。イライラとしたこの気持ちを、誰かにぶつけないと気が収まらなかった。少しでもエレオノールに汚い気持ちを抱かせてやらないと、ますます私が惨めになっていくように思えた。
「馬鹿ね、あんなの下心があったからに決まってるじゃない! 急に私があんなこと言うなんて、嘘だと思わなかったの?」
「嘘? あらそう」
けれど返ってきたのは、なんでもないような声色だった。
「別に嘘でもなんでもいいのよ。だって大事なのは、あの時私が救われたかどうかなんだから」
「……は……?」
嘘でもなんでもいい、なんて。そんなことあるわけないじゃない。
予想外の言葉に咄嗟に罵倒が出なかった。間抜けに口を開けたままになった私を見て、エレオノールは「ふふ」と笑う。
「だからエメ様、お礼に少しだけ私の魔法を貸してあげる。流石に私が直接魔法を使ってあげるのはやりすぎだって、みんなに反対されちゃったけど……私が魔法を貸すだけならいいんですって」
きっと、誰一人私に魔法は使えないのだと思っているのだろう。私はこの世界の全てが嫌いで、信じられなくて、愛すことさえできない出来損ないの人間なのだと。そう思われて見下されたのだろう。
「あの時のエメ様を見てたら、きっとそんなことないってわかるでしょうにねえ」
エレオノールがそう言った。まるで私の思っていることがわかるかのように。
クスクスと少女のように笑いながら、エレオノールは私の両手を取る。ぎゅっも握りしめられた指先から暖かいものが入ってくる。
「一回だけしか使えないけれど……どうぞ、好きなものに使ってね。エメ様が愛しさえしていれば、どんな奇跡でも起こせるんだから」
聖女だけが使える魔法。どんな奇跡だって起こせるもの。死の淵にいる者さえ呼び戻せるような、神話でしか見ることのできない力。
例え物言わぬ無機物にさえ、心を宿せるような力。
「──……」
上手く言葉が出てこなかった。
目の前にエレオノールがいることも忘れて、私は自分の両手をじっと見つめる。
この世の全てのものが嫌いだった。無能な私がどれだけ頑張っても、どうせ全部無駄になるような世界だったから。
でも一つだけ、愛せるようになったものがあった。実を結んだ努力があった。中途半端で出来損ないかもしれないけれど、嘘や虚勢、下心から始まったのかもしれないけれど。
それでもほんの少しでも気持ちが救われるような、そんな未来を作り出せた。
「……あの、私、信じてもらえないかもしれないけれど……」
呆然とした気持ちのまま、少しだけ目線を上げて言う。
「……あなたの読んでた本、本当に好きだったのよ」
エレオノールは目を見開いて、それから「あはは」と声を上げて笑う。
「私もよ、エメ様!」
それは初めて見るような、エレオノールの人間らしい照れた笑みだった。
才能もない、努力もできない。出来損ないの悪役令嬢の物語は、誰にも愛されず中途半端に放置されているらしい。
上等よ、だったら私が書き加えてやるわ。
一番最後のページに「めでたしめでたし」が出てくるまでね。
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