第15話


「おいおい、お前どうするんだよ!?」

 

 腕の中で本がバタバタと暴れている。

 

「そんな身ひとつで飛び出して……下手すりゃ餓死にだぞ!? 国の外じゃ魔物だっているんだろ!?」

「わかんないわよそんなの!」

 

 国境近くの森をただひたすらに走って逃げる。いわゆる夜逃げだ。お父様のいる地方に追放されるくらいなら、自分で知らない土地に行く方がましだと思って決行した。

 本の言う通り、お金も食料も何もかも最低限しか持ってはいない。そもそも屋敷に金目のものなんてほとんど残されていなかったし。

 

「つーか、え!? 俺どうなってんだ!? 一回完全に本に戻ったよな!? え!?」

「ああもううるさいわね! あんまり騒ぐと見つかっちゃうって言ってるでしょうが!」

「いやだってよ!? こんなの魔法がなんか使ったとしか……魔法?」

 

 本がぴたりと動きを止めた。自分にかけられた魔法だから、何か感じるところでもあったんでしょう。

 私は足を緩めないまま、まっすぐ前を向いて言った。

 

「エレオノールが貸してくれたのよ、魔法。一回だけだったけど」

「……なんで俺に使っちまったんだよ……」

 

 本が呆然とした声で言った。

「馬鹿ね」と思わず口から出た言葉は、自分で思っていたよりも随分と優しい声になってしまった。

 

「確かにあなたに嘘はつかれてたけど……それで救われちゃったのよ、私は」

 

 けれどこの半年間を思えば、ちょっとくらい素直になったっていいでしょう?

 

「あの時は私も言い過ぎちゃったから、ちゃんと謝るわ。だから……責任もって、次に私がやるべきことを教えなさいよ。嘘でも虚勢でもなんでもいいわ。どれだけくだらなくても出来なさそうでも、恥ずかしがらずに片っ端からやってあげるから」

 

 不適な笑みを浮かべてそう言ってやる。精一杯の虚勢を張りながら。

 息は上がって、汗だくで、この先どうすれば良いのかなんて全然わからない。あと数分後には魔物に食われて死んでしまっているかもしれない。

 それでもこの本のうるさい声さえ隣にあれば、なんとかなる気がしてしまうのだ。

 

「……ま、それに、どうせあなたにしか使えなかったしね。魔法……」

 

 私がぼそりと呟くと、本が「……はっ?」とすっとんきょうな声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと待て嬢ちゃん。そりゃ──……」

「しっ! 黙って!」

「むぎゅ!」

 

 目の前が急にひらけて、とっさに本をぎゅっと抱えた。足を緩めてゆっくりと森の外へ出る。

 視界にまず入ってきたのは、広い海だった。緩やかな崖の先に広がる港町。この国から逃げるためにたどり着いた町。

 

「……はは、本当に来れちゃったわ……」

 

 地図でしか道を知らなかった町。こんなところまで走って来れるなんて、一年前なら夢にも思ってなかっただろう。

 肩で息をしたまま、私はまだ呆けているらしい本に話しかける。

 

「じゃ、改めて状況を整理しましょうか」

「いやだから、ちょっと待てよ。もう何が何だか……」

 

 混乱した様子の本に、けれど私はペラペラと続けた。

 

「私は今ほとんど無一文の身寄りなし。夜逃げしたから実質ただの平民よ。唯一三日分の非常食と、この国から出る船賃くらいは持ってるかしらね」

「お、おお……?」

 

 私を見上げた本を、ふん、と鼻で笑ってやる。

 

「──で? ここからどうすれば良いわけ?」

 

 ぴくりと表紙が動いた。しばらく黙り込んでいた本は、ついに諦めたように大きなため息をひとつ吐く。

 

「……さあな、俺もわからねえよ」

 

 私の腕から抜け出して宙に浮く。それから表紙で目下の海を指差した。

 

「でもま、とりあえず船にでも乗ってみちまえばいいんじゃねえか? そうだな、それで……商売でも始めてみるか?」

 

 表情なんてわからないはずなのに、随分と無理をした、情けなくて不適な笑みが見えたような気がした。

 

「……いいわね、それ」

 

 負けじとそれに笑い返す。嘘と虚勢だらけの、それでも精一杯自信を持った笑みを。

 そうして一歩、私達は足を踏み出した。

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