第11話
それからは毎日……というわけにはいかなかったけれど、人に優しくする作戦は少しずつ進んでいった。
例えばいつもドジな使用人に「ありがとう」と言ってみるだとか、みんなから馬鹿にされがちな教師にわざわざ「手を貸しましょうか?」と申し出てみたりだとか。今までいかに虐められそうな人を見つけて貶していた私にしては大きすぎる一歩である。
もちろん全部心に思っていないことだった。時には見かねた本がこそこそと「そこ! そこでありがとうって言え!」だとか「ほらそこイラつくんじゃねえ! 抑えろ抑えろ!」だとか言ってきたし。明らかに不自然な笑顔だったし、ぎゅっと握りしめた拳はぷるぷるとしていたし。
けれど例えばいつも怯えていた使用人のちょっとだけ笑った顔が見れたりだとか、教師がお礼にくれた安くてどこでも買えるようなお菓子だとか、そういうのを貰えたのは予想外だった。
小さい子しか食べないような、可愛らしい紙で包まれたお菓子をじっと見つめる。一口で食べられるものなのに、なんだかもったいなくて気づけば自分の部屋まで持ち帰っていた。
結局歯を磨いても食べられなくて、ベッドに腰掛けて眺めている。
「なんだ、嬉しそうじゃねえか」
本に話しかけられてはっとした。慌ててベッドサイドのテーブルの隅に押しやりながら、ふいっと本から顔を逸らす。
「別に? ただこんなお菓子、見慣れないから珍しかっただけよ」
「ほーん。ま、なんにせよ良かったな。よく頑張ってたと思うしな、ここ最近の嬢ちゃんは」
揶揄われると思ってたのに、本は私の側で浮きながら心なしか優しい声でそう言っただけだった。
「この調子でやりゃあアルベール様ってやつも、ちょっとはお前のこと見直してくれるんじゃねえか?」
おまけにそんなことも言ってくる。
「……そうかしら。そうだと、いいけれど」
すっかり調子の狂った私は、らしくもなく素直にそう返してしまった。
アルベール様が見直してくれるなんて、もし本当にそうなったら願ったり叶ったりだ。破滅ルートは回避できるし、まだ婚約者でいられる可能性もできるのだから。
それでもなぜか今の本の言葉の方が嬉しく思えた気がした。胸の奥をくすぐられるような気持ちに、ふふ、と笑い声が溢れる。
「……なんか嬉しそうだな?」
「え!?」
本の言葉にどきりとした。そんなに嬉しそうに見えたかしら。思わず両手を頬に当てる。
「おいおい、俺のおかげなんだからな? そこんとこ、忘れるなよ?」
「はいはい、わかってるわよ。あなたが中身を教えてくれたおかげだってば」
釘を刺すように言われて、ぶすりとしながらそう言った。
半年前だったら言うのに抵抗があったこんな台詞も、本の前ならちゃんと言えるようになっていた。
「感謝してるし信じてるし、いてくれてよかったと思ってるわよ。未来がわからなかったら、私、きっと前世を思い出した時に絶望したまんまだったもの」
どうせ本は「そうだろそうだろ、もっと褒め称えろ!」とばかりに騒ぐのだろう。
そう思っていたのだけれど、本は予想に反して「お、おう。そうか、そうだよな」となにやらごにょごにょ言っただけで、急に大人しくなってしまった。
それどころか、心なしか中のページがへにゃりとした気さえする。
「そうだよな……」
「……何? 私、なにかした……?」
ちょっと心配になって聞くと、「いやいや!」と途端に本は元気になった。
「なんでもねえよ! よーくわかってんじゃねえか! ま、これからもその調子で頑張ってこうぜ!」
「え、ええ……」
彼なりの決めポーズらしきものをしている本の勢いに押されるまま頷いた。
なんだか腑には落ちないが、まあ本人がこんなに能天気に言うのなら本当になんでもないのだろう。
そう納得して、私はお菓子がちゃんと机の上にあることを確認しながら布団に潜り込んだ。
明日は誰に声をかけてみようかな、なんて考えてみながら。
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