第8話


 すっかり気落ちをしながら帰宅した私は、夕飯を食べることもなく部屋に引きこもった。散々悪態を吐きまくった後に部屋の奥に隠していた小説達を引っ張り出して片っ端から読んでいく。どれだけ足掻いても無駄な現実からの逃避にはこれが一番的面に効くのよ。

 そう。効く、はずなのだけど……。

 

「……」

「……」

 

 私は手元に広げた本からそっと視線を上げた。部屋の隅で黙り込んだまま、ふよふよと浮いている本を睨みつける。

 

 ……おかしいわ。

 異様に少ないのだ、本の口数が。いつも私が本を読んでいると必ずべらべらと喋りかけてくるくせに、学園から帰ってきてずっとこんな感じだった。そういう気分の時もあるだろうと気にしないようにしていたけれど、いい加減我慢の限界だわ。せっかく開いた本もさっきから同じ行をなぞっているばかりで、全然読み進められていない。

 

「ねえ、さっきからどうしたのよ。随分大人しいじゃない」

 

 本はちらりとこちらを見て、そしてふんと鼻を鳴らした。

 

「別に? 俺みたいな本と喋ってるところを見られちゃあどうなるかわかったもんじゃないんだろ?」

 

 思わず「は?」と口から出そうになったのを無理やり飲み込んだ。

 まさか拗ねてるの? しかも今更?

 私は驚きを通り越して呆れしまった。あんなのただのいつも通りの癇癪じゃない。馬鹿とか阿保とか散々言い合ったことだってあるくせに。

 そう思ってから、けれどすぐに思い直した。

 ……いつも通りの癇癪だったけれど、でも、確かに今日のはちょっと言い過ぎたのかもしれないわ。これじゃあ人に優しくするなんてそれこそ夢のまた夢よね。

 私はぐっと下唇を噛み締めてから口を開く。

 

「わ、わ、悪かったわよ。ついあんなこと言っちゃって。別にあなたの中身を本気でくらだないなんて思ってないわ。だってそのおかげで、何をしたらいいか教えてもらってるわけだし……。感謝……してるわ……」

 

 まあ、私の才能がないあまりに現状上手くはいってないのだけれど。

 それでも一人で絶望したままよりはずっとマシだったと思う。

 徐々に小声になっていった私の言葉を聞いて、本はぴくりと表紙を動かして私の方へと振り返った。

 

「……嬢ちゃん、普段からそうやって素直ならもっと友達もできてただろうに……」

 

 そして普段と同じように生意気な口を叩いた。

 

「うるさいわね! せっかく人が謝ってるのに!」

 

 全然拗ねてなんかないじゃない。これじゃ謝り損だわ。

 叫んだ時に思わず立ち上がった体を椅子に投げ出した。これ見よがしに大きくため息を吐いてみせる。

 

「いや冗談だって。嬢ちゃんのことはよくわかってるって、な!」

「ああそう……」

 

 そうして本はまるで何事も無かったかのように、いつも通りに機嫌良くべらべらと喋り始めた。

 適当な返事を返しながら妙にやかましいその動きを見る。

 ……今までなら、こんな本の機嫌なんて気にしなかった。きっとそんな余裕なんてなかった。自分を一人で守ることに必死で、他人のことなんてどうでもよかった。

 それが今ではらしくもなく本のことを気にして、らしくもない言葉を頑張って紡いでは一喜一憂したりしている。

 親よりよっぽどうるさくて、友達というにはちょっと変な存在。でもそれが最近は嫌じゃない。

 誰の前でもこんなに素の自分を曝け出すことはなかったのにね。

 

「あーあ、あなたと話してるとなんか気が緩んで仕方がないわ」

「……俺だって嬢ちゃんに一番心許してるぜ?」

「なにそれ。あなたが喋れるの、私だけなんだから一番も何もないでしょ」

 

 本の軽口に思わず笑う。

 こんな風に言い合ったのなんて、もういつぶりかわからなかった。

 

 

 

 

 本に適当な返事を返しているうちに、いつのまにか外がすっかり暗くなっていた。憂鬱だけど、明日も朝から授業があるから早く布団に入らなきゃいけない。

 私は渋々と支度をしてベッドの中に潜り込んだ。「おやすみ」と本に言って目を閉じてはみたものの、なかなか眠気はやってこない。早退して部屋に引きこもってたせいだわ。

 何度寝返りを打っても眠れる気はしなくて、そのうち今日の嫌なこととかも思い出しちゃって……観念してため息を吐きながら目を開けた。

 

「なんだ、寝れねえのか?」

 

 机の上で本物の本のように横たわっていた本が浮き上がって、枕元に着地した。

 

「子守唄の代わりに、寝物語でもしてやろうか? 俺による俺だけの即興物語!」

「遠慮しておくわ」

 

 ただでさえ普段からやかましい本にそんなことされたら、朝までスペクタクル大長編朗読コースになるに違いない。

 過去に一度だけお願いしてみた時も散々な目にあったのだ。最終的には本を無理やり閉じて「めでたしめでたし!」と強制終了させたけれど。

 

「でもそういえば……前世で眠れない時によくお話を作ってたりしたわね」

 

 ふと思い出して言うと、本は「へえ?」と興味深げな声を上げた。

 

「どんなのだ?」

 

 改めてそう聞かれると……なんだか気恥ずかしくなってきた。

 もにょ、と唇をへし曲げて言う。

 

「ど、どんなって……ご都合主義のハッピーエンドよ。いかにも素人が作ったようなね。ま、結局才能も根気もなかったから全部中途半端のままだったけど……。内容もよく思い出せないし、人に見せたことだってないし」

 

 書き散らしたもの全てがくだらない小説の劣化版だった。

 

「……でもまあ、私にしてはよく書けてた方だったのかもしれないわね。そうね、まあまあな出来だったかも」

 

 そう言った私に、本が意外そうに表紙をちょっと開いてみせた。

 

「珍しいじゃねえか、嬢ちゃんがそんな前向きなこと言うなんて」

「うるさいわね。だって他のことは上手くできなくて全部嫌になっちゃったけど、小説を書くのだけはましだったんだもの。そうね、くだらない趣味だって笑われたこともあったけど……まあ、悪くない時間ではあったわ」

「……」

 

 何か思案するように本がゆらゆらと揺れる。すっかり忘れていたけれど、そういえばこいつの中身も小説なんだったっけ。

 そう思うと気恥ずかしさが途端に増してきて、「ま、そんなことも忘れてたけどね」なんて付け足した。

 

「そ、そういえば! あなたを読んだことって一度もなかったわね……!?」

 

 なんとか話を逸らそうと話題を探しているうち、ふと気がついてそう言った。

 前に寝物語として話してくれたのは即興で作り上げた物語で、本の中身を読んだこともなければ読み聞かせてもらった覚えもなかったのだ。

 

「おっなんだなんだ、寝る前の読み聞かせは俺の話がいいって?」

「そこまでは言ってないわ」

「リクエストは嬉しいが、ちょいと訳ありでね。残念だがそれはまたの機会にしてくれ」

「一生遠慮しておくわ」

 

 ぴしゃりと断ったのにも関わらず、「では今回は代わりに今夜は『テンセイー・シタッラーとハードモードの異世界』を……」なんて続けようとするものだから私は「また無理やり表紙閉じられたいの?」と脅す他なかった。

 寝れない夜にもっと眠れなくなるようなトンチキな話をしないでちょうだい。

 

「そもそもあなたは普段からやかましすぎるのよ。全然読み聞かせに向いてないわ」

 

 皮肉ってそう言うと、本は「わかってねえなあ」と言わんばかりにふんぞり返る。

 

「なあ嬢ちゃん、俺は別に向いてようが向いてなかろうが気にしないぜ」

「気にはして欲しいわね」

 

 気遣いゼロでトンチキ寝物語を披露されたらたまったもんじゃないわ。

 私のツッコミをものともせずに本は続けた。

 

「それより大事なのは勇気と素直な愛なんじゃねえか? どれだけ下手で自信がなくても、周りからくだらねえって笑われても、自分がしたいって思ったことを恥ずかしがらずにしてやるようなさ。あとはまあ……とりあえずうまくいくって自分を信じること、嘘でもいいから虚勢を張ることだな!」

「……そうかしら」

 

 どうせまたいい加減なことを言われると思っていたのに、案外まともなことを言われて面食らってしまった。

 

「そうだぜ。だって他の……じゃなかった、俺の中の主人公はそれで上手く行ってたんだ」

「……」

「なあ、信じてくれねえか、俺をさ。確かに今までは上手くいかなかったが……次こそきっとなんとかなるぜ」

 

 な、と本の角でつつかれる。

 

「というわけで。どうだ、俺のもりもりと勇気の出る読み聞かせを」

「だからいいって言ってるでしょう! はい! おやすみ!」

 

 せっかく良いことを言っていると思ったのにすぐこれだ。

 私は今度こそ表紙を両手でばふんと閉じて、「ぐえ!」と声を上げた本を無理やりベッドボードに放り投げた。灯りを消して、シーツを頭からかぶって寝たふりをする。

 しばらく文句を言っていた本も少し経つと寝てしまったみたいで、部屋は打って変わって静かになった。

 こっそりシーツから頭を出して、寝ていれば普通の本と見分けがつかない背表紙をじっと見つめた。

 

「信じる、ねえ……」

 

 今までの私なら、そんなこと誰かに言われても「はいはい、綺麗事は結構よ」なんて言っていただけだっただろう。けれどこの本は半年間ずっと私の隣にいて、何もできないところを見てきて、その上で私にそう言ったのだ。

 今まで上手くいかなかったのだって、どう考えても本のせいというよりは私のせいだ。私の出来が悪いのもそうだけれど、それ以前の問題。いつも「どうせ上手くいかないに決まってる」って思ってたもの。

 でもこの本の言ったとおり、まずは信じてみてもいいのかもしれない。なんの根拠がなくても、例えただの虚飾だとしても。

 この半年間確かに思い通りに行ったことなんて一つもなかったけれど、なんだかんだ楽しくはあったのだから。

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