第7話※エレオノール視点
三歳の時、私は突然未来を思い出した。未来と言うか、正しく言えば前世の記憶を思い出した。
ここが前世で読んだことのあるような小説の世界なこと。私がその物語の中の、いわゆる悪役令嬢にざまあされるヒロインに転生していること。
転生したてのせいか途中からの展開は全く思い出せないが、大抵のこういう小説のヒロインの結末はみなさまご存知の通りである。
最初はそりゃ驚いた。だって散々小説で読んだ、魔法も魔王もありのファンタジーな世界なんだもの! しかも聖女というチート能力つき!
高熱を出して丸三日、回復後あらかたの前世の記憶を取り戻した私の行動は早かった。庶民とは言え、一応裕福な商家に生まれてワガママ放題だった性格を改めた。魔術の訓練をこっそり繰り返し、大人顔負けの魔力をつけた。もちろん勉学だっておろそかにはしない。
そしてなにより、聖女に選ばれた自分を戒めた。調子に乗らず、ただひたむきに。もともと前世でもそれなりに器用で努力家だった私は、あっという間になんでもできるようになっていった。
そうしてどうにかざまあエンドを回避すべく力を尽くした結果──
──気づけば全然ざまあではなくなっていた。
「平和ね、今日も……」
膝の上に図書館から借りてきた本を広げながら、中庭で真昼の青空を見上げながら呟く。
本来なら私はそろそろ魔王が覚醒する頃なのだが、私が聖魔法を鍛え上げ過ぎたせいで覚醒できない状態らしい。最近はもうこちらの方から魔界に乗り込んで魔王を倒してしまおうかとさえ考えている。
学園の人間関係もそう、私の知っているあらすじでは今頃ヒロインはとっくに嫌われていたのだけど、そんな兆候は全くない。
むしろ先ほどまでクラスメイト達に囲まれていたし、なんならいまだに「さすが聖女」なんて言われ続けている。
「さすが聖女、素晴らしい魔法だ」
そうそう、こんな感じに……って、あら?
「アルベール様」
物思いに耽っていた顔を上げると、いつのまにかアルベール様が隣に座っていた。
魔王を倒すためには、最終的には王家が代々継承する聖剣と聖女の使う聖魔法が必要……というわけで、私とアルベール様は聖女として覚醒した時、学園に入る前から顔見知りだったのだ。
貴族らしい貴族のお嬢様おぼっちゃまが集まるこの学園で、唯一気が合う相手ということもある。
「また慈善活動か?」
「まあ、ちょっとしたね。お守りみたいなものよ」
「謙遜を。……やはり羨ましいな、奇跡の魔法が使えるのは」
アルベール様は学園で常に主席の魔術師だ。そんな彼だからこそ、私しか使えない魔法が羨ましいのだろう。
もう何回聞いたかわからない台詞に、半ば呆れながら口を開く。
「もう、そんな万能な力じゃないって言ってるでしょ?」
みんなは奇跡だと持て囃すけれど、実のところそんな力じゃない。だってそれが本当なら、私あんなに魔術の特訓しなくてよかったもの。
建国の女神、アリセーラ様がもたらしてくれるというこの「魔法」は、確かにやろうと思えばたいていのことはなんでもできる。
ただし条件付きなのだ。「愛」が必要という、非常にシンプルで厄介な。
「エレオノールなら問題ないだろう? 君ほど博愛な人は見たことがない」
けれど手離しで褒められれば悪い気はしない。
「あら……否定はしないけれど」
博愛というのも、間違いではないから訂正もしない。……ちょっと誤解をされている気がしなくもないけれど。
いわく、私は「この世で一番優しい聖女様」なのだそうだ。魔法をかけ損ねたことがないから、そんな二つ名がついたらしい。
それは事実。だって私はこの世界のことを愛している。でも──みんなはちょっとだけ勘違いをしている。
確かに魔法は「聖女が愛したものであること」と「誰かに深く愛されていること」が条件である。
だから別に「私が深く愛せ」ば、それだけで済む話なのだ。むしろ歴代の聖女はそうやって魔法をかけていたのではないかとさえ思っている。
けれど私は残念ながら、みんなのことを誰も特別だとは思えない。
前世の時からそうだった。自分を含めたこの世の全てのことがどうでもよかったのだ。ただ小さい頃に「みんなに優しく、みんなを愛す人でありなさい」と教えられたからそうしてきただけ。
私を可愛がってくれた両親も、小さい頃私を揶揄った近所の男の子も、家で飼われていた私の犬も、口うるさい教会の神父様も、一緒にお昼ご飯を食べるクラスメイト達も、私を虐める令嬢達も──そしてアルベール様も、全員「同じくらい愛してる」だけなのだ。
そこに特別なものなどないし、好き嫌いなど存在しない。例えばこの世の何かを生贄に差し出せと言われたら、私は迷うことなくクジを作って引くだろう。当たったのが誰であっても、どれであっても変わらないのだから。
誰のことも深くは愛せないし、だから魔法を発動させるために他の人の愛を借りる必要がある。
一体これのどこが「この世で一番優しい聖女」だと言うのだろう。
私は聖母のようだと評判らしい笑みを浮かべてそう思った。
「そういえばエメを見なかったか? 今日の授業もサボっているらしいと聞いてな。さすがにそろそろ強く言っておかないとと思っていたんだが……」
「あら。エメ様ならさっき目の前を通っていったわ。なんだか怒らせちゃったみたいで、走って門の方へ行ってしまったけれど……」
怒らせるつもりは全くなかったのだけど、と言うと、アルベール様は大きなため息を吐いた。
「あいつは全く……大丈夫だったか? また何か言われただろう?」
「全然平気よ? なんとも思ってないわ」
本当になんとも思っていなかった。エメ様のこともみんなと同じくらい愛しくて、同じくらい特別でもなんでもないから。
ただ他の人と同じように接したら良くわからないうちに怒ってしまって、暴力にもならない程度に手を叩かれただけ。
「あいつも根は悪くないはずなんだが。なんというか、不器用すぎるんだ。臆病だし……正直、貴族でない方が幸せなんじゃないかと思うこともあるよ」
だから私なんかよりも、アルベール様の方がよっぽど優しいんじゃないかと思う。困りきった顔をしているのに、情を捨てきれていないところとか。
膝の上の本をそっと閉じながら言った。
「エメ様のこと、大切に思われているのね」
私がそう言うと、アルベール様は目を丸くした後居心地の悪そうな顔をした。
「まあ、そりゃ……あれだけ小さい頃から面倒を見ているんだ。妹みたいなものだよ」
いいなあ、と素直に思った。羨ましい。アルベール様は人をちゃんと愛せる人だ。私にはそんなことできない。だからそれは奇跡の魔法よりもよっぽど価値があるものだと思う。
肝心のエメ様は、それをちゃんと受け取れないようだけれど。
「エメ様のこと、あまり良くはわからないけれど……可哀想な人ではあると思うわ」
悪役令嬢のエメ様。本当だったら清く正しく強かで、ヒロインの私なんかよりもよっぽどなんでもできる存在。意地悪な私の罠をものともせず、才能を発揮して私を辱めるための役。
けれど私が頑張ってしまったせいか、今のエメ様は全く悪役令嬢らしくない存在だった。性格はお世辞にもいいとは言えなくて、魔術もなにもかも満足にできない。
周りの全てに嫌われていて、全てを嫌って生きている。この世に好きなものも特別なものも存在しない。
アルベール様は俯いた私を痛ましげに見る。
「なんだか、エメと君は真反対だな。エメにも、君みたいに他人に寄り添える心があったら良かったんだが……」
「そうかしら?」
まさか、と心の中で笑う。きっと本質的には同じだわ。私もエメ様も同じ、本当は誰のことも信じられないし愛せない可哀想な存在。
手元の本の表紙を撫でる。だからこそ愛のある小説を読み耽っているのだ。私には全然わからない、奇妙で興味をそそられるものだから。
「……また本を読んでたのか?」
アルベール様が本を見てそう言った。
きらびやかな表紙はどこからどう見てもいわゆる大衆向けの恋愛小説で、どんな内容かは一目でわかるだろう。
「ええ! ……やっぱり私が読んでると恥ずかしい? こんな『くだらない』本なんて」
「何を言う! 誰が何を読んだって良いんだ。少なくとも俺の国では、そうあって欲しいと思っているよ」
アルベール様はきっぱりとそう言った。私はそれに微笑み返す。
ああやっぱり。
やっぱり誰も彼も、アルベール様でさえもこれが『くだらなくない』なんて言ってはくれない。
アルベール様は聖女の私よりもよっぽど清くて正しい。嘘は許さないし、清廉な弱い人にも寄り添えるだろう。
けれど、それだけじゃ救えないものだってあるんじゃないかしら。
……ま、どうでもいいのだけど。結局この世界にだって、私の大切なものなんてないのだから。
なんてことを思いながら、私は「ありがとう。やっぱりアルベール様は優しいわ」なんて、よくある口当たりの良い台詞を口に出した。
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