第6話


 あの後、本は大人しくカバンの中に入っていってずっと静かにしていた。珍しいこともあるものだと思ったけれど、とにかく今は一人で黙りたかったので気にする余裕はなかった。

 気落ちしたまま私がとぼとぼと学園内を歩いていると、普段は人がいないはずの中庭に小さな人だかりができているのに気がつく。

 今の気分じゃあんまり人に会いたくなかったから、見つかる前に迂回でもしようかしら……なんて考えているうちに、中心にいた女子生徒がふと顔を上げる。

 そしてぱちりと目が合ってしまった。

 

「エメ様? 偶然ね?」

 

 げ、と私が思った時にはもう遅い。そこにいたのは今一番会いたくない人物、エレオノール・ラクロワその人だった。

 私が嫌な顔をしたのと同時に、エレオノールの周りに集まっていた他の生徒たちも「げっ」とでも言いたげな顔をする。

「げっ」なんてこっちのセリフよ。呑気にニコニコしてるのは空気の読めないエレオノールだけだわ。

 

「あのね、今皆に魔物避けの魔法をかけてるの。ほら、最近街でも魔王覚醒の兆候が出てきたでしょう? 学園にも小さな魔物が侵入してくるから、大丈夫だとは思うけど一応ね」

 

 聞いてもいないのにぺらぺらとそんなことを説明してくれたエレオノールは、「そうだ!」と手を胸の前で合わせてぱっと顔を明るくした。

 その時点で嫌な予感があった。だってこれ、絶対面倒なことを言われる顔だもの。

 

「エメ様もどう? 私の魔法じゃ頼りないかもしれないけれど……きっとお守りにはなるわ!」

 

 エレオノールがそう言った瞬間、周りの生徒たちが私から目を逸らして声もなく失笑した。

 理由は簡単。奇跡の魔法には「愛」が必要だからだ。

 まずは魔法をかける者──エレオノールが愛しているものであること。それが魔法が発動する最低限の必要条件。

 そして次に、そのものが誰かから深く愛されていること。愛されていればいるほど魔法の奇跡は大きくなるし、逆に愛されていない者にかけられた魔法はどれだけ頑張っても効果を発揮しない。

 つまりだ。

 

「無駄ですよ、エレオノール様。だって……ねえ」

 

 取り巻きの一人が嫌な笑い方をしながらそう言う。

 あの子を愛す人なんて、居るわけないじゃないですか? 言葉がなくてもきっとそう続いたのだろうと、この場にいる誰もが思っただろう。

 例えエレオノールが私のことを愛していたとしても、他の誰もが私のことを愛さなければ魔法なんて意味がない。

 私は思わず下唇を噛み締めた。

 

「無駄? そんなはずないじゃない」

 

 それに対するエレオノールの馬鹿らしいほどまっすぐな回答も、今の私には苦痛以外の何者でもない。

 だって私を愛す人がいないことなんて、私が一番わかっているもの。自分自身すら愛せない私のことをいったい誰が愛してくれるというのだろう。

 嫌な空気に頰が照っていく。頭がカッと熱くなっていくのがわかった。

 

「……っ!」

 

 こちらに伸ばされたエレオノールの手を咄嗟に叩き落とした。「ちょっと!?」「おい!」と罵声が飛んでくるのに背を向けて、校門へ真っ直ぐ走り去った。

 

 学園を覆う堅牢な魔法結界と高い壁。その裏側にある森の近くまで辿り着いてしばらく。

 徐々にスピードを落としながら、周りに誰もいないことを確認してその場に足を止めた。この森の十数キロキロ先には国境近くの港町がある。鬱蒼と茂る雰囲気はどこか不気味で。学園の人達は好んで近づいたりしない場所だ。

 ぜえ、ぜえ、と肩で息をしながら「何よ、」と地面に向かって悪態を吐く。

 

「何よ、何よ、何よもう! なんで今日はこんなに最悪なの……!」

 

 その場にへたり込んで頭を抱えて、「ううーっ!」とうめき声を上げた。それからふと力が抜けて、はああ、と大きくため息を吐く。

 

「……こんなので、人に優しくなんてできるはずないじゃない」

 

 ぽつりと呟いた言葉は真昼の青空に吸い込まれていった。

 大嫌いよ、皆嫌い。

 逃げることしかできない私自身も含めて、大好きなものなんてこの世に何もないんだわ。

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