第4話


 さて。「人に優しく」という言葉は、とても舌触りが良く素敵に聞こえるものである。

 けれど私はそんな言葉が大嫌いだった。だってこんな意地悪な世界で、どうやったら優しいまま生きられると言うのだろう。何をやっても人一倍グズでノロマだった私の取り柄って、他の人と一緒に弱い子を見つけることくらいだったもの。

 気が強くなきゃ陰口を叩かれるし、やられる前に悪口を言えば性格が悪いって言われる。どちらがマシかって比べてみて、私は後者を取っただけ。

 それなのに気がつけば周りからは距離を取られていて、それで今更性格を変えて優しくなってみろ、ですって? ……やっぱり無理よ、私には。

 

 昨日の夜に、本から言われた言葉を反芻しながら学園の廊下をとぼとぼと歩く。隣で本が呑気に窓の外を見ながら「おい! もう薔薇が咲いてんぞ! 冬だってのにすげえなここ!」とか言っているけど気にしない。

 最近はこいつが学園に着いてくるせいで、一人行動を余儀なくされることが多い。おかげで取り巻きたちと離れることができて気が楽にはなっているけれど。……そのせいで、ますます孤立している気もしないでもないけれど。

 

「おい、聞いてるか嬢ちゃん。温室もねえのにすげえぞあれ。青色とかあるし。おーい?」

「あーもう! 聞こえてるってば! あなたね、何度も学園内ではなるべく話しかけないでって言ってるでしょ!?」

 

 本に指を突きつけて睨みつける。

 いくらここが普段授業で使わない旧棟だからと言って、絶対に人が来ないわけじゃない。こんなヘンテコな本と喋っているのを見られたら、今度は一体どんな噂が立つか。

 

「そうは言ったってなあ……なあ、ずっと思ってたんだけどよ、ここは魔術学園だろ? なら俺みたいに喋る本がいたって変に思われないんじゃねえか?」

 

 私は驚きを通り越して、呆れながら口を開いた。

 

「ちょっと待って。あなた自分の中の話なのに何も知らないの? ……あのね、魔術って言ったって無機物が勝手に喋るとかそんなファンタジーなものじゃないの。せいぜい火とか水とか風とかを操れたり、力を強くしたり回復力を高める程度のものよ。あなたみたいな存在が喋れるようになるには、"魔術"じゃなくて"魔法"が必要なの」

「なんだそれ、俺の中にはそんな設定なかっ……あー、あったあった。あったようななかったような、まだそこまで書かれていなかったような……多分一行でさらっとしか書かれてなかったとかそういう感じの大事な設定じゃなかったんだろうなー。で、違うのかよ、それ?」

 

 急に棒読みであやふやなことを言い始めた。何わけのわからないこと言ってるのよ。

 私は訝しげな顔をしながらも、仕方がないので説明をしてやることにした。

 

「大違いよ。魔術は貴族魔術師達が研究してきたちゃんとした学問だわ。それに比べて魔法はほとんど奇跡みたいなもんなのよ。神話にしかない、それこそアリセーラ様しか使えなかったようなね」

 

 まあ、今でこそヒロインのエレオノールがいるから一応現実にも存在しているのだけれど。

 彼女が使う聖魔法は、例え死の淵まで行った瀕死の者でさえたちどころに生き返らせ、命なきものに生命すら与えてしまうのだ。医療そのものをひっくり返す恐ろしい魔法である。だからこそ彼女は聖女として一目置かれる主人公なのだ。

 ……そんなチートみたいな能力持ってたら、そりゃなんでも上手く行くでしょうよ。

 ずるいわ、と内心で吐き捨てる。

 

「つまりあなたみたいな存在は特殊中の特殊ってこと。とっ捕まって解剖されてもいいなら別だけど、それが嫌ならちゃんと私の鞄の中で本のフリしときない」

 

 解剖という単語にぶるりと身を震わせた本は、「へいへい……」と渋々言いながら私の鞄の中に入っていった。

 ため息を吐いて、人の少ない旧棟から渡り廊下に出て新棟の方へと歩いていく。旧棟は授業をサボる時の行き場としてはちょうどいいのだけれど、昼休みになると一転、学園内のカップルの溜まり場になってしまうのだ。本当に勘弁して欲しいわ。

 だから普段授業で使われている新棟の中で、唯一人の来ない場所……廃れた第五展望台が、ここ最近の昼休憩の居場所なのである。前に本に「便所飯ならぬ展望台飯か」なんて揶揄われて、思わず表紙を折り曲げそうになったこともあったわね。別にどこでご飯を食べてもいいでしょうが。

 

「あらやだ、エメ様だわ」

 

 考え事をしながら渡り廊下の真ん中くらいに来た頃、ふと耳障りな声が飛び込んできた。

 とは言っても少し離れたところから小さな声で、だけれど。

 

「最近はお一人でいらっしゃることが多いって聞いていたけれど……本当だったのね」

「かわいそうだわ。ルヴェール伯爵令嬢もクライン子爵令嬢もお友達だって仰ってたのに」

「あら? 私は二人から聞いたわよ、あんなわがままお嬢様なんて、親の命令がなきゃ付き合ってなかったわって!」

 

 クスクス、と嫌な笑い声が聞こえてくる。私はぎゅっと手のひらを握りしめて、聞こえないふりをして足早にその場を立ち去った。

 なによ、なによ、なによ!

 意地悪な視線を背後で感じながら、俯いてずんずんと廊下を進む。新棟に入って時折教室から出てきた生徒たちがチラチラと私を見る視線すら、今は苛立って仕方がない。

 ルヴェール伯爵令嬢もクライン子爵令嬢も、少し前まで私の取り巻きをしていた子達だった。あんなに私のことを持ち上げて、エレオノールのことは貶して一緒にご飯を食べていたのに、私が嫌われ始めた瞬間これだ。

 あんな子達、あんな子達!

 

「あんな子達なんて、こっちから願い下げよ!」

 

 バンッ! と第五展望台の扉を開ける。

 新棟の端の端に位置するその場所は、ちょっとくらいの声を出しても誰にも聞かれる心配はない。無駄に広い学園に感謝し始めたのはここ半年間が初めてだ。

 

「荒れてんなあ……」

 

 早速鞄から顔を出した本が、やれやれとでも言いたげな声を出した。

 

「嬢ちゃんが嫌われてることなんてわかっちゃあいたが……こりゃ人間関係を見直すのも至難の業だな」

「だから言ったでしょうが! 一番出来るはずもないって!」

 

 鞄からパンの包みを取り出しながら言う。少し前までは食堂で食べていたのだけれど、最近はもっぱらどこでも食べられるようなものばかり持ち歩いている。……虚しくなんてないわ、ええ、本当に!

 苛立ちに任せてパンに齧りついた。乱暴に咀嚼して、水筒の紅茶でゴクゴクと流し込む。全く令嬢らしくない仕草だが、本以外誰も見ていないので気にしない。

 ぷはーっ、と思い切り息を吐いて、口元を手でぐいっと拭う。

 

「……ま、どうせいつかあの子達だって同じ目に遭う日が来るわよ。きっとね」

「そうか? ああいう奴らは上手いことやるタイプに見えるけどな」

 

 いまいちピンとこない、と首を傾げた本を鼻で笑った。

 

「ここをなんだと思ってるの? 貴族のご子息ご令嬢が通う、権謀術数の渦巻く魔術学園よ。昨日の味方は今日の敵だし、一目置かれていた子がカースト底辺になるなんてざらなの。足の引っ張り合いと蹴落とし合いの世界なのよ」

 

 パンの包みを開きながら言えば、本は「うへえ」と表紙が湿った時のような声を上げた。

 

「飯が不味くなりそうな話だな。そんなことより雲の形が何に見えるかとか話した方がよっぽど建設的だぜ」

「ええ、それはそう……そう……かしら……?」

 

 建設的かどうかはさておき、まあ、確かにそちらの方がよっぽど平和な話題ではあるわね。

 パンを齧る私に、本が「ほら」と空を指した。

 

「ほらみろよ、あれは絶対ハートだぜ」

「まあ……そうね」

「その隣はゴジラ」

「え……うーん……?」

 

 大きい楕円の一部に切り込みが入っている雲は、言われてみればなんとなくそう見えないこともない。

 ……こんな会話をしたのなんて、もう何年ぶりかしら。他の令嬢達と一緒にご飯を食べていた時は、もっとピリピリとした空気でこんな話をする隙なんてなかったもの。

 

「じゃあそのさらに隣、何に見える?」

 

 とぐろを巻いたような、もくもくとした立派な雲のことを指して本に言われた。

 これは……これはどう見てもアレだ。仮にも食事中になんてこと言わせようとしてるのよ。

 私は口の中のものをごくんと飲み込んで、本を睨みつける。

 

「……ちょっと、それは流石に下品……」

「ソフトクリームだよな?」

「……っ! ……っ!! !」

 

 声も出ない私を、本はゲラゲラと笑いながら「なんだ? 何に見えたんだ?」と揶揄った。

 

「絶対に許さないわ……」

「おうおう怖いな、一体何をされるんだ?」

「隙を見てあなたのページにバターを塗りつけてやるわ……」

「本当に悪かった」

 

 すぐに謝罪は返ってきたけれど、絶対に絶対に許さない。

 私が無言でパンにバターを塗りたくっていると、焦ったように本がバタバタとした。

 

「まあでも、悪口言いながら食う昼飯よりも俺と食う方が美味いだろ? な?」

「どうかしらね」

 

 つっけんどんに言ったけれど、確かに気楽で前よりずっと楽しかった。例え食事中に下品なことを言わされかけたとしても。

 変なの、と思う。前は一人でご飯を食べるなんて、ましてやこんな変な存在とこんな変な会話をしながらだなんて、絶対にしなかったしできなかった。

 それが今は、こんなにも居心地がいいと思っている。

「バターは流石に勘弁してくれよお……」と情けない声を出す本に、気づけば私は仏頂面を作ることも忘れて声を出して笑ってしまっていた。

 

 

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